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 その街は今、戦いの渦中にあった。いたるところから次々と火の手が上がり、本来澄み渡っているはずの春の空は灰色に染め上げられていた。怒号と悲鳴と剣戟、うめき声と泣き声と血の匂いが入り交ざった昏い空気があたりを満たす。家々は破壊され、逃げ遅れた街の人々は道端に倒れたままぴくりとも動かない。鮮血が大地を赤く染め上げていた。
 ささやかな抵抗さえも許されず惨殺されていったものたちも多い。瓦礫と化した街は妙に埃っぽく、漂う死臭とあいまってむせ返るほどであった。蹂躙者たちの通り過ぎたあとは、すべてそのような景色に様変わりしている。老若男女、地位や階級などを一切問わず等しく与えられた「死」と「破壊」。
 今だ残る街の中心部にそびえる城が、さながら墓標のようであった。ごうごうと音をたてて吹きぬける風は、やり切れぬ死をむかえた魂達の雄叫びか、それとも人の業を哀れんだ神々達の唄う鎮魂歌か。

 ジャリ――。綺麗に舗装されていた大通りもいまは見る影もなく破壊されており、一歩歩みを進めるごと、耳障りな音を立てる。脆くなった敷石は、踏みつけられるたびに細かく砕けて散っていた。

 瓦礫の街。夜の帳が落ちればそこは黄泉への狭間とつながる。街を襲う魔の者がいっそう力を増し、すべての息の根を止め、すべての生命を根絶し、ここが瘴気に満ちた闇の都になるのももはや時間の問題であった。

「――胸糞悪い」

 巨大で分厚い斧をその左肩に担いだ戦士が、敵意と嫌悪を剥き出しにして言った。大きな肩当て、胸部には分厚いプレートがうちつけられた重鎧。だがそれはどこか大雑把な作りであり素肌が露出しているような部分もある。数多くの戦いを切りぬけてきたのがわかるほど、鎧には痕跡がたくさんのこっていた。

「オレはこういうやり方、好かないね」

 意志の強そうな眉毛をキッとあげて、戦士は「つれ」であるもう一人を睨みつけた。気弱な者であれば動けなくなってしまうほどの、凄みの効いた鋭い眼光と声色。

 だが、それは明らかに女性の声音であった。わざとトーンダウンしているのか、それが地声なのかはわからないが、それほど歳をとっていないことは容易に判別がついた。

「まただんまりか? アンタが何をたくらんでるのか知らないけど、オレはいつでも自分の信じたとおりにやらせてもらうからな」

 漆黒の豊かな髪は後頭部で一度結い上げられており、その後無秩序に背中へと流れてゆく。髪と同色の黒曜石のような瞳は、いまや攻撃的な光に満ちていた。その刺すような目つきは、白狼や剣虎といった野生の肉食獣を思い起こさせる。
 日に焼けた彼女の顔の右半面には大きな刀傷があった。高度な治癒魔法であればこの程度の傷痕を消す事くらいたやすいのであるが、彼女はそれを良しとしなかった。曰く「痕は記憶であり、歴史であり、誓いである」のだそうだ。この傷にもなにか思い入れがあるのだろう。

 ふん、と、さも不愉快そう鼻を鳴らすと彼女はスタスタと足を速めた。目的は、この街を死に追いやる事ではなかったはずだ。その思いが彼女をいっそういらだたせていた。

「…………」

 残された「つれ」であるもう一人は、顔のほとんどを覆ってしまっている仮面から、わずかに見えるその口元だけをニヤリとゆがませた。銀髪をわずかに吹きぬける風になびかせながら、その女戦士の後ろ姿を見送る。鋭角的な顎のラインからは、男性なのか女性なのか判別さえつかなかった。


 大陸本土よりわずか離れた西海の島国、ヴィジョンズパレス。霧につつまれる事が多くその神秘的な光景から幻惑の都とも呼ばれ、また数多くの魔術士を有する魔法都市として名を知られるこの街はいま、敵の手に落ちようとしていた。

