[Back]  [Contents]  [Next]



 夕暮れの森、芽吹きを迎えたばかりの鮮やかな緑さえもオレンジ色に彩られていた。美しいと賞賛するか、毒々しいと思うかは個人の感性の違いだが、すくなくとも今この森に造られた細い道を歩く少女は前者として受けとめていた。
 都会育ちの、しかも普段あまり自分の住む屋敷を出ることのない彼女には、こういった自然の描く情景が非常に美しく映えた。
 こころなしか時間もゆったりと流れている気がする。神々の懐に抱かれし土地、と呼ばれているこの辺境にはなにかそう感じさせる魔法めいた力があるのかもしれない。

 ちょっと、村から遠かったかな?

 小道歩きながら少女はふと思った。だが、すぐにその考えは消える。
 それくらいがちょうど良いのだ。近すぎて村人を恐れさせてはいけないし、逆に彼女のパートナーを怖がらせてもいけない。

「ちょっと退屈かもしれないけど、イイコにして待っててね。フォルテ」

 歩いてきた道を少しだけ振り返り、小さくつぶやく。声として聞こえてなくても、思いは伝わった。少女にだけはそれがわかっていた。
 「繋がって」いるのだから、この幻獣とは。生まれてからいままでずっといっしょだった存在で、自分の半身ともよべるほどの絆で結ばれている。

「さて、暗くなる前に村につかないと……」

 そう誰に言うでもなくつぶやき、再び歩き出そうと前を向いた瞬間のことだった。


「っ!!!」


 ぞくりと、唐突に少女の背中を悪寒が走る。底のない暗き闇のに落ちて行くような恐怖感が、大きすぎる魔の意識による絶対的な狂気が少女の脳裏に描かれた。
 が、それもわずか瞬きを一度するかしないかの短い間だったため、少女はすぐに現実へと引き戻された。

「な、なに? い、いまのは……」

 ぞわっと全身の毛が逆立つような衝撃。そう表現するのが一番しっくりくる。
 ほんの一瞬の出来事であったのにもかかわらず、少女の額には冷たい汗がじわりと浮かんでいた。知らぬまに腕には鳥肌までたっている。

 と、遠くからかすかな風にのってなにかが聞こえた。

 ううぇぇぇぇぇぇぇぇぇん……

 泣き声だ。
 きょろきょろとあたりを見まわし、なにが起きたのか確かめようとしていた少女の耳に小さな子供の声が聞こえて来たのは、先ほどの『衝撃』の直後である。わずか数呼吸ほどのタイミングだ。
 火がついたように泣きじゃくる声は、女の子だろうか?
 近くからではない。夕暮れの森に反射して、正確な位置はつかみようも無かった。
 はっと、こういう時もっとも頼りになる自分のパートナーの存在を思い出す。

「フォルテっ! どっち!? ………………右、右ね!?」

 すぐさま精神を集中し遠く離れた位置にある幻獣に問い掛け、返ってきた「声」ならぬ「思い」を受け取り少女はそのまま駆け出した。

 きゅっと眉根をよせ凛とした表情で、幻獣から教えられた方向を見据える。
 なにが起きているのかはわからないけれど、幼い泣き声は必死に助けを求めていた。
 それだけで、彼女が駆け出すには充分な動機だ。
 加えて先ほどのどす黒い予兆も気になる。すぐ後のことだけに悪い予感が少女の心のなかで渦巻いていた。

「いったい、なにが起きているの?」

 少女の問いにいつもならばはっきり応えてくれる幻獣は、今はまだなにも言おうとしなかった。




センチメンタルファンタジー
第二話「予兆」



 夕暮れの森に、小さな二つの影があった。

「はぁ、はぁ……な、泣くなよッ! あいつに見つかっちまう!」
「うえ、うえっ……だって、だってぇぇぇ、うえぇぇぇぇっっっ」

 泣きじゃくっているのは小さな影のほう……年のころなら7〜8歳の、幼い少女だった。そしてすぐそばには、兄と思わしき少年が肩で息をしながら立っている。
 オレンジ色の燐光をうけて鮮やかに輝く木々と、対照的に青ざめた表情の二人。

