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 逢魔ヶ刻、とでもいおうか。

 誰も居ない命の鼓動のない街に、破壊を逃れた魔法灯が明かりを燈し始めていた。風に揺らぐ事もなく、ただ光るためだけに光る。誰のためでもない。空が濃紺に支配され、闇が訪れるまで後わずかの時間。
 今宵の変貌ぶりをいったい誰が予測できたというのか? 願わくばそれは悪夢であってほしかった。悪夢であれば、目覚める事で難を逃れる事ができる。破壊も殺戮も、すべてが幻と消える。

 だが、街は夢から醒めない。その眠りから醒める事は永遠にない。失われてしまった命は決して戻る事はない。それは神の定めた摂理である。
 とすると、人が人として生きる為、同じく人と争わなければなぬのもまた神の定めた摂理なのだろうか? 

 ――否。

 神話によると本来人と神とは同質のものである。母なる混沌より生み出されし変革と安定を望む二神、そのぶつかり合いで生まれた大地と生命は、神が身体を引き裂いて生み出したその他の神々や魔族と呼ばれる邪悪な存在とは違う。だからこそ人間は栄え、無限の可能性を秘めている。

 人と人とが争う事は、自由意志を持つための断ち切れぬ鎖であり『業』であった。

 だが魔と人の争いは、どうなのであろうか? それを先導しているのが人である場合はどうなのであろうか……?




センチメンタルファンタジー
第五話 「落日・III」
〜 淡き幻抱き、光駆ける―― 〜




 女王と少女は、『城』の中心部にある水晶の魔塔にやってきていた。魔力を増幅する法儀の施された、この街最大の魔法陣を備える建築物だ。限りなく澄んだ純結晶の法殿は、夕焼けと遠く街の火を照り返して燃えるような橙色に染め上げられていた。

 地上部は五層、地下部は十層とも二十層とも言われる、もっとも巨大な建物。その内部にはたくさんの部屋が存在し、それぞれがそれぞれの儀式に適するように造られている。もっとも地下部では水晶の使用率は低く、他の研究施設と設備自体はほとんど変わらない。だが、一つ一つの大きさは郡を抜いて大きかった。ここにすべてが集約されているといっても過言ではない。
 この世界の建築技術レベルを考えれば、一般家屋は二階が限度であったし王城であってもよほど巨大でなければ五層も内部に持つ事はできなかった。それだけでもこの塔は驚嘆の対象であるというのに加え、加工の難しい水晶がふんだんに使われているのだ。古来よりこの地は水晶の産出が確認されていたのだが、それを加工する術がないということでまったく見向きもされていなかったという。

 この塔には魔術と建築術の粋が結集されている。建国時、最も初めに造られたもの……そしてこれを囲むように街が発展し人が住んだ。伝説の英雄が都市計画を立て、造り上げた聖なる街。それがビジョンズパレスである――。

 女王は少女の手を引いて、地下へと向かった。目指すは地下六層目。
 緩やかな傾斜をつけながら回るように地下へと降りる階段を、二人は急ぎ足で駆け下りていった。先ほどから黙ったままの女王の後ろ姿を、少女は不安げな表情で追った。


 そこは、広い円筒形の部屋で、床に描かれた大きな魔法陣が特徴的な部屋だった。
 水晶製の太い柱が建てられているほかにはなにもない殺風景な部屋だ。

 元来魔法陣というものは、そのなかになにか異質な物がある事を嫌う。巨大な物であればその異質なものを無視して機能するのだが、いくら大きいとは言え室内に収まるようなものでは魔力の発現の邪魔になってしまうだろうと思われていた。
 だから、この部屋は随分と使われていなかった。開かずの間となっていたのだが。

「つきました」

 両開きの扉を大きくあけ放つと、連鎖的に部屋の中に明かりがともった。それは蒼白く陰湿で、少女はあまり好きに慣れなかった。女王はスタスタとその中央部にまで進んで行く。追いかけるように少女もそれに習った。

