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 街の中央に位置する『城』と呼ばれる地域の周辺ではまだまだ激しい戦いが繰り広げられていた。突然の侵攻に、なんの準備もしていなかった市街は一気に占拠……いや破壊されてしまったが、常日頃から魔法兵の詰めている『城』は違う。ぐるりと深い堀に周りを囲まれ、わずかに街へと連絡する橋の上では、組織化された守備兵達がなんとかその攻撃を食い止めていた。

 聖なる力で清められた水を満たした堀は魔族の侵入を拒み、空を飛ぶか僅かに造られた橋を行くしかなかった。強靭な跳躍力でその堀を超えようとする魔の者もあったが、空中の無防備な状態を魔法で打ち落とされ水面に墜落して飛沫を上げた。そうなれば恐ろしいほどの生命力を持つ魔族といえどももちろんただでは済まず、もがきながら闇へと消えるのみとなる。

 城から外部への橋は六本あった。だが、そのうちの五本が既に守備隊達によって落とされている。人員不足からその六本すべてを死守することは不可能と判断し、自らの手で破壊したのだった。石造りの広い橋はたくさんの魔物とともに粉々に砕けながら聖なる水面へと消えた。橋はまた造りなおせばよいが、人の命はそうはいかない。

 最後にのこされた橋の上は今、決戦の真っ只中であった。

 赤い閃光が唸りをあげて、迫りくる魔の者を吹き飛ばす。魔力の収束された紅の刃は、闇に属する魔物の身体を貫くのだが、それだけでは決定的な傷にはならない。彼らはもちろんそれを承知の上で脚止めをしている。
 魔法都市とよばれるこの街でも、純粋に攻撃魔法に長けた者はわずかである。低レベルなものならばともかく、高位の破壊のスペルを扱える人物は数えるほどしかいない。そして、そう言うものたちは街を蹂躙する魔物を討伐するためにすべて出払ってしまっている。守備隊は守備隊として最善の行動を取らなくてはならなく、攻撃隊が帰ってくるまではなんとしてもここを護りぬかなければならなかった。

 昼過ぎに突如現れた魔物達との戦闘も、かれこれ数時間が経過している。見る間に街は破壊されて行き、兵たちのなかには自分の家族を護ろうとその役目を放棄するものも多かった。だから、この場には最小限の人員しか残されていない。

 夕焼けが破壊の爪痕を毒々しいほどに赤く写し出す。真っ赤に染められた大通りは、太陽の照り返しだけでそのような色になっているのではないと一目瞭然であった。

「た、隊長!! も、もう限界です!!」

 まだ若い兵が悲鳴にも似た声をあげていた。

 倒されても倒されても、また立ち上がり牙を剥く化物たち。守備兵達の魔力も無尽蔵ではなく、徐々に敵の包囲の輪は縮まりつつあった。

「あきらめるな、ここで我らが引く事は中の子供達の死をも意味するんだぞ! それに、戦っているのは私達だけではない、遥か遠国の大使殿までも死力を尽くしてくれているのだぞ! ここで逃げ出すわけにはいかん!!」

 弱音をはく部下を叱咤しながら、口ひげを携えた壮年の守備隊長は魔物に焔の矢を投げかけた。もちろん、その視線はずっと魔物を捕らえて離していない。
 逃げようと飛びあがる魔物をおって、炎の方向が変化する。轟音を上げて追尾してきた矢が着弾し空中で真っ赤な光が爆ぜた。石造りの橋の上にその魔物が墜落しわずかに足元が揺れたが、ここはとくに頑強に造られているため崩れるほどではない。
 低レベルの攻撃用魔法だが、実弓よりも効果がある事はわかっている。数分程度の脚止めも重なり合えばだいぶ時間が稼げるのだ。

「で、ですがっ!」

 一度恐怖に取りつかれてしまった青年の気持ちはすでに敗走に傾いてしまっている。普段は負けん気の強い好青年であったのだが、こういった激戦は初めての経験であり未知の敵に対する心がまえは出来ていなかった。

「馬鹿者っ! これ以上、どこに引くというのだ!?」

 それまでずっと正面を見ていた守備隊長が振りかえった。これ以上ないほどに決意に満ちた表情は、普段の優しい上司を忘れさせるほどのものであった。鬼気迫る表情、というのはきっとこういう顔を言うのだろう。