「だから泣くなって!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁん、うわぁぁぁぁぁぁぁん」

 少年の怒鳴り声に比例して、少女の泣き声も大きくなる。
 泣きたいのは自分だって同じなのに……少年は、この少女よりも何年か先に生まれていた事を呪った。

 緑葉の日は、冬の間入ってはいけないと決められている森にようやく入ることが許される日でもある。二人は森に『黒イチゴ』をとりに来ただけだった。
 黒イチゴは、この森に自生するその名の通り黒い果実だ。黒、というよりも赤を通り越して黒ずんだ、葡萄の皮の色だ。芳醇な香りと実際に口にした時に広がる甘さは、子供たちはおろか大人までをも魅了してやまない。
 村でも栽培はしていたが、味は断然自然のもののほうが良い。森に入ることも許され、意気込んで二人の兄妹はやってきたのだが……。

 がさっ、がささっ……

 二人のすぐ後ろ、いま駆けてきた方の木々が枝を揺らす。つづいて腰の高さほどの低木がめきめきと音を立てて踏み折られ、兄妹に近づく足音が聞こえてきた。
 少年の顔が恐怖に凍りつく。大声をあげて泣いていた少女も、今やしゃくりあげるように嗚咽を漏らしていた。

 その存在がいったいなんなのか、少年は知らない。
 産まれてから13年間、ものごころついたときから駆け回ってきたこの森だ。知らないものなどなにもないはずなのに……。けれど、あんな化け物は見た事が無かった。

「ちくしょおっ! おまえが泣き止まないからだぞっ!!」

 涙目になりながらも、少年は近くにあった木の枝を拾い少女をかばうように足音の主に向けて構えた。
 さっきちらと見た妹の膝には、切り傷ができており血が流れ出ていた。どこで怪我したのかわからない。いまは逃げる事に必死でそんなことには気がついていないのだろう。けれど、痛みに気がついたとき妹はきっとまた大声で泣き始めることは容易に予測ができた。もし、あの化け物が一匹だけじゃなかったとしたら妹の泣き声は、自分たちの居場所をわざわざ教えるようなものだ。なんとしてもそれだけは避けなければならない。

「リタ! 一人で逃げろ! それで誰かを呼んでくるんだ!」

 震える腕で必死に平然を装い、妹に向かって兄は叫んだ。
 だが、リタと呼ばれた少女は瞳に涙をいっぱいためてぶんぶんと首を横に降った。

「えぐっ、えぐっ……、リタ歩けないぃ……」

 ぺたんと尻餅をついて、もう歩けないことを主張する妹。そうこうしている間にも、『そいつ』は草木を踏み分けて近づいていた。

 がさがさ、めきめき……

「ひっ」

 リタが小さく悲鳴を漏らした。兄の背の向こう側に、大きな影が現れたからだ。

 ゆっくりと少年は視線を上に上げていく。少年の目線をあたま三つ分上に移動したところに、『そいつ』の『顔』らしきものはあった。らんらんと赤く輝く瞳が、おびえる二人をじっと見据えている。

 ふしゅるるるるるる……ふしゅるるるるるるる……

 ススが詰まってうまく排気できなくなった煙突に似た音をたてて、生臭い呼吸を繰り返す。いま少年と化け物との距離はわずか数メートルのところまで近づいていた。2、3歩前に進めばそのだらりと下げられた両腕の先に生えた凶悪な爪がたやすく二人に届く距離だ。

 恐怖にふるえる二人をあざ笑うかのように、ニタリと口元をゆがめる。その口から、だらだらとよだれが零れ落ちた。

 顔は人間と獣の中間……狼のような肉食獣を人間サイズにして身長を引き伸ばした……とでも表現しようか。つるっとした漆黒の素肌はオレンジ色の太陽光をてらてらと反射して不気味なほどに美しく輝く。少年には、全身に血をかぶっているよう見えた。
 この身体をどうやって支えているのか不思議なほど細い足。その上に不自然に筋肉の盛り上がった上半身がかなりの猫背でのっかっており、脚と同じく腕も細く長い。

 知性、というものがあるのかどうかわからないが、その化け物は今確実に二人のおびえようを見て残虐に笑みを浮かべていた。

「う、う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」

 突如、恐怖心に耐えきれなくなった少年は手にした枝を振りかざして化け物に突進した。ぶぅんっ、と振り下ろした棒が空を切る音が響く。が、次の瞬間、

 ばきぃっっ!!