「ここは、長きに渡り誰も足を踏み入れませんでした」

 静かにサリィが語り出す。部屋自体は石壁であるが、広いためかその声は吸い込まれるように消えてゆく。

「一体なんに使うためのものか、誰もわからなかったのです。この部屋に関する記録もありませんでした」

 少女を迎えに行った、あの研究棟の召還実験室のゆうに三倍はあろうかという部屋。床には一面に描かれた巨大な魔法陣。その様式は、少女のまったく知らない物だ。

「……女王さま、これから一体なにをするのですか?」

 心配そうな瞳を向ける。先ほどからどうもサリィの様子がおかしい事に少女は気がついていた。

「大丈夫、あなたはなにも心配しなくていいのです。といっても、不安なことでしょうね……そうだ、これを差し上げましょう」

 女王は腰の部分に隠すように身につけていた一本の短刀を取り、少女に握らせた。

「これは古くから禍を防ぐと云われて来た短刀です。代々の王達が身に着けていたものですから、きっと彼らもあなたを守っていてくれるでしょう」
「で、でもそんな大切な物……」
「いいのです。それよりもさあ、こちらへ」

 と、それまでの不安を払拭させるほどの優しげな微笑みでサリィは返した。そう、いつもの笑顔である。彼女の大好きな、暖かい微笑みである。
 女王の指示した場所は、魔法陣の中央だった。その場所だけ円形に魔法文字が描かれていない、空白のスペースがあった。

「ここに立って、私と同じように呪文を唱えてください」

 もちろんであるが、この魔法陣の意味など少女にはわからない。見た事のない魔法文字も多く、さらに中央部に空間があるなど考えられぬ事であった。

「女王さま、それで……それでみんなが助かるん……ですよね?」

 少女は必死に涙を堪えながら尋ねた。

 自分なりに、なぜ自分がここに連れられてきたかを考えた結果、彼女の心に浮かんできた答えが――、そう『生贄』というものだったのだ。
 だが、それでもいいと思った。みんなが助かるなら、それでもいいと思った。

「……」

 不意に、女王は口をつぐんだ。
 少女の考えそうな事はすぐに予測がついたが「そうではない」と言ってやれなかった。自分のやろうとしていることはその少女が考えているだろう事となんら変わりがないのかもしれないと思ったからだ。少女の悲壮な表情を見れば容易にわかる。
 本当のこと言うべきなのか……女王の心は揺れた。

「わたし、全然上手に魔法唱えられないから……ゆっくり唱えてくださいね」

 ぐっと涙をこらえた少女は、無理やりに作った笑顔で女王の答えを待たずに言った。そして円の中にはいる。
 どうやら、答えられない事が真実だと受け取ったようだ。手にしていた王達の小刀は女王がそうしていたように腰の部分に止めた

――違うのです。

 そう叫びたかった、そう言ってしまいたかった。

――あの方ならば、どうするのでしょうか……?

 ふと女王の胸に、幼き日の光景が浮かんだ。彼女が目の前の少女よりもさらに歳若き時のこと、此度のように魔が跳梁跋扈する世界を救うため敢然と戦いを挑んだあの英雄ならば……? 九歳にして街を守らねばならぬ立場にあり、常に気を張り詰めていなければならなかった少女時代の自分を、優しく包み込んでくれたあの戦士ならばどうしたろうか?

――きっと、自分をもっと信じることだ、と怒られてしまいますね。

 小さく息を吸い込む。迷いは晴れたわけではなかったが、今は一刻も争うときだ。理由をすべからく説明しているほど悠長にしてはいられない。そうすれば、名実ともに世界は終わることになる。サリィは真剣な眼差しを少女に向けた。

「これからあなたは、大変苦難の道を進む事になります。だけど、いついかなる時も笑顔を忘れないで。あなたは笑顔が一番可愛いのですから……」

 女王の言葉は、なぜか不可解だった。少女の考えていた事と、真実は違うのかもしれない。そう思ったのだが、それを確かめるだけの余裕はなかった。女王が呪文を紡ぎ出したのだ。あわてて、少女も同じく口をひらいた。

――ソーン・イル・ラ・ティレシア 天の龍と地の龍

 凛とした口調。どこか唄うような声で鮮やかに詠唱する。少女も同じように続けた。

――ディフレイの旋空と ユーディスの御影 大いなる天の翼

 魔法陣がぼんやりと光りを発しだした。長きに渡り使われる事のなかったこの特殊な部屋が、いま目覚めようとしていた。内部に水晶柱を含む、不思議な様式の魔法陣。
 びくんとその魔法陣が震えた。衝撃が少女にも伝わり、目の焦点が合わなくなる。