 だが、後に『魔法都市の惨殺夜』と呼ばれることになるこの一方的な殺戮劇は、まだ幕開けしたばかりであった――。




センチメンタルファンタジー
第二章 霊峰の章
第5話「落日・I」
〜 鎖つながれし、孤高の獣を―― 〜




「まったく……、アキラはどうしてあんな野郎のいいなりなんだ」

 女戦士は不愉快そうにつぶやいた。もう随分と距離は離れているからか、遠慮もなしにズケズケと言っていた。もっとも彼女の性分からすると、すぐそばに相手がいたとしてもなんの遠慮もなく言ってのけるのだが、今日ばかりはその鈍く光る銀色の仮面を見ているのにも不快感が募り一時も同じ場所にいたくなかった。
 『消音』の魔法がかけられた彼女の鎧は、こうして早足で歩いていてもがちゃがちゃと金属音をたてることはない。だが彼女自身としては奇襲をかける時に音を立てないようにというよりは、単純にその音が耳障りだったからというだけの理由で、この魔法鎧を愛用していた。軽い物、魔法障壁を創り出す物など、よりいいものはあるのだが潜在的魔力が皆無である彼女にとって、『魔』を感じさせる物はどうも好きになれなかった。
 まるで重さが無い様に軽がると着込んでいるが、実際は精錬された鋼製で相当の重量がある。肉厚な胸部のプレートにはどこかの国の紋章が刻まれていた。それは一目でわかるほど十分に使いこまれている。

「変な役目、オレに押し付けやがって……、オレは『こっちがわ』についてるわけじゃないって知ってるくせに」

 身長は高く、全体的にがっしりとしたイメージを与えるが、各所には女性的なまろやかさが見え隠れし決して武骨という印象は受けない。手足が長く、逆にこのような戦場は彼女にとって似つかわしくないとさえ言える。顔のつくりも整っており、舞台の上ではさも映えるであろうと思われた。もっとも右頬の大きな刀傷さえなければ、の話であるが。

「あんな気味の悪い奴ぞろぞろ引き連れて歩いてられるかっての」

 なんとも忌々しげに吐き捨てる。なにか心の底から嫌っている素振りだ。燃えるような瞳は、彼女が『侵略者』であることを忘れさせるほどに美しく輝いている。
 あらかた破壊行動の終わった街並みは、彼女にとって苦痛でしかなかった。彼女の故国もこれほどまでに破壊はなされていない。たとえ国は違っていても、理由もわからずに死にゆく街を見るのは心が痛んだ。
 そして湧き上がる怒りの衝動。

「所詮オレは手駒のひとつでしかないってことか」

 ぐっと眉間にしわを寄せ、厳しい目つきであたりを見据える。
 彼女にとって今回の戦いは、はっきり言って不満だらけであった。いや、これは戦いではない。一方的な殺戮なのだ。小さな子供が虫を殺めるのと同程度の認識でしかない。

 ガンッッ!!

 まだ崩れ落ちずに残っていた家の壁を怒りに任せて力いっぱい殴りつけた。鋼鉄製の手甲が石材を砕き、白い破片を飛び散らせる。せめてこうすることでしか、自分の感情を押さえられそうになかった。

「ひっ……」

 ふと、後ろの方で声がした。身体を緊張させ素早く振り向いた彼女の目に映ったのは、膝に擦り傷をつくったちいさな女の子であった。年のころなら7〜8歳か。肩のあたりで切りそろえられたセミロングヘアに切り裂きだらけの服、どうにかして破壊と殺戮をのがれたのであろう少女は、埃まみれですっかりと薄汚れていた。見えている怪我以外にも小さな切り傷や擦り傷が無数にあるだろうことは、確かめるまでもない。