「私は死ぬ気などさらさらない! なんとしてもここを護りきり、侵略者達を排除するまで戦いつづける!!」

 多くの人間から信頼され慕われてきた男の、激しく燃え盛る瞳がその青年を捕らえて離さなかった。彼は心の強い男だった。魔力はそれほど高くない……いや、むしろこの守備隊のなかでは低い方であったが、隊長に抜擢されるほどの心の強さがあった。

 彼らの背後には、この街でもっとも重要な施設が控えている。水晶をふんだんに使った魔術研究棟、クリスタルパレス。なんとしてもここだけは死守しなければならかなった。稀代の魔力を有する女王が、その任を果たすまでは――。




センチメンタルファンタジー
第五話 「落日・II」
〜 時の流れ、絶え間無く続き―― 〜




 ビジョンズパレスの街、そこには正確に言うと『城』という物はない。他の国のような『王』という概念がないからだ。もちろん、国を束ねる立場の者はいる。便宜上その者を王や女王と呼んではいるが、あくまで国の代表としての権威であり実際にはその存在・身分自体に格差というものはない。

 聖なる運河に囲まれた、水晶の塔を中央に抱く城と呼ばれる地区。内部にはたくさんの魔術施設があった。召還実験場、付与魔法研究所、すべての攻撃魔法を吸収するという無限の部屋、治癒魔法を解析するための神殿などなど、あげればきりがない。
 ともかく、それがこのビジョンズパレスの中枢であり執政を行う場所であった。敵の目的がなにかわからないが、ここを狙っている事は紛れもない事実だ。

 その一連の魔術研究施設の中を、女王と呼ばれ慕われる女性が早足で歩いていた。護衛や召し使いといった供の者は一切つけず、彼女はひとりある施設に向かっている。それもそのはず、彼女がこの国でもっとも魔力の高い女性なのだ。生半可な護衛はただの足手まといにしかならない。
 金のショートヘアに褐色の肌、ぴんと伸ばされた背筋、背は高くすらっと通った鼻筋とキリッとした眉、切れ長の水晶のような紫色の瞳が非常に美しい。左側頭部には、装飾の施された金の髪飾りがつけられており、その他にも胸元や腕に宝石のついた飾りを身につけていた。これらは王女の証しであり、魔力石を用いた魔力の増幅器である。
 白を基調とした上品な巻きスカートを、今は歩きにくいために少々持ち上げて進んでいる。既に結婚適齢期の過ぎた妙齢の女性であり、脚を露出するのはためらわれたがそれを気にしていられないほど事態は逼迫していた。

 腰からは一本の魔法棒が下げられていた。世界創生神話の後、初めて破壊神がこの世界に姿をあらわした時に、その魔を封印せしめた勇者が有していたと言い伝えられているワンドである。その由来より勇者の名をつけられた、この街にある最高クラスの魔術工芸品であった。

 ――サリィ・イルヴァナ、それがこの国を治める彼女の名である。

 魔を封じた勇者が最後に訪れその骨を埋めたといわれるこの地、ビジョンズパレスには英雄の血脈が今も絶え間なく続いているという。その勇者の魂を受け継ぐ者が一代に一人ずつあらわれ、この街を統治しているのだ。もともと肌の白いこの地方の人のなかで、英雄の魂を受け継いだ者は褐色の肌をもってして生まれ出でるため、それは容易に判別がついた。生み落とされたときから高い魔力を有し、わずか数歳で大人顔負けの知識と魔法を身に着ける。その者にとって、それが本当に幸せなことがどうはわからないのだが、少なくとも彼女自身は自分の役割は嫌いではなかった。先代の王がどう考えていたか知る術はないが、自分では納得し気に入っていた。

 この街は英雄が愛した街である。規則正しく配置され大地に魔力を満たす街並みも、貧困や身分の格差などがない統治システムも、すべて勇者の残した偉業であった。

 だから、サリィもこの街を護ろうと誓った。その時から、自分の幸せを考える事など捨てる覚悟は出来ていた。



 音もなく扉がスライドし開いた。採光に工夫を凝らした、低魔力の明かりのみで照らされる第7研究所。そこは、主に召還術を勉強する者達のための棟である。なかでも、とりわけ「出来の悪い」生徒が詰めている場所だ。