――白銀の乙女よ 想いを伝えるスタリエリドゥを紡げ

 ぎこちなく続けていた少女の声質がだんたんど立派な物になって行く。なにかに憑かれたのではないかと思うほど、それは堂々としており女王にも負けぬほどであった。
 瞳がどこか遠くをみつめている。ここではない、どこか離れた地の離れた時間を見ているようなそんな瞳だった。女王はその様子を見て、やはり……と内心で臍を噛むのであった。運命とは恐ろしいものである。
 魔法陣の最外周に生まれた光が、中心部に引き込まれるように集まる。その度に少女の小さな身体がはねるほどに反応した。中心円からは光の柱が生まれその中にいる少女を包み込んでいる。魔力の流れが遥か上層へ向かって行くのがわかる。

――ガードナとルウィーウェとスタルヴァをここへ 我が前へ

 次の瞬間女王は驚嘆した。いつの間にか少女と自分の声が重なっていたのだ。
 誰も知らないはず、つい最近自分が……自分だけが紐解いたはずのこのスペルを今や一緒に唱えているのだ。
 ゆっくりと瞳を閉じる。もはや、その流れには逆らえぬといったように、女王はその詠唱を続けた。凛とした声が重なって響く。

――されば我 汝らの御使いを得 ゴヨーウェの地へと出向かん

 視界をたったまま魔印を空に描いてゆく。すると、その魔法文字は吸い込まれるように消え少女の額に次々と現れては消えた。実際にこの魔法儀式を行うのは初めてであり、かなりの戸惑いを覚えていたが、ここまではどうにかうまく行っているようだ。

 手は動かしながらも、呪文の詠唱は続けられている。

――天の静謐には天の龍を 地の墓所には地の龍を 我は双天の道を歩む

 今や光の柱は正視できないほどの光を放っていた。ぼんやりとした青い光ではなく太陽のように明るい陽の光だ。

 がくんと少女の身体から力が抜けた。気を失ったのだ。ふらりと倒れそうになったが、なにかに支えられるようにそのままとどまった。これも予定の通りである。

――こ、ここまでは成功。問題はこれから……

 額の汗を拭いながら、女王は次の詠唱に入ろうと腰から下げたワンドに手をかけた。

 と、その時、

 ガシャァァァァッッッッ!!!!

 けたたましい音とともに、背後の扉が破られた。はっと女王が振り向くのと、招かれざる客が部屋の中に足を踏み入れたのはほぼ同時の事だった。破壊され観音開きになった扉から二人の侵入者が姿をあらわす。

「お待たせしたようだな」

 高圧的な声が部屋に響き渡った。若い男の声である。重なるように、カツカツという歩みの音が響いた。
 キッと強い視線で女王は睨みつけた。無意識のうちに、ワンドを構えている。

「ふぅん、……古代様式の増幅器入り魔法陣とは……面白い部屋だ。だが、あと一歩及ばずといったところだったか」

 くくっ、と喉を振るわせて仮面の男はさもおかしそうに笑った。もう一人の重鎧の戦士は部屋の中に足を踏み入れようとはしていない。扉の前で仁王立ちになリ、傍観者を決め込むがごとく成行を見守っていた。

「こんなに大きな転移魔法陣でいったいどこまで飛ばそうと言うんだ? それこそ空の果てまで転移してしまうことになる」

 四本の柱を正確に方位とあわせた魔法陣の強大さを知ってはいた。それと同時に制御が非常に難しい事も解かっていた。幸いにして、敵にはその利用法が気づかれていないようだ。

「この子は渡しません」

 強い口調、まっすぐな意志。少女の前に立ちはだかるように女王は両手を広げた。彼が魔軍の統率者であろうことに本能的に気づいた彼女は、既に臨戦体制に入っている。話し合いで決着をつける気など相手にもこちらにもない。