 彼女は無意識のうちに構えていた戦斧から力を抜くと、その刃を大地に突き立てた。ドスンという派手な音を立て、通りに敷き詰められた白い石畳を破壊して刃はめり込む。

「なんだ、ガキか」

 笑顔とは程遠い鋭い目つきで、少女を睨み付けていた。不機嫌なのだ、今は。普段ならもう少し怖がらせまいとするのであろうが、それすら忘れるほどにイラついていた。

「あ、あ、あ……」

 その眼光に射すくめられたように、動きが取れなくなる少女。本来ならば同じ『人間』に出会えたのだから、安堵し助けを乞うような状況なのである。だが、立ちはだかった重鎧の女戦士は少女を拒絶し、決して容易に近寄らせぬ空気を持っていた。  そしてそのとき、少女はこの女戦士が敵であると気がついた。気がついた、というよりは肌で感じ取ったといった方がいいか。とにかく、少女にとってそれは恐怖の対象でしかなかった。その小さな身体が、がたがたと震えだす。

「……早くどこかへいっちまえ」

 どこか寂しげに、彼女は言った。それと同時に、少女から目線をそらす。
 次の瞬間、金縛りがとけたように少女は女戦士に背を向けて走って逃げ出した。よろよろと危なっかしく、転げるように駆けていった。

――この崩れた街の中、どこに行けというんだろうな……。

 彼女はそんな事を考えながら、もう少し優しく接するべきだったかと後悔していた。

 自分は今、魔軍の手先である。志がどうあろうとも、名も知らぬ少女の目には魔の者としか映らない。わかっているつもりだったが、彼女は意外なほど衝撃を受けていた。
 魔将軍と呼ばれ恐れられている存在であるという事実は、どんなに崇高な決意を持っていたとしても失せることなく在りつづけるのだ。今までも、これからもずっと。

 ガッッッ!!

 彼女は拳を硬く握り締め、再度壁を殴りつけた。先ほどの一撃が亀裂を生じさせていたのか、その壁は脆くもガラガラと音を立てて崩れ落ちた。砂埃がもうもうと巻き起こり、あたりの空気をよりいっそう埃っぽくしていた。

『世界を変える為ならば、裏切り者の烙印を押されようとも、反逆者と罵倒されようとも、その意志を曲げはしない。文字通り魔族に魂を売り渡そうとも、それが礎になるのならば一向に構わない。それが私の闘いなのだ――』

 不意に盟友である女性の――先ほど彼女がつぶやいていた、アキラという名の女性の言葉が浮かんで消えた。その凄まじいまでの信念に圧倒され、彼女はともに歩む道を選んだのだ。それ自体、その選択自体には今でも後悔はしていない。してはいないのだが。

 だが、ひとつの街を、ひとつの生命をも残らぬように徹底的に破壊する事が必要な事だったのかどうか彼女にはわからなかった。たとえ国は違えども、同じ人間だ。奇襲も同然の突然の侵攻に、生来の武人である彼女が懸念を抱くのも無理はない。事実、今回の作戦を最後まで反対していたのも彼女だった。

「アキラ、それがあんたの意志なら、今はなにも言わずについていくが……」

 渋面で彼女はつぶやいた。納得する事は出来なかったが、動き出した兵団を止めるにはもう遅すぎた。それが理性というもののない『魔の者』であればなおさらのことだ。


――きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜っっっ!!


 すぐ後方で、悲鳴が上がった。聞き覚えのあるその声は、先ほどの少女のものだ。逃げ出した先で、きっとなにかに出くわしたのだろう。
 侵略者であり、破壊者であり、殺戮者であり、蹂躙者であり、この街の生殺与奪権を与えられた闇の存在――『魔の者』

 だがその忌むべき存在が、今は彼女の仲間であった。彼女の下で動く兵であり、一体で一個中隊とも渡り合えるほどの凶悪な力を持ったその名のとおりの化け物である。

「…………」

 少女の姿が目に浮かんだ。そして、弱い者と対峙する時その相手の恐怖を楽しむかのように、追い詰めて追い詰めてゆっくりなぶり殺しにする魔物の性質もよく知っている。

「……だから早く逃げろって言ったんだよ」

 先ほどまでのどこか迷いのある口調から一転し、怒りに溢れていた当初のきつい口調に戻っていた。キッと、その眉根にも力が入る。

 彼女は地面に突き刺していた戦斧を勢いよく引き抜き、くるりと踵を返して駆け出した。



 もうすぐ暮れようとしている薄茜色の陽光を、不気味に照り返す漆黒の肌。破壊衝動と止めようがないほどの攻撃性を持った闇の存在。体高は成人男性より一周りほど大きく、筋肉質な上半身には狼と人を足したような頭。狂暴そうな顔つきをした魔物は、大きく引き裂かれた口からダラダラと涎を垂らしながら、腰を抜かして動けなくなった少女のまえに立ちはだかる。