 派手な音をたてて、たたきつけた枝は真中から折れた。化け物は、そうなることが解っていたのか、かわそうともしていなかった。
 少年の身体がまえのめりに倒れて行く。勢いをつけすぎた事とあまりにもあっさり武器である木の枝が折れてしまった事の相乗効果で制動が効かず、少年は化け物の足元に転がった。どさりと大きな音をたてて、大地に投げ出される。

 ふしゅるるるるるるる……ふしゅるるるるるるるる……

「ううううう……」

 痛みを痛みと認識するより早く、少年の耳にあの息使いが響いてきた。
 立たなければいけない、はやく立たなくてはと気ばかり焦るのだが、反して身体はすでに痛みを主張しはじめていた。

「うわぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜ん、お兄ちゃ〜〜〜〜ん」

 再び少女は火がついたように泣き出した。化け物はその姿をちらりと一瞥すると、とりあえずの獲物である足元に転がった少年のほうに視線を向けなおした。

「ひっ!!」

 視線と視線が合い、いまだおきあがれずにいた少年は硬直する。
 ニタァと口を大きく開けると、びちゃびちゃとよだれが少年の足元におちた。

「う、う、う、うわぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」

 恐怖に顔を引きつらせずりずりと地面を這って懸命に逃げようとする彼をあざ笑うかのように、ゆっくりと化け物は右腕を上げた。長い長い腕の先には、鋼のような爪。振り下ろされれば少年は叫び声さえなく絶命してしまうだろう。

「お兄ちゃん!! お兄ちゃん!! うわぁぁぁぁぁ〜〜〜〜んっっっ!!!」

 妹の悲痛な泣き声を満足げに聞くと、化け物は振り上げた右腕を……一気に振り下ろした!!

 ぶうぅぅぅぅんっっっ!!!

 だが、その時茂みから飛び出してきたひとつの影があった。

 がぎぃぃぃぃぃんんんっっっ!!!

 鋼鉄と鋼鉄を激しく打ち合わせた音。疾風のように現れたその影は、気合一閃剣を振り上げその化け物をよろめかせる。

 なにが起きたのか、その場にいたもので瞬時に理解できたものはいない。

 化け物にとってそれは完全な不意打ちだった。よろめくその隙を見逃さず、さっと切先をおとし腰溜めにした剣をがら空きの胴に繰り出す。わずか一呼吸の間のことだ。

 しゅばっっっ!!!

 細身だが、独特の粘りを持った剣はとっさの防衛本能で後ろに跳んで避ける化け物の胸を浅く切り裂いた。緑色の液体が夕闇の森に飛沫する。

「逃げなさいっ!!! 早くっっ!!!」

 呆然としていた少年は、その声ではっと我に返った。さきほどまで金縛りにあったように動かなかった体も、束縛から解き放たれ急に動けるようになる。割り込んできた影は、村の人間ではなかった。白い鎧、長い髪、小柄だけれどもすばやい動きと抜群の剣技をもった女性だった。けれども、これは少年の妄想ではない。理由はわからないがとにかく助けられたことに変わりはなかった。

「う、うんっ!!!」

 かろうじて少年はそれだけいうと立ち上がり妹のもとに駆け寄った。

 切りつけられた傷の深さよりも突然の出来事にうろたえたように2、3歩退いていた化け物もすでに態勢を立て直し、攻撃目標を飛び出してきた少女に移していた。

「相手は私だよ」

 挑発的な瞳で剣を構え化け物の注意をひく。もともとあまり知性というものがないのか、はたまた傷つけられたことで逆上したのか、化け物は逃げ出そうとする子供たちに目もくれない。

 グオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォッッッ!!!!

 すさまじい咆哮が静かな森を震わす。木々の枝もびりびりと揺れた。

 ぎぃぃぃぃぃんっっっっ!!!

 次の瞬間、再び鋼同士のぶつかり合う音が響く。一瞬の出来事に、少女剣士は繰り出された爪を受けるのに精一杯だった。

―は、はやいっ!!

 驚愕に目を見開く。が、それもほんの瞬きするかしないかのこと。強烈な一撃に身を沈めて勢いを殺すと、軽やかなバックステップで相手と距離を取る。

「おねーちゃんっ!!」

 少年が悲鳴にもにた叫び声をあげた。つづけて化け物の第二撃、第三撃が襲いかかる。胸の傷はぶくぶくと泡を立てて再生しつつあった。

「はやく逃げて!! そして、村の人に知らせて!!」

 必死に化け物の攻撃を押さえながら少女は言った。力では完全に負けている。下手をするとスピードまで相手に劣っているかもしれない。

 空を裂き、左右から繰り出される鋼にも負けぬ爪。対する少女は、剣一本でそれを防いでいる。いまはまだ、なんとか耐えきれているが均衡が崩れるのは時間の問題だ。
 いや、少女が防戦一方なことを考えると天秤は既に相手に傾いている。