「……稀代の女王サリィ・イルヴァナ殿、わかっているのならば話しは早い――」

 ふっ、と鼻で笑うと張り付いたままの冷笑を女王に向けながら言葉を続ける。ズカズカと大またで歩いてきた彼との距離は、いまやわずか十数歩といったところだ。

「『闇の巫女』は力ずくで、もらって行く」

 ぞわりと闇がうごめいた。彼の立つすぐ背後に生まれた影から、無数の手が伸びた。

 だが、サリィも黙ってやられるほど愚かではない。最終的に敵がここにやってくるだろうということは既にわかっていた。だから、それなりの準備はしてある。

 さっと空中に『開』という意味の魔法文字を描き右手のワンドを振った。しゃらん、という音がして天井を支える四本の柱からなにかが飛び出した。それと同時に、左手を前に突き出し『洸弾』の魔撃を放つ。無数の光の矢は、同じく無数に飛来した闇の魔手に向かい飛んだ。

――カッ

 青白い光に包まれていた部屋が、一気に明るさを増した。轟音と爆風がクリスタルパレスそのものをも揺らす。ぱらぱらと埃が天井から降った。

「行きなさい、おまえたちっ!!」

 光の収まりきらぬうちに、女王はそう叫んだ。爆風から女王を守るように囲んでいたなにかが、凄まじい早さで敵に向かった。
 蒼光の尾を引きながら、宙を疾駆する。それは、四体の精霊だった。半裸に近い格好の女性の姿をした、彼女を守護する精霊である。来るべきこの時に備え、部屋の四柱にいつでも呼び出せるよう封じていたのだった。

「あと少しでいい、時間を稼いでっ!!」

 女王の意志に呼応するかのように、四体の精霊が武器を手にし仮面の男に肉薄する。薄煙のなか、ゆらりと現れた彼は腰からさげられていた剣を抜いた。

――ギンッッ

 わずかに一般の剣よりは幅広の両刃の剣は、旋風を巻き起こしながら不用意に近づいてきた一体を切り裂いた。凄まじい速度、抜いたその勢いでそのまま振り出したのだ。
 だが、その一撃はきわめて浅い。精霊が駆けぬけるように離れると、すぐに傷がふさがっていた。

「四体も手懐けるとは……さすがといったところか。やはりあなたは好意に値する女性だ。できれば戦いたくはなかったが、……残念なことだ」

 警戒してか、それとも最後の言葉を言わせる時間を与えているのか、精霊達はいきなりの攻撃は控えていた。ぴりぴりとした緊張感が部屋に満ちる。

――大いなる力の三角より呼ばれし鳳凰よ ヴァグスダールの勝者を祝え

 魔法陣の中心では、女王が儀式を再開していた。「たった四体」でどこまで持つのかわからなかったが、それでもやらなくてはならない。やり遂げなくてはならない。

「こっちをチエ将軍に任せてもいいが、彼女はやる気がないようだからな。ま、女王殿に敬意を表して、私が相手をするとしよう」

 口もとが、ニヤリと大きくゆがんだ。それと同時に、剣に紅黒い光がともった。ごうごうと音を立てて魔炎が刀身から吹き出す。黒い瘴気のような光は、なにかとてつもなく邪悪な物として部屋の外に控えたチエの目には映っていた。

 すーっと、精霊たちが動き出す。それぞれがリンクしているのか見事に統率の取れた動きだった。あっという間に仮面の男は周りを取り囲まれたが、さほど気にしてはいないように鼻で笑った。

――時の守護者ヴォルーメは冠を 水翼の調停者ミナスウォルドは杯を与えよ

 女王の右手にした短い魔法棒が赤洸をあふれさせる。同時に四本の柱も本来の役割を思い出したように魔力を高め始めた。

「むんっっ!」

 気合の声とともに、男は精霊の一体に斬りかかった。黒い軌跡を描きながら、剣が精霊のからだを捕らえる。速い。
 精霊は剣と化した部分でそれを受けとめて体勢を立て直そうとした。と、ものすごい反発力が働き法儀の施された壁まで一気に吹き飛ばされた。

 次の瞬間に男は素早く身体を沈め、後ろから迫っていた二体目の攻撃をかわした。落としていた切っ先を、真上を通過する精霊に振り上げる。まるで後ろに目がついているような行動であった。

――ギィィィィンッッ

 鋼鉄をぶつけ合った時のような甲高い金属音が響いた。

「一体目」

 闇の刃に貫かれた精霊は、ばっと空中に霧散した。きらきらと光を反射するその光景は真昼に降る雪のような幻想的なシーンであった。だが、その事を感動の眼差しで見るものなどここにはいない。ついでに言えばその程度で攻撃の手を休めるものもいなかった。