 少女は最後の力を振り絞ってずりずりと尻もちをついたままであとずさるが、はっきり言ってそれはまったく意味をなしていない。すぐに崩れた街灯にぶち当たったのだが、少女はまったく気がつかずなおも下がろうとしていた。
 恐怖に射竦められた幼い少女は、がちがちと歯を打ち鳴らせながら涙でぼやける視界でその化け物を見上げていた。叫び声すらももう出すことができず、あうあうと喉をわななかせるだけであった。

――ふしゅるるるるるる……ふしゅるるるるるるる……

 喘息を患った老人のような息遣い、それは生理的恐怖心を煽る闇の吐息。
 足元にびちゃびちゃと汚い音をたてて、涎が落ちてくる。それは整備されていたはずの敷石を汚し、跳ね返りが少女の足にかかった。「ひっ」という短い悲鳴とともに、ビクンと身体を振るわせる。

 魔物は、両手を掲げた。そしてカキカキと鋼の硬度をもつ血に塗れた爪を動かすと、真横に裂けた口を吊り上げる。少女にはそれが笑っているように見えた。

――しゅっっ

 と、次の瞬間、空を切る音が聞こえ少女の頭上を後ろからなにかが通り過ぎていった。そして、トストストスと意外なほど軽い音が続けて三つ聞こえた。あまりにも突然の出来事であったが、魔物の胸に突き刺さった三本のナイフが目に飛びこんでくると、なんとなく自分は助かったのだと思えた。

――が、がぁぁぁぁぁぁっっっっっっ!?

 一瞬遅れて反応し、再度迫っていたナイフを長い腕で叩き落とす。胸から緑色の体液が噴き出し、生暖かい血の飛沫が少女の頬を汚した。カランカランと乾いた金属音を立てて、投げナイフは薄汚れた敷石の上を滑って転がっていた。
 魔物は体勢を立て直すべく、その場を飛びのいて離れる。ナイフはもう飛んでこない。
 らんらんと怒りに燃える瞳で、その闇の者は刃が飛んできた方向を凝視した。

 徐々に沈みゆく太陽を背にし、魔物と少女のすぐそばまでとどく長い影法師を創り出している。巨大な斧と重厚な鎧のシルエットが、少女に先ほどの女戦士だと教えていた。

 魔物は、その少ない知識の中に目の前に立ちはだかる戦士が『服従』しなければならない相手だと刷り込まれていた。攻撃対象にしてはいけない存在、そして自らも攻撃されないはずの存在。仲間意識ではない、あくまでも記憶に焼き付けられた攻撃不可の人間として認識されているだけのことだ。

「オレはオレのやりたいようにやる、さっきそう断ったばかりだよな」

 ハスキーボイスで女戦士は言い放った。ニヤリと不適な笑みを浮かべると、彼女は戦斧を両手で構え化け物にむかって突進した。

 その魔物に、もうすこし物事を考えるための知能があれば、『なぜ攻撃されなければならないのか』迷った事であろう。そして、刷り込まれた誓約に縛られ反撃もせずに打ち倒されたのであろう。
 それがただ単に反射的行動であったのか、それとも誓約が『服従』とは呼ばれていてもそれほどの強制力を持たなかったのか知る術なはない。攻撃不可と刷り込まれていたはずの女戦士に対して、魔の者は怒りの声をあげ牙を剥いた。
 すぐそばの少女の事など、既にわすれていた。今は、肉体を傷つけられた相手が再度攻撃を仕掛けようとしているから、それを迎え撃つだけのことだ。