 相変わらずの厳しい表情で中へと進む。彼女は一人の少女を探しに来ていた。

――さて、どこにいるのでしょうか。

 非難命令が発令されているし、よもや外にでているとは思えないが、召還場にいるということなら考えられなくもない。目的の少女の性格を考慮するとなぜか、みんなで固まっているよりも広い部屋で一人でいる場面が漠然と脳裏に浮かんでいた。  それは確証もなにもない、単なる勘に過ぎない。過ぎないのだが、

――あの娘はそういう娘……、でしたよね。

 サリィは緊張にこわばった顔をふっとほころばせて、研修生待機室へ向かっていた足を召還場へと向けなおした。


 研究施設内はおろか、その入り口にも施設外の詰め所にも警備兵や守備兵は皆無であった。動けるものはみな迎撃守備にではらっており、避難のとっくに完了した中心部はむしろ閑散としてさえいた。強固な魔力壁に守られたここには兵など必要ない。
 とはいえ、突破されればそれで終り、状況は決して明るいものではない。むざむざと殺されていった街の人々のことを考えれば胸が痛むが、せめてここに避難できた人達と、まだ魔力の弱い子供達を護らねばならないという決意に皆が燃えていた。

 実際のところ、街に生まれたすべての子供たちが魔力を有しているわけではない。魔法都市といえども、すべての民が魔法を行使できるわけではないのだ。

 神の悪戯とも呼べるほど稀少な治癒魔法の素質を持った者たちに比べ、全体数としてかなりの人数が魔法を使えるのであるがそれでもそういった人々はいわゆる選民である。魔法として発現できない微弱な魔量の人間がほとんどなのだ。

 しかし、魔を有するものと有さないものの間に格差はない。彼らには選民意識という物がない。なぜなら、魔を有するものは徹底的に教育を受けその力をみだりに使わぬよう定められているからである。それだけではない、力を有するもの達の心の中には英雄の魂が宿されているのだ。だからこそ争いや貧困のない平和な国として栄えてきた。
 もともと火山灰質の痩せた大地ゆえに、農業力という面ではいくら地を魔力で満たしていても生産力に乏しかった。深い霧に包まれ陽のあたらない日が何日も続く事があり、実際の緯度よりもずっと自然は厳しい。それゆえ力を合わせるという事が必然となっていたのかもしれない。

――敵の目的は……、やはりあの娘なのでしょうか?

 協力国として抱き込むにしては、敵はあまりにも派手に破壊の限りを尽くしている。ここまで一方的にやられて、だまって敵のいいなりになるつもりなど民の誰一人も思ってはいないだろう。その命がつきようとも一矢報いるのが、英雄の魂を引き継ぎたる者達の選択だ。

――けれど、そうなった時一番不幸をこうむるのが他の子供達……

 思案に顔を曇らせながら、召還場の扉の前に立った。扉に設置された黒石のプレートに手のひらをかざすとそれはぼんやりとオレンジ色に発光した。中で実験が行われていないかを調べ、また、その人物がこの部屋に入ってもよいかを確かめるための作業である。

 すっと扉が開いた。もちろん、その扉にはサリィを拒むべく理由はない。

 ぼんやりとわずかな明かりに照らされた部屋は、大雑把に言うと球を半分にした形をしていた。大雑把にというのも、部屋が入り口よりも幾分低く造られているからだ。いわゆるところ球の3/5の形なのである。召還術の安定をとるためこのような形に作られているのだが、長時間中にいると方向感覚がなくなる部屋として有名だった。
 部屋の広さは大人が両手を広げた感覚で五人並べる程度のもので、中規模の召還実験をおこなう目的で造られている。さらに大きな召還陣をもつ部屋がクリスタルパレスの地下にあるのだが、現在ではその部屋を使うのに足りる魔力を持った者がいないため開かずの間と化していた。女王サリィも、召還術は不得手である。

 部屋の中心近く、ほの明るさのなかに一人の少女が座っているのが見えた。先ほどから探していた目当ての少女である。両腕で膝を抱えるようにしてしゃがみこみ、その膝に顔を埋めているようだ。かすかに震えているのは、泣いているからだろうか?