 破壊音はもちろん女王の耳にも届いていた。やはり敵は強い……。そう想いながらも詠唱を続ける、続けなければならなかった。

――安寧の風 混沌なる眠り すべてを諌めしアーザスの咆哮 そして平静を

 仮面の男は鮮やかなステップで横移動すると、肉薄してきた三体目の精霊の剣を左手で掴んだ。バチバチと魔の力が流れ込んでくるのを平然とした顔で耐えると、今度は彼が逆に闇の力を流し込んだ。刀身が徐々に暗黒に染め上げられ、そして砕けた。反動で精霊は魔力柱に叩きつけられる。左手を握り締め、そのかけらを粉々にすると彼は満足げに笑みを浮かべ捨てた。

「脆いな、とても」

 そして次の瞬間には振り向きざまに剣を凪ぐ。隙を突いて背後から攻撃を仕掛けようとしていた四体目が塵と化した。残り、二体――。

――時を駆けよ 歯車を回せ 怨恨の無き地へ ユアンドラの聖風吹く大地へ

 恐るべき身のこなし、そして一撃で葬り去る躊躇のない斬撃。人間ならば尻込みし動けなくなってしまったところであろう。だが、魔の生命体である彼女らは違う。仮面の男達が使う魔物よりも命令に忠実で死をも恐れない。

 なくしてしまった剣を再生すると、精霊は低いラインで突き進む。同時に背後から剣を大きく振りかぶりながらもう一体が迫った。

「甘い」

 剣を床に向かって突き出す。目にもとまらぬ速さで繰り出された一撃にかわす間もなく貫かれ、精霊は霧散する。断末魔の声もない。

――すべての悲しみを賭して 受け入れし者へ 幸いなる未来へ届け

 そして、背後から近づいていた精霊の前に闇の壁が生まれた。

 ゾヴァヴァッッ

 その影から生まれた無数の魔手が、精霊を掴む。腕を、足を、剣を、腰を、首を――、何本もの手がその動きを封じるために伸びた。がっという音とともに、押さえつけられた精霊は再び壁に叩きつけられた。男は振り向きさえもしていない。最後のにのこされた彼女はなんとかそれをふりほどこうともがくが、もはや動く事もままならなかった。そして宙に浮かんだ不自然な板状の闇を突きぬけて男が現れる。

「君たちはよく頑張った。だが、根本的な問題として私には勝てないと言うことを覆せなかったようだ」

 その半透明な体に向かって、指先に作り出した小さな黒い矢を撃つ。もちろん矢は突き刺さり、精霊の腹部に細かいヒビを走らせた。同時に痛覚などもちあわせていないはずの精霊の表情が痛みにゆがんだ。苦しげに首を左右に振ろうとするが、また伸びてきた二本の魔手によって今度は顔までも押さえつけられた。
 しゅっ、と黒い矢が放たれる。手のひらほどの長さしかない短く小さな矢は、押さえつけられた精霊の両肩に突き刺さった。

「痛いか? この矢は闇のものだから、精神生命体のお前らにも痛感を与えることができる。くくっ」

 完全に弄んでいた。女王に時間を与えているような、そんな行動だった。

 さらに二本、ふとももの付け根に打ち出す。ミシミシと身体に刻まれる罅割れが徐々に繋がっていく。声をだす器官のない精霊であるが、いまにも絶叫が聞こえてきそうなほどの苦しげな表情だった。

「そろそろ頃合いか……さ、いま楽にしてやる」

 大の字に貼り付けられていた精霊は、なす術も無く下から振り上げられた闇の刃によって切り裂かれ、極めて小さな結晶となって飛び散った。最後の煌きが床に落ちるまで男は眺めていたが、光が消えるとつまらなそうに闇の手を消した。

「どうする女王殿、頼りの精霊は消えてしまったぞ」

 ニィっと残虐な笑みをうかべ、男は部屋の中央を振り返った。

「いない?」

 振りかえった視線の先、部屋の中央には光の柱が激しく輝くのみ。先ほどまでそこに居たはずの女王の姿は既になかった。

「『斬』!!」

 刹那に生まれた隙、強力な光の刃が柱の影から打ち出された。かろうじて前方方向に転がるようにして飛び出した男は、その凄まじい衝撃波に無様に転がる。
 刃は床を斬り裂き、壁にぶつかってはじけた。その際に法儀を施してあるはずの反魔力壁をも破壊する。クリスタルパレスが再び揺れた。