 魔物は駆けながら胸のナイフを無造作に抜き、女戦士にむかって投げつける。長い腕がしなり、凄まじいまでの速度で打ち出された短刀が空を切り裂く。粘質の濃い体液が、その傷口を瞬時に再生していった。

 相対速度で迫る三本のナイフをいともたやすくサイドステップでかわすと、互いに走り寄ったため一気に縮まった魔物の横を、すれ違いざまに戦斧を振るった。がつっという重い手応え――

「くっっっっっ!!」

 両手でしっかりと握り締めた柄に、凄まじい質量が一気にかかる。上半身が浮きかけ身体ごと持っていかれそうになるが、すんでのところ彼女はそれを強引に押さえ込み戦斧を振りぬいた。
 斬り裂くよりも叩きつけ断ち切るのに優れた造りの斧の一撃は、魔物の身体に深く食い込んだものの今一歩のところで寸断するまでにはいたらなかった。

 だが――、それだけでは収まらない刃の咆哮を少女は聞いた。

「おおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっっっ!!!!」

 胸に斧の一撃を食いこませ『く』の字に身体を折り曲げた魔物を、そのまま大地へと叩きつける。インパクトの瞬間、下方にむけて軌道修正をしたことが功を奏した。
 ついた勢いは止まらず、数度バウンドする魔物に刃を突き立てたまま敷石の上をしばらくすべった。驚くほどのバランス感覚で、女戦士は倒れもよろめきもせずに両足でしっかりと大地をつかんでいた。砂埃をもうもうと上げ、ようやく停止する。

 ゴボッ――、大きく裂けた口から血の塊が吐き出される。魔物は相当のダメージを一撃で与えられていた。
 反撃の隙を与えぬよう間髪いれず、その顔を鋼鉄の打ち付けられたブーツで勢いよく踏みつける。ごきっという剥き出しの牙が折れる音がした。

――グ、グガァァァァッッ!!

 鎧もそうなのであるが、ブーツ単体にしてもなかなかの重量がある。万歳をするような体勢で大地に投げ出されていた魔物を蔑んだ冷たい目で見下ろし、彼女は踏みつける脚に全体重をかけた。勝負は一撃必殺、それが彼女の信条でありこの魔物達に一番有効な攻撃である。
 魔物の身体に食いこんだ大斧を右手一本で軽々と引きぬくと、そのまま右腕の間接部に振り下ろた。ブツンという鈍い音が響き渡り、たやすく刃は敷石まで到達して身体と腕とを寸断した。筋繊維がまとまっている部分は異常なほどの強度を持っているのであるが、それが間接部となるとあっけないほどに脆い。切り離された第二間接以下が、まだ意志を持っているかのようにびくびくと痙攣して転がっていった。

 切断面から鮮血が吹き出し、戦士の斧を汚す。

 魔物は怒りに燃える眼で残った左腕を相手の腹部に突き出したが、彼女はそれを見越していた。だから、わずかに身体を開いてのけぞらせただけで簡単にかわしてしまう。逆にその手首を空いていた左手でしっかりと掴んだ。顔を踏みつけられ、胴から下はいうことを聞かず、右腕は切り飛ばされ、最後の左腕もいまや自由が効かない。

「こうして何人の命を奪った? こうしてどれだけの命を弄んだ!?」

 ギリギリとその左手に力がこもる。なんとか反撃を試みようともがくが、先ほどまで動いていた指先はすでに力が抜けたようにだらりとぶら下がっていた。恐ろしいまでの形相で魔物を睨み付ける女戦士、その手首をつかむ左手に徐々に力がこもっていく。  キーキーと人間でいう『恐怖の悲鳴』をあげながら魔物はなんとか逃げ出そうともがくが、まるで抜け出せない。痛覚などほとんど持ち合わせていないはずだが、そうしてじたばたとする様には生理的嫌悪を覚えて苛立った。

 ベキ、という骨を砕く音が響き女戦士の左手が緑の鮮血で染められた。驚くべき握力で手首を握りつぶしたのだ。

――ガァァァァァッッ!!