「やはりここにいましたか」

 サリィは優しげに微笑みながら歩み寄った。研究棟に入った時から、スカートのすそを持ち上げるのはやめていたので、布と床石がすれる音がわずかに聞こえていた。

「女王さまぁ……」

 少女は既に泣き濡れた顔でサリィを見上げた。ここに来る事を見ぬいていたかのように、女王が現れたことに対しての驚きはなかった。
 年のころなら13〜4歳か、大きめの瞳に涙を湛えている様は童顔である少女をさらに幼く見せていた。頭の左右で縛った髪の毛は明るい栗色で、顔を上げる動作とともに揺れた。しゃがんでいるからか、余計にその身体が小さく見える。

「みんなが、みんなが、もう死んじゃうっていってるんです、敵の強い人が来てるからみんな殺されちゃうって。……でも、嘘ですよね、そんなことないですよね? ガル隊長は強いし、女王さまだっているし、負けないですよね?」

 ぽろぽろと涙をこぼしながら、少女はサリィに訴えかけていた。敗北の空気は事情を知らないはずのこんな内部にまで伝わっている、改めてそのことを認識した。
 サリィは膝をおり、視線を少女の高さに合わせた。背が高く、ともすると男性に見られなくもない刈り込んだ髪形の麗人は紫色の瞳を少女に向ける。すっと、その手を伸ばして少女の涙を拭った。

「泣いていると、可愛い顔が台無しですよ」

 人差し指の背中で、最初は左側、次に右側と涙の跡をなぞる。無論、それだけで拭えるはずはないが、そうしてもらうことによって安心する気持ちがある事も事実だ。ローティーンの少女の肌は、泣き腫らしているとはいえ十分に柔らかく滑らかだった。
 必死に涙を堪えようとする少女を優しく見つめながら、サリィは言葉を続ける。

「……真実はいつも残酷です。だけど、その真実から眼を背けないで、と、教えたはずですよね」

 優しい表情の中に、真剣な眼差しが現れた。言葉の内容を感じ取り、少女の顔つきがさっと暗くなる。

「じゃあ、じゃあホントに……」

 そんな事はないと言ってほしかったその唇は、遠まわしな否定を紡いでいた。あまり感覚の鋭い方ではない少女にとってもそれは容易に理解しうるものだった。止まりかけていた涙の雫が、再度溢れ出しそうになる。

「……悔しいですが、敵は強い……。皆がいま奮闘している頃でしょう」

 憂いを帯びた女王の瞳。本来ならば自らがその矢面に立つべきであるのに、その立場から最後に控えていなければらなぬ歯がゆさがあった。

「……やだよぉ、みんなが死んじゃうなんてそんなの嫌だよぉ……」

 ひっくひっくと、すすり上げながら大粒の涙を止めど無く溢れかえさせる。涙の堰が切って落とされたように、その少女の悲しみを迸らせていた。純粋さ故の涙――、

「泣かないで、まだ負けと決まったわけではないのですから」

 サリィはそんな少女の姿を見、それまで決めあぐねていた決意を固めた。

「私がここに来た理由は、あなたに手伝ってほしかったからなのです」

 最後の手段に一婁の望みをかけて、女王としての大儀を果たさねばならない。そう、自分の命をささげても、この国をかけてもかえられないものがある。

「手伝う……?」

 ごしごしと涙を拭うと、少女は不思議そうなかおでサリィを見上げた。褐色の女王は、そっとその少女の手を包み込むように握り自分の胸に抱いた。

「そう、敵を倒すため……そしてみんなを救うため……。手伝ってくれますか?」

 弱々しい微笑みだった。はっと息を呑むような、普段ならば決して見る事ができないであろう表情。『笑顔の仮面』をかぶると言われるほどのポーカーフェイスで、本当の想いを伴なった顔など人前ではめったに出さない彼女も、その事の大きさに気持ちを隠してはいられないのであろう。本当は、少女を不安がらせないためにも、いつもの優しい面持ちを保っていたかった。

「……はい」

 しばしのあいだ、その悲しげな瞳に目を奪われていた少女。やがてこっくりと頷くと、もう一度涙を拭ってすっと立ちあがった。女王もそれに会わせて立ちあがる。

「それでは参りましょう。パレスの地下に準備を整えておきましたので」

 少女の決意に燃える瞳をまっすぐに見つめ返し、女王もひとつ頷いた。
 心の隅にある『後ろめたさ』は、幸運な事に気づかれてはいなかった――。



 夕日がその半分近くを地平線の向こうに沈ませつつあった。街はその言葉どおり紅く染め上げられている。破壊の限りを尽くされ、その殺戮者たちが移動してしまったあとの地区ではもう何一つ音を立てるものがなく、不気味な静寂を保っていた。邪魔な遮蔽物がなくなった事で、いつもならば見る事のできない空と大地の境目がはっきりと見る事ができる。……もっとも、それを感動の眼差しで見るものなどすでにいるはずもないのだが。