「くっ、こんなにも早く詠唱を終えるとは!」

 悔しそうに口走りながら、二撃目、三撃目を次々にかわす。四撃目はその剣を振るって打ち消した。それは守備隊の魔法のように『消去』できるほど弱いものではなかった。魔法自体は低レベルのものだが、過大なブーストが掛けられているのか消すことができなかったのだ。

 五撃目を打ち出す前に女王は叫び声を上げた。

「エミルッッ!! 起きなさいッッ!! 早く、今しかないのっっ!!!」

 その声に反応してか、光の柱の中の少女がパチっと両目を見開く。と、状況を理解するより前に少女は目の前に展開された光景に唖然とした。女王と一緒に魔法を詠唱していて途中からの記憶が無いのである。突然目覚めた時には、サリィと誰かが戦っていた。

「じょ、じょおうさまぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!!」

 闇の矢が撃たれ、サリィの左腕を切り裂いた。鮮血が宙を舞う。

「んくぅっっっ!!」

 必死にその痛みをこらえ、再度柱の影に移動する。ワンドを握り締める右手に力をこめて、再び敵の前に踊り出た。

「『焔』!!」

 魔法棒の先から白炎が吹き出す。接近戦で手っ取り早く決着をつけようと近づいてきた男に、炎は真正面から襲い掛かった。

「ぬおぉっっ!!!」

 至宝である魔法具、ユゼスの短杖は強力な魔力増幅の役割を果たしていた。もともとの魔力を極限までに高めるそれは、まごうこと無き伝説の武具の一つであった。

 さすがの男も轟々と燃え盛る炎に耐えきれず、闇の壁を前に作り出して熱波を防ぐ。

「エミルッッ!! 呪文の続きを唱えなさい!! あなたにならできるはず!!」

 肉を削がれ、左腕からは流血が止まらない。だかここで攻撃の手を緩めるわけには行かなかった。連続して精神を集中し、次の魔法を唱える。

「じゅ、呪文? え、えっと――」

 混乱に渦巻く少女の心。そんな事を言われてもわからない、わからなかった。

「エミルッッ!! 早く!!」

 女王はその瞳を目の前の敵から離した。心配のあまり少女を振り向いてしまい、もっとも手ごわい敵から離してしまった。

――ザシュッッ!!!

「あああぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」
「じょ、女王さまぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 二つの悲鳴とともに、ワンドを持っていた右手が斬り飛ばされて宙を舞った。くるくると回転し、そして床に叩きつけられる。強力に握り締められていたためかユゼスの短杖がその手から離れる事はなかった。
 女王は斬られた場所を左手でおさえて前のめりに倒れこむ。鮮血が、純白のドレスを紅く染め上げた。

 いつの間に炎から逃れたのか、その女王の背を見下ろす仮面の男がいた。褐色の女王は奥歯を噛み締めて激痛をこらえている。

「『闇の巫女』よ、おまえの優しい女王さまはやられてしまったぞ。どうする?」

 返り血に紅く染まった仮面を、光の柱の少女向け残虐に口元をゆがめる。

「じょおうさまっっ!! じょおうさまぁぁぁぁぁっっ!!!」

 飛び出して駆け寄りたかったが、光の壁が邪魔をしてこのちいさな円からでることはできなかった。どんどんと拳をその見えない壁に叩き突けて、女王の名を叫ぶ。

「エ……エミル、……じゅ、呪文を……」

 痛みによる涙を必死にこらえ、気丈にも女王は少女に笑顔を向けた。
 その背をガンと踏みつけると、仮面の男は再度エミルと呼ばれた少女に聞いた。

「どうする? 『女王さま』を助けたいか?」

 それは悪魔の誘いであった。

「だめっ、ダメよっっ!! こんな男の誘いに乗ってはダメ!!」

 必死の形相で女王も叫ぶ。が、男はもう一度女王の背中を思い切り踏みつけた。
 肺の中の空気が無理やり押し出されて、サリィはむせ返った。

「――女王さまどうして、私をにがそうとしているの?」

 はっと、サリィの顔が強張った。エミルはそのとき直感的にその魔法が『生贄』を必要とするような強力な『退魔』の魔法ではなく、自分を逃がすための『転移』の魔法だと気がついていた。