 彼女は苦しむ様子を嗜虐的な瞳で見下ろしながら、左右に首を振って鋼の長靴から逃れようとする魔の者にプレッシャーを与えつづけていた。

「ほらほら、反撃してみろ、魔界の生物がこの程度で根を上げるなんて情けないぞ」

 そういうと、戦士は踏みつけていた右足を外しその側頭部をおもいきり蹴った。ゴッ、という鈍い音を響かせ、魔物はごろごろと転がった。今度は数歩離れた場所が緑色の血だまりとなっていく。

――所詮この程度の力しか持たないというのに

 ふとそんな考えが浮かんだ。

 この魔物を統率するのは彼女ではない。実際に支配・使役し、この街を破壊し尽くすように命令を与えているのは『つれ』の方である。彼女はそのバックアップをするため一緒に来ているのに過ぎないのだ。

 ただ、バックアップといえども、そのもう一人の能力はずば抜けて高く援護を必要としているようには思えなかった。どちらかというと、この殺戮劇を彼女に見せつけるためにつれてきたとしか考えられない。

 不意に、数歩離れて横たわっていた魔物の身体が大きく仰け反った。ブリッジをするように弓なりに背中をそらすと、はねる勢いで飛びあがる。わずか数呼吸の間に致命傷に近かった胸の傷が再生しつつあった。

 魔物は女戦士に背を向けて跳躍する。先ほどまでは足への神経系がやられていたために下半身がまったく動かない状態であったのだが、その運動を伝える箇所さえ修復完了してしまえば動けるのも道理。右腕のように斬り飛ばされてはいないし、動くのに制約はない。ただ、これ以上戦いたくはないと本能で悟っていた。かなわないのだ、この『攻撃不可』と刷り込まれていた相手には。

「逃がすかっっ!!」

 豪快な跳躍で瞬く間にその距離を広げていく魔物の、その背中に向かって戦士は叫び声を上げた。こうなることは予測済みである。
 彼女は身体中に力を漲らせていた。どくどくと心臓が血液を送りだし、気の高ぶりを感じさせた。戦斧を両手で握りなおし低く構えると、キッと逃げゆく魔物を見据えた。

 女戦士の周りに球状の蒼いフィールドが発生する。凄まじいまでの重力場が生み出され轟音を立てながら、敷石が円形に破壊されていく。大きさにして彼女の両腕を延ばしきったほどの、エネルギーが凝縮された球体だった。それは魔の力とは別の世界に属する力であり、逆にこの力を有するために彼女は露ほども魔力を持たない。

 大気が彼女を中心に渦を巻く。

 びりびりと鎧が共鳴を起こしていた。寄り好みだけの問題ではなく、この特殊能力の妨げになるため魔法武具はほとんど身に着けられないのだ。しだいに共鳴が高周波になり、聴覚が敏感な魔物は遥か離れた地点にいながらも頭を抱えて苦しみだした。もちろんその中心部にいる彼女の耳にもキーンという耳障りな波動が伝わっていたが、人間であればそれほどの苦痛はない。

「地獄で懺悔しなっっ!!!」

 裂帛の気合とともに、その斧をアッパースウィングで振り上げた。彼女を包んでいた蒼の球体が、衝撃波を伴なって敷石と建物の瓦礫を破壊しながら魔物にむかって突き進む。

――ごぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっっ!!

 迫り来るそのエネルギー体に魔物は動くこともままならず、見入られたようにまっすぐに見据えたまま身体の正面でそれを受けとめた。

 ビシャァァァ――、緑色の血飛沫が球体の内壁に張り付く。

 次の瞬間に球体はそのまますり抜けさらに街並みを破壊しながら飛び去っていった。

――グ、グガァ……?