「妹さんは守って見せるから、ね?」

 妹をつれて行くか、いくまいか迷っている少年に剣戟の合間に声をかける。できるならいっしょに逃げて欲しかったが、足の怪我が逃げるには邪魔になる。弱音は吐きたくなかったが、この怪物は彼女一人の手にはあまる相手だった。
 だから、少年には一刻も早く応援を呼んできて欲しい。そう思っていた。

「わ、わかったっ!!」

 少しずつ、怪我をしている少女から距離をとるように少女剣士は後ずさっていた。化け物を自分の方に引き付けるという意思表示だ。
 少年もその様子に気がついたのか、歩けない妹に少しだけ待ってろというと、村に向かって全速力で駆けだした。

―ふしゅるるるるるるる……

 意外にも相手の力が自分よりも下だったことに気がついた化け物は満足げに笑う。

「お父様、ホノカに力を貸してください……」

 少女はキッと化け物を見据え、再び剣を構えた。



 少々時間を戻そう。
 村を囲う森が、いまだ夕闇に包まれる前のこと。傾きかけた夕日が地平線の彼方に重なるまでまだしばしの時間がある頃。青年ヒロは村唯一の教会にいた。

「これは、……お返しします」

 ヒロは、手渡されたばかりの肖像画を長老に返した。遥か幼き日の自分と、自分を抱く母、若き父の姿が描かれた肖像。それはヒロの知らぬ家族の姿だった。

「もって、いかぬのか?」

 長老は不思議そうな目で聞いた。が、ヒロの瞳に映る決意の色に、ふむ、と小さく頷く。

「母さんの姿は、まぶたの裏にしっかりと焼きつけました。だからこれは、……俺の旅には必要ありません」

「そうかそうか、わかった。これはわしがまた預かっておこう」

 村一番の老爺はそういって差し出された肖像をもとのように、朱の袱紗でつつみ木箱に入れた。そして、一言付け加えるのもわすれない。

「でもな、ヒロ。これは預かっておくだけじゃからな。絶対にとりに戻ってくるのじゃぞ? わしも老い先短い身ゆえ、早めにとりに戻ってくるんじゃ、よいな」

 長老はやわらかな笑みを浮かべた。その言葉に、青年は目頭が熱くなったがかろうじてこっくりと頷いた。

「まぁ、おまえの場合、出発の前にもう一つ旅の準備が残っているようじゃがな」

 まるで悪戯好きの少年のような表情で、長老はもう一言つけたした。

 いったいなんのことだろう……?

 思わせぶりな言葉と、教会の入り口を見つめる視線にヒロはゆっくり振り向く。

「こんなところにいた!もうっ、さがしたんだぞ」

 と、ナイスタイミングで現れたのは彼の唯一無二の幼馴染、タエコだ。なぜか、少々怒り気味のようである。

「あ……」

 一瞬ののち、青年は彼女との約束を思い出した。運良くと言おうか、まだその『約束』は果たせそうな時間帯であったことにほっと胸を下ろしつつ、ヒロは長老の顔をもう一度みた。
 長老は、目を細めうんうんと頷きヒロに背を向けた。先ほどの木箱をしまおうと物置に向かう。

「ふぉっふぉっ、さあ行くがよい、ヒロ……。若いとはいいことじゃのぉ」

 青年は、立ち去りながら小さくつぶやかれた長老の言葉に、困ったような表情を浮かべながらタエコに片手を上げて応じた。



 村人達の喧騒が遠くの方から聞こえてくる。二人はいま、夕日の見える丘にむかってゆっくりと歩いていた。少々ばたばたしてしまったが、誓いの儀の前に交わした約束を守るため、細い林道を並んであるく。

「広場にいなかったから、ずーっと、探してたんだぞ」

 青年よりも目線分背の低い少女は、そう愚痴をこぼした。

「あはは、ごめんごめん。けど、俺が探したときはタエコいなくてさ」

 口調から、そんなに怒っていないことをよみとってあまり悪びれた様子無くヒロも答える。屈託無く笑う青年。

「もうっ、いーっつもそうなんだから」

 タエコの着ているのは、古くから伝わるこの村の民族衣装だ。日々の生活が精一杯の辺境の地では、祭りのときくらいにしかお目にかかれない。地味で実用本位な無彩色の普段着とは違い、艶やかに染め上げられた布をふんだんに使った儀礼衣装である。タエコの衣装は太陽のようなオレンジ色をベースにしていた。