「なかなか頑張っているみだいだな、向こうもそれだけ必死という事か? ふむ」

 激戦を繰り広げている『城』へと続く唯一の橋。その前に魔物とは違う二人の人間がたどり着いていた。仮面の魔軍参謀長と重鎧の女戦士チエである。

「所詮『この程度の者』なんだろう?」

 たっぷりと皮肉を込めた言葉でチエが言う。仮面の男の右側、一歩後ろに下がったところで戦斧を肩にかけながらの呟きだ。
 刷り込みが効いているからか、はたまた仮面の男の力に本能的に逆らえないと判断したのか、魔物の一匹も二人のそばには寄ってこなかった。それどころか、二人に路をあけるがごとく飛びのいている。チエにとってはそれがまた不愉快なのであったが……。

「あいかわらず辛辣な言葉だな、耳が痛い」

 皮肉を皮肉ともうけとらず、口元に笑みを浮かべて答える。チエは、どこか作りものじみた参謀の冷笑にぞっとした背筋の寒さを覚えていた。

「人間も少しはマシな抵抗をするって事がわかっただけ、今回の収穫だ。次はもう少し戦力になるようなモノにしよう。……さて、ここからは私の仕事だ」

 指をパチンと打ち鳴らす。すると、ある程度の距離を置いて控えていた魔物達がいっせいに暗がりに包まれつつある街へと散った。

 ――皆殺し。

 そう、それは刷り込まれた最優先事項が「街の破壊と城への攻撃」から新たな命令に変えられた瞬間だった。手当たり次第に破壊の限りを尽くしていた闇の者達であるが、いまだ街には隠れ潜んでいる者がたくさんいることを男は知っていた。最下層の手合いには、そのレベルの掃除がお似合いだ。

「ところでチエ将軍、そう言う君はどの程度のモノなのかな? くくっ」

 その言葉にチエはカチンときたが、すんでのところでこらえた。噛み締めた奥歯がぎりっと憎々しげな音を鳴らしていた。
 だが彼は、そんなチエの様子などまったく意に介す素振りをみせずゆっくりと橋の袂に移動する。嵐の前の静けさか、はたまた魔物をさがらせたった一人現れた珍客を侮っているのか、守備隊からの攻撃の手は止んでいた。

 数体の燃えかすの残る石造りの掛け橋の上は、異様なまでの静寂に包まれていた。

「さあ、いこうか」

 腕を組んでゆらりと立つ。あまりにも無防備なその様は、多くの人の目から滑稽に見えた事であろう。だが、少なからず魔力を有する魔法兵達には、その姿が何十倍にも大きく映っていた――。



 嫌な予感がしていた。そして、彼の予感はいつもながらによく当たる。水路を隔ててその向こう、突如現れた魔物ではない敵とその行動には背筋が凍るほどの寒気を覚えた。本能が攻撃してはならないと叫びをあげる。冷や汗が額に浮かんでいた。

「た、隊長……あのみょうちくりんな男はなんですか?」

 なんとかここまで持ちこたえてきた守備兵の一人が、沈黙に耐え切れずにそう言葉を漏らした。彼もまた、うすうすにではあるが感づいている。底知れぬ敵の力の強大さを、有する魔力の断片が警鐘を鳴らしながら教えていた。

「わ、わからん……だが、いままでの奴らとは……か、格が違いすぎる」

 わななく喉からかろうじて声を絞り出すと、震える膝を必死に落ちつかせようと試みていた。ごくりと、だれかが唾液を飲みこむ音までがはっきりと聞き取れるくらいしんと静まり返っている。
 たったの数名で守ってきたここも、もしかしたらこれまでなのかもしれない。どこか自分の事ではないようなぼんやりとした思いでさえも、今は妙に身近に感じられていた。

 ――だが退く事はできない。

 そうだ、それだけは彼らにとって譲れぬことである。ここで退く事は守備隊である以前に、男として出来るはずなかった。

「いいか、私の合図で一斉にしかける。全力をだせ」

 冷や汗が頬を伝う。せめて不安を感じさせぬよう、震える喉を必死におさえ込み短く指令をだした。既に視線はその男にくぎ付けであり、そらす事すらもできなかった。
 信頼する隊長の言葉にみなかろうじて頷くと、各々がもっとも得意とする攻撃の手を繰り出すための準備に入った。ワードを唱える者、魔印を紡ぐ者、無言で精神を集中させる者、それぞれに違うが思いは一つだ。