 まだ仁王立ちのままの姿勢で、魔物は不思議そうに首を回そうとした。したのだが。

 すーっと、身体の中心に線が出来た。表面張力で支えあっていた右半身と左半身に差異が生まれる。その背中側から、勢い良く体液が吹き出した。

 そして――、右側は下に、左側は上に『ずれ』た。

 刹那の沈黙の後離れ離れになった右側と左側は、巨木を倒した時のごとくあたりに振動を残しながら崩れ落ちた。

「脆いな」

 冷酷な眼でその様子をじっと見詰めながら一言こぼした。仲間を殺めたという感慨はまったくなかった。むしろ人間として異種族であるモノを消し去ったという気持ちの方が大きい。

 と、後頭部に迫る何かの気配を感じ、振り向きざまに左手でそれをつかんだ。それは、拳大の大きさの瓦礫。

 見ると、結果的に助けてしまった少女が敵意の表情を剥き出しにして次の石を投げるモーションに入っていた。

 なぜ? という疑問が浮かぶ前に、飛んできた礫を左手の手甲で叩き落とす。カン、という甲高い金属音が響き瓦礫は大地に落ちた。幼い少女の力ではどう頑張っても山なりの放物線しか描けず、あたったところで大した被害ではない。常人よりもだいぶ反射神経の鋭い彼女にとって、それを捌くことは労せず行えた。

 ぎゅっと歯を食いしばり怒りに目を吊り上げた、歳にそぐわないほどの気迫。燃えるような激しい視線は、目の前の魔将軍と呼ばれる女戦士を捉えて離さなかった。

「パパとママをかえせっっ!!」

 涙を必死にこらえ、少女は叫んだ。理不尽な怒りだが、それがすべて的外れなわけではない。助けられたという喜びよりも、最初に感じた『敵』であるという意識が少女をそのような行動にはしらせていた。

「みーちゃんとケイ兄ちゃんをかえせっっっ!!」

 女戦士は真剣な眼差しでその少女をじっと見つめていた。少女の瞳から堪えていた涙がぼろぼろとこぼれ落ちだし、三発目の石礫は見当違いの方向に投げ出された。

「オマエもあのばけものといっしょだっっ! ……えぐっ、うぇっ、うえぇぇぇ……」

 少女の言葉がぐさりと突き刺さった。少女はそのまま泣き出し、うずくまりながらもまだなにごとかを呟いていたが、それはもう言葉になっていなかった。

「……また別の奴が来るかもしれないからな、早く逃げろよ」

 苦しそうに低く酷く聞き取りにくい声でそれだけいうと、その場から逃げ出すかのように彼女は少女に背を向けた。
 何度も何度も自分自身に言い聞かせ、修羅の道を行くことになろうとも挫けないと誓った心が、決して彼女を振り向かせなかった。

 真っ白だった元大通りの敷石には、緑色の汚らしい水たまりがいつまでも残されていた。少女の泣き声は街という大きな墓石に吸い込まれて、――いつしか消えた。



「所詮我らは魔道を行く者、いつまでも現在の幸せが続くと思い込んでいる輩に我らの思想が伝わるべくもないこと……、それはわかっているだろうチエ・フォルツァ将軍?」

 男の声がした。どこかわざとらしさを感じさせる芝居がかった言葉遣い。

 いつのまにか、女戦士のすぐ後ろに仮面をつけた人間が現れていた。まったく気配をさせず、その場に『転移』したとしか思えないほどの突然の出来事に、彼女はピクンと身体を反応させて立ち止まる。
 チエ、と呼ばれた重鎧の女戦士は自分の心の中の弱さをこの仮面の者に気取られてしまったことを感じ、一気に不快感を増した。怒りをあらわにした表情で首から上だけ振りかえると、