 この衣装に着替えるため、タエコは家に戻っていた。だからそれ以上、約束を忘れつつあった青年を責めることはやめた。

 ふと、タエコはヒロの持った剣が気になった。誓いの儀の前まではもっていなかったものだ。もし、ヒロの家にあったものだとしても、この緑葉の祭典の日に帯刀していなければならない理由などない。直感的に彼女は、この『剣』がさきほど老神父より渡されたものだと感じていた。そして、なんとなくこの『剣』がなにか未来の不安を予兆させるようだと思った。どうしようもなく不確かで曖昧にではあるが……。

「ね、それよりさ、この衣装、どう?」

 漠然とした不安を払拭させるかのように、タエコは2、3歩先を行きくるりと回転して青年にあたらしくおろしたての衣装を見せた。ヒロが誓いの間に入っている時に、大急ぎで着替えてきたのだ。だから、こうして見せるのも少々気恥ずかしい。

「う、うん、似合ってるよ」

 もっとマシなことは言えないのか、と一瞬だけ少女は顔を曇らせたが、青年の生来の性格を思いだし「しかたないか」とちいさくため息をついた。不器用なのだ、彼は。  タエコはにっこりと微笑んで青年の右手がわに回りこむと、

「いこっ」

 すばやく腕を絡ませた。あまりにも自然な動作だったため、すこしの照れもなく二人はよりそって歩き出した。


 そのときであった。


 グオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォッッッ!!!!


 林道を歩く二人の元に、怒轟が押し寄せた。獣の咆哮を数十倍凶悪にし、その声に衝撃をのせた凄まじい「波」だった。

「な、なんだ……?」

 それは全身の毛が逆立つような、不快感と嫌悪感の入り混じった「黒の波動」とも言うべき聲(こえ)。文字通り二人は立ち尽くした。

「ヒロ……」

 タエコが寄り添ってくる。不安を隠し切れない様子で仔細にあたりに視線をめぐらせていた。なにかがおきている、ただそれだけが事実として二人を包んでいた。
 冷たい汗が背をつたう。ヒロはぎゅっと剣の柄を握り締めると、キッと前を見据えた。波動が押し寄せた方角、それはいまから向おうとしていた丘。距離感のまったくつかめない衝撃であったため、すぐそこからその声の主が現れたとしてもおかしくは無い。ヒロは全身に緊張感をもたせ、いつでも剣を抜けるように構えた。

「タエコ、村に戻れ」

 ヒロはすぐ隣の少女に逃げ出したくなる気持ちをぎりぎり押さえ込み、押し殺すような声で言う。額から汗の雫がほほを伝っていく。こんなにも圧迫感を感じたのは初めてのことであり、只事ではないと認識するのに充分なほどであった。口の中はいつのまにかカラカラに乾いていた。

「だ、ダメよヒロ! あなた一人で行く気でしょ!?」

 はじかれたようにタエコが反発する。なぜか、おいて行かれるわけにはいかないという強い気持ちが沸き起こっていた。からみつけた腕を放せばすぐにでもこの青年は飛んでいってしまい、そして……二度と帰らない人となるかのように思えて仕方が無かった。

「なにが起きているかわかんないんだ、見に行くだけだよ」

 平静を装ってやさしく微笑みながらヒロは答えた。だが、剣を握り締める腕がかすかに震えていることから、無理していることは一目瞭然だった。青年は血の気の盛んなほうではない、むしろ無意味に戦うということに嫌悪さえ抱くほどの性格だ。
 だが、誰よりも強く優れた剣士である。矛盾を感じながら強さを求めていたことも事実であった。そこには父親に対する尊敬と憧れという想いが確固たるものとしてある。

「大丈夫、無茶はしな……」
「ダメ、絶対にダメ! 行くんだったら、わたしもいっしょに行くわ!!」

 タエコも必死だった。無意識のうちに叫ぶような大声で青年に反論していた。おいて行かれたくない、ここでおいて行かれれば、自分はずっと青年を待ちつづけなければならない。そんな気がしていた。