 ここを守りぬく。

 魔力が収束していく。長時間にわたって、この場を守り続けていたため疲労もピークに達していたが、みな最後の最後まで戦い抜く気でいた。だからこその団結力であり、それが英雄の末裔である彼らの誇りでもあった。

「――3、」

 カッと眼を見開いた隊長が雄叫びにも似た大声を出す。ザッと大地を硬く踏みしめる音が響き、掌に光が宿った。

「――2、」

 ある者は拳を振り上げ、またある者は胸の前で両手を交差させ、その時を待った。みなの視線が集中するのは橋の向こうの一人の男。

「――1、」

 だがその仮面の男はなにをするでもなく、じっと佇んでその様子を見守っていた。腰から下げた剣にも、まったく手をかける気がないといった態度だ。相変わらずの冷笑を口元に浮かべ、攻撃される時を待っていた。


『0』の声と同時に、八連の魔光が煌いた。


 轟音を上げて火球が迫り、紅い光の刃がまっすぐに打ち出され、大地をはって炎が襲いかかった。凄まじい振動波が空を切り、石礫がそれを追いかけ、電光が閃く。断続的な洸弾と、剣の形をした光の矢が唸りを上げて迫った。それらは確たる意思を持ち、わき目も振らずに目標へと向かった。

 誰もが勝利を確信した。いくらなんでも、この攻撃には耐えられまいと思った。
 それほど息のあった攻撃であり、先ほどの魔物をも一撃で粉砕できる威力があった。

 だが、――相手が悪かった。なにしろ悪すぎた。


「もう少し頑張ってほしかったがな」


 仮面の奥の瞳が妖しく光る。すると、すぐそばまで迫っていた光のすべてが失せた。何事もなかったかのように魔力は中和されかき消えていた。身じろぎ一つせず、あまつさえ組んだ腕さえといてない。

 橋の向こう側では、哀れな抵抗者たちが呆然と立ち尽くし驚愕に眼を見開いている。魔法障壁でさえぎったわけでもなく、ただ純粋にすべてをキャンセルしてしまうほどの力。そんなこと人間にはできっこない、ありえない力であるはずなのに……。

「人であるがゆえの枷だな、それ以上の力を望むならばやはり人である事をやめるしかない――」

 誰にいうでもなく、魔軍参謀は呟いていた。そして一歩、前に足を踏み出す。

「先を急ぐとしよう。チエ将軍、いくぞ」

 参謀は反撃の素振りすら見せなかった。ただその前に立ちはだかり、魔法を打ち消して前に進んだだけだった。だけだったのだが、

 チエははっと息を呑んだ。
 敢然と闘いを挑んできた八人の姿が、既にそこにはなかったのだ。

 断末魔の叫び声も、恐怖に打ち震える表情も、憎悪に溢れる想いもなにもない。さっきまであったはずの生命の炎が、一瞬にして吹き消されていただけのことだ。そして後にはわずかに揺らぐ白煙さえも残らない。人の体臭を極めて薄くした、ほんのわずかな香りだけが残滓となってのこったが、それもわずかの間に周りの空気に溶けて消えた。

 それまで『あったもの』が今は『なくなっている』、ただそれだけの事であった。

 もはやこれは反撃とかそういうレベルではない。そう考えると、この気丈な女戦士でさえも、この小男に対して恐怖の念を抱かずにはいられなかった。事実上魔軍を束ねている存在であり、彼女と同じく将軍と呼ばれる他の二人が心服を誓う男。

 チエは知らず知らずのうちに珠のような冷汗を額に浮かべていた。戦斧の柄を握る腕はわずかに震えている。心の底からくる恐ろしさは、心臓に焼き印を押されたがごとく絶対に忘れえぬ記憶となった。

――だからオレをつれてきたのか!?

 怒りがこみ上げる。完全なる殺戮劇を繰り広げることが、チエに対して恐怖を刷りこむためだけに行われているとなれば、それはもう悔しくて仕方がなかった。
 ぐっと眉間に力をこめ、彼女は気が落ちつくのをまつ。今は、耐えなければならぬ時であった――。




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