「相変わらず悪趣味だな、見ていたんだろう、ずっと。だったらオレを罰しないのか? 大切な『お仲間』を一匹消しちまったんだぜ?」

 敵対心を多分に含んだ口調で答えた。相手の問いかけに対する返事はしない。

「チエ将軍がそれを望んでいるのならば罰を与えてもいいが、今はその時じゃない。それにあの程度の使い魔ならば腐るほど呼び出せる」

 その視線を涼しい顔で受け流しながら仮面の男はチエの前に回りこんだ。その歩みを目で追いながら、自分よりもわずかに背の低い『参謀長』と呼ばれている仮面の男をしげしげと眺める。銀色ののっぺりとした仮面は口元だけが生身のまま露出しており、瞳の部分には紅い水晶が使われていた。
 彼女はまだ見た事はないが盟友であるアキラが言うには、巨大な魔法儀式の時その仮面一面にびっしりと魔法文字が浮かび上がるのだそうだ。つまるところ魔力増幅器の役割を担っているわけであるが、一番の目的はやはり素性を隠すためなのであろう。チエ自身、彼のことに関する知識は皆無に等しかったため勝手にそう思い込んでいた。

 仮面の下にどんな顔が隠されているのか見た事はない。

 それは他の将軍である二人も同じはずであるのだが、彼女がもっとも最後に加わったため知らないだけなのかもしれない。まぁ、彼女自身、この仮面の参謀長のことを知りたいなどとは露ほども思っていないのであるが。

「あの程度の者、か……。ふん、だったらアンタにはこの街を落とすくらいのこと『あの程度の者』の力を借りなくたって出来たはずじゃないのか?」

 彼女にとってやはりこの惨劇は納得が行かないのだった。もっとスマートに、且つ事を荒立て過ぎずに『目的のモノ』を奪うことは可能だったはずだ。
 だがチエの怒りをまったく受けつけず、仮面の参謀長は口元に笑みを浮かべた。

「君が私をそこまで評価してくれているとは、意外だったな」

 彼女から数歩離れたところで腕を組み、血のように紅い夕日を背にして満足げに言う。くくく、という低い笑い声をもらしていた。

「だが、これもすべて必要な事だ。今後の布石として」

 歴然とした力の差をはっきりと知っている彼にとって、所詮彼女は駒のひとつにすぎないのかもしれない。それゆえ、こういった侵攻の際に本来の目的がはっきりと告げられた事などほとんどない。チエにはそれが多いに不満であった。

「…………」

 チエは押し黙ったまま、男を睨み付けていた。そう――、この攻撃的な眼が良いと参謀長が評価していたとは気がつきもせずに。
 男はその表情を満足げに見つめると、口元に冷笑を浮かべながら一言付け足す。

「わかっていると思うが、君の双肩には故国の数万という民の命が預けられて……」
「それ以上言うなっ!」

 それまで必死に堪えていた激情を顕にし、チエは叫んだ。男の言葉をさえぎり憤怒と憎悪に燃える瞳でさらに激しく睨み付ける。力いっぱい握り締めた右手と、食いしばった歯からギリギリと音が聞こえてくるようだった。

 一瞬の沈黙の後、参謀長は口を開いた。

「ならば、私の指示にしたがってもらう」

 淡々と、口元から笑みを消し、彼本来の性質を垣間見せる言葉遣いであった。

「っっ!!」

 それは、人質というにはあまりにも大きな『国』という規模の彼女を縛り付ける鎖。

 南大陸随一の軍事国であり、難攻不落の城塞都市と噂に名高いレディンスヒルの街は今や、魔の手に実権を握られていた。
 そして戦士団団長を若くして勤めていた彼女に、その未来のすべてがゆだねられている。生来の武人で実直な性格の彼女にとって、魔の手先となることはあまりにも酷な仕打ちであったが、そうするしか他になかったのだ。

「……わかった」

 急速に冷めていく感情、ゆっくりとチエは頷いていた。ともすれば押し潰されてしまいそうなほどの重責を背負いながらも、決して卑屈になることのなかった心の強さを持つ彼女である。冷静になれば、ここでこの男と討論しても、さらにそこから戦闘に発展したとしても意味のない行為であると気がついていた。

「城を落とし、日が沈む前に目標を手に入れる」

 短くそれだけ言うと、男はチエに背を向けた。漆黒のマントが瓦礫と化した街を吹きぬける風に弄ばれて舞う。この血生臭い廃墟の町には不釣り合いなほど、仮面の男の足取りは優雅で軽やかだった――。




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