「ははははははっっ!! そうかそうか!! なにも知らないって訳か!!」

 チエはこの仮面の男が大声を上げて笑うところを初めて見た。ぞっとするような、不気味な響きをもった、魔の叫び声だ。反してサリィは言葉を出す事ができない。

「教えてやろう、おまえは『闇の巫女』と呼ばれる邪悪な存在なんだよ!! そう、我々を呼び寄せる悪魔の申し子なのだ!! だから逃がそうとしている、我々の手の届かない所に! 違わないはずだ、そうだろうサリィ殿?」

 エミルの瞳が驚愕に見開かれる。

「う……嘘だ……嘘ですよね? 女王さま」

 ぽろぽろと涙が溢れる。目は大きく見開かれたまま、倒れるサリィを見つめていた。
 だが、サリィの口からは……否定の言葉がでない。

――真実はいつも残酷です。だけど、その真実から眼を背けないで、と、教えたはずですよね。

 エミルの心の中に浮かぶ、数刻前の女王の言葉。あの時の言葉はこのことを意味していたのかと、少女はようやく理解する。

「所詮魔の道を歩くしかないのなら、我らの元に来るもまた良い選択だろう」

 びくんと少女の体が震える。それは甘美な誘惑だった。

「我らは同胞であるおまえを、決して見捨てるような事はしない。確かにおまえに潜在する力は邪悪と呼ばれ畏れられるものかもしれない。だがそれは、新たなる世界を生み出すために必要な力なのだ」

 必要――、自分の力が必要・……。その言葉が少女の頭に反響する。ぐらりと世界が揺らめくような感覚を味わう。とても心地良く甘い誘い。

「…………」
「ずっと真実を隠していたこの女に、なにを義理立てする意味がある? 本当におまえのことを思っているのなら、真実を告げるのが普通ではないのか? それにこの魔術儀式の理由も伝えられていなかったとは、……同情する」

 ごしごしと涙を拭う。キッと眉に力をこめ、女王を見据えるその瞳はわずか14歳のものとは思えぬほどの力強い鋭い視線だ。

「どうだ? 我がもとへ来い。そして我らのために力を貸して欲しい。そうすれば女王もこのまま見逃そう」

 ニヤニヤと笑いながら、その状況を心から楽しむように男は手を差し伸べた。

「……でも……」

 小さくエミルは口を開く。

「どんなに言葉を飾ろうとおまえは『闇の巫女』だ、それは変えようの無い事実。なにを迷う事がある? さあ」

 駄目押しとばかりに男は言った。ぐっと、少女の目が決意に満ちる。

「……でも、でもでもっっ! 女王さまは私に優しくしてくれた! 私を大切にしてくれた! 時々ちょっぴり怖かったけど、でも本当は優しくて強くて、悪いやつらになんか絶対に負けないんだから! それで、それでそれで!! 私がその『闇の巫女』だって知っても、おまえたちなんかに負けてほしくないって思ってるんだからぁっっ!!!」

 少女の叫びが響き渡った。傍観者だったはずのチエまでも、その言葉になにか衝撃を受けていた。どくどくと心臓が早鐘を打ち鳴らすように血流を体内にめぐらす。ガンと頭を殴られたような、それでいて胸のあたりがズキズキといたむようなそんな衝撃だった。

「『斬』――――――ッッッ!!!」
「なっっ!?」

 足元に踏みしかれていたはずの女王が、背中に光の刃を出現させた。わずかに身を反らせるのが遅れたためその前髪が数房持っていかれる。さらに生まれた衝撃波で、仮面の男は数歩よろめいて後ろに下がった。
 ユゼスの短杖が無ければ先ほどの絶大な威力は出ないようであるが、至近距離からの不意な一撃は十分に相手をたじろがせていた。

 無理をした代償は女王に直接ダメージを与えているはずであった。だが、彼女は怪我をしているとは思えぬほどの素早さでその身を起こすと、斬られていまだ鮮血の迸る先の無くなった右腕を高く掲げた。

「な、自動再生だと!?」

 男が目を見張るその前で、褐色の女王の右手はユゼスの短杖を握り締めたまま宙に浮かびその傷口に接合した。瞬時にその傷口が再生し、短杖を持つ指先に力が伝わる。女王の紫色の瞳がカッと見開かれた。