「……」

 真剣な瞳、青年はその視線をそらさずに受け止める。少女の青年を心配に思う気持ちがひしひしと伝わってくるようであった。

「……わかった。いまは、討論しているときじゃない。なぜかわからないけど急がなきゃならない気がするんだ」

 半ば諦めたように、ヒロは早口で言った。

「大丈夫、タエコのこと必ず守るから」
「えっ?」

 一瞬隙を見せたタエコの腕をすっと解くと、剣を鞘から抜き放ち構えた。緊張が空気を伝わってくるような厳しい表情に変わる。タエコもその雰囲気を感じ取り、二、三歩距離を置いた。

「来る……」

 前方の草むらが揺れていた。夕暮れの森をその揺れはまっすぐこちらに向ってきている。偶然か、それともあきらかに二人を狙っているのか。それはかなりのスピードで、迷いがない。

「ヒロっ!! 気をつけて!!」

 タエコは青年の名前を叫んだ。ヒロはいつでも剣を振れるよう全身に力を込め、そして次の瞬間”それ”は草むらから飛び出した!

「!!!」

 タエコが「あっ」と声を上げるのと、出会いがしらに一撃を加えようと剣を振りあげていたヒロの目が大きく見開かれ、急制動でその動きを停止させるのはほぼ同時のことであった。



「うわわわあっ!!」

 予期せぬ鉢合わせに飛び出してきた少年は悲鳴を上げ、駆けていたときのスピードを殺すことができずそのままヒロにぶつかり、跳ね飛ばされてしりもちをついた。

「いてててて……」

 ヒロは危なく振り下ろしてしまうところだった剣をゆっくりとおろした。とはいえ、暗黒の気配は消えたわけではなかったので警戒は解いていない。あくまでも少年を不用意に怖がらせないためだ。
 その間にタエコは少年の元に駆け寄る。少年は、二人より6歳年下のやんちゃ坊主リオルだった。

「どうしたっていうの? ちょっと、大丈夫?」

 タエコは早口でリオルを問いただしていた。少年はそうとう必死に走ってきていたのか、息も絶え絶えといった様子で苦しそうに二人を見上げた。が、次の瞬間自分の目的を思い出したかのように、跳ね起きた。

「ひ、ヒロ! 妹が、リタが!!」

 今にも泣き出しそうな悲痛な表情で、少年は二人にことのあらましを告げようとしていた。だが、思ったように言葉がつながらない。

「ちょっと、落ち着いて。いったいなにがあったって……」

 タエコの質問を遮るかのように、少年は口を開いた。真剣そのものの瞳だ。

「化け物がでて、いまは知らない女の人が戦ってる。リタはそこにまだいるんだ!」

 半ば支離滅裂ではあったが、先ほどの黒き波動のこともあり「化け物」という単語でヒロの中でのイメージは固まった。
 そうだ、なにかわからないが「化け物」がでていてまだそこに「少年の妹」が取り残されている。「知らない女性」が「戦っている」、という部分がよくわからなかったが急いだほうがいいということは解った。ヒロは少年を安心させるようにひとつうなづいた。

「リオル、どっちだ!?」

 およそ信じられる話ではないというのに、青年は返事ひとつでわかってくれた。……もちろん、その前までにさまざまな状況があってのことなのだが少年はそれを知らない。青年が女神から世界の未来を託され、父親縁の剣を長老から与えられて、そのうえ少女との約束を果たすためこの道を歩いていたなど露ほども考えられるはずもない。
 ともかく、村中で誰よりも頼れる剣士のヒロが来てくれる、もう大丈夫だ。そういう思いしか少年にはなかった。どうしてこの場所に青年がいて、そのうえ剣まで所持しているのか、といった疑問など浮かんでもこなかった。

「こっちだよっ!! 案内する!!」

 それまでの恐怖に満たされていた顔とはうって変わって、少年はもときた道を駆け出した。つかれも何のその、といった体だ。

「タエコ、遅れるなよ!!」

 状況の飲みこめていない少女に声をかけながら、ヒロはリオルの後を追っていった。少年の安心した顔とはうらはらに、先にまつ暗き存在の力の大きさを感じていたヒロの表情は厳しかった。
 少年の妹は(もちろん、いま戦っているという女性もだが)もしかしたら怪我をしているかもしれない。そんなときタエコの「力」は必要になる。本当ならば連れて行きたくはなかったが状況がそれを許してくれそうもなかった。

「っ! う、うんっ!!」

 はじかれたように、タエコも二人の背中を追った。



 先に待つものは、世界の歪より生み出された「闇」のかけら……。
 二人は自分の運命と出会うことになると、まだ気がついていない。


To be Continude.

  [Back]  [Contents]  [Next]