「『次元斬』!!」

 間髪をいれぬ反撃、その判断力はまさに一国の王となるにふさわしい高貴なる証しであった。と、魔軍参謀も我に返る。

「そうだ!! そうでなくては私が来た意味がない!!」

 一瞬前の一撃を遥かに上回る強大な魔法の刃に、自らの魔剣を振り下ろす。凄まじい魔力のぶつかり合いが、火花を散らして爆発を引き起こした。

「『煉獄焔』!!」

 サリィはまたも先ほどと同じように、白熱する火炎を叩きつける。剛流と化した炎の渦はその熱波衝撃だけでも相当の勢いがあった。
 男はマントを取り払い、それを媒介として闇の壁を作り出した。だが、強力な地獄の炎は防御一辺倒に回ったはずの男をもやすやすと押し返す。

「ここまでの力がありながら……なぜだっ!? なぜ他国を求めぬ!?」

 両腕に装備された手甲の魔法文字が光る。ユゼスの短杖には遥かに及ばないが、それでもそれは世界有数の古代魔力増幅器の一つである。

「戦いによる平和は、所詮かりそめの幸福しか生みません! エミルッッ!!」
「は、はいっ!!」

 サリィの心を察してエミルは精神を集中させた。と、急速に頭の中にスペルの最終節が浮かび上がる。実際はさっきから頭の中に、なにかこのもやもやしたものが居座っていた。いまようやくそれが理解できるようになったのだ。

――されば王 我の名を呼ばん 大いなる空の覇者の子として 天駆ける翼与えん

 凛とした声で詠唱する。残りはあとわずかだった。

「そう簡単には逃がさん! 『闇炎舞』!!」

 大きく後方に跳び退き、滝のような業炎を逃れた魔軍参謀長は暗黒の火炎弾を光の柱に向かって撃ち出した。空を切り、轟音を上げて闇色の火球が襲いかかる!

「エミルッッ!!」

 女王の悲痛な叫び声が響いた。

――が、

「オオオオオオォォォォッッッッ!!!」

 その魔法の射線上に、突如重鎧の女戦士が割り込んだ。そして、その巨大な戦斧を魔炎に向かって振り下ろす。

 ごおおおおおぉぉぉぉぉんんんんっっっっ!!!!

 凄まじい炸裂音が三度魔塔を揺らした。戦斧は魔法を打ち消し魔法陣を破壊して床に突き刺さる。

――飛べ 時を 飛べ 彼の者のもとへ 我の名は『エミル=ソーレ』!

 それとほぼ同時に永きに渡る魔術儀式が完成した。四本の水晶柱が目もあけていられぬほどの凄まじい光を解き放つ。

「ぬおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 仮面の男が、光にこらえきれずに絶叫を上げた。チエもその光の中に消えてしまいそうになった。光が渦を巻き中央に収束する。

『女王さま、行って来ます!』

 最後にエミルの声が聞こえたような気がした。明るい、いつもの少女の声だった。
 彼女にはどこに転移するか、既にわかっていた。だから、これから逢うことになる人のことを考えると期待に胸が膨らんだ。

――しゅんっっっ!!

 あっけないほどに軽い音を残し、光が収まった。
 まだ目が見えていることに、網膜が焼けなかった幸福を噛み締めながらチエは辺りの状況を確認する。女王は壁まで吹き飛び、上官である魔軍参謀長は仮面を押さえてうずくまっていた。戦斧を引きぬき、男のもとへ歩む。

「……今回はオレらの負けだ、帰ろう」

 そう呟く戦士を、参謀はゆっくりとした緩慢な動作で首を動かして見上げた

「…………」

 なにか言いたげにしばらくチエの姿を眺めていたが、取り落として魔力を失った剣を拾うとパンパンと埃を払うような仕草をしながら立ちあがった。

「まぁいい、すぐに『追跡』すればす……む?」

 男は首をかしげた。『転移』の魔法ならばその跡とも呼べる魔力の残滓が揺らぐものなのだが、それがまったく見当たらないのだ。

「トレースできないのでしょう? 当然です」

 壁に背をもたれかけさせた女王サリィが、口もとに一本の赤い筋を作りながらも気丈にもそう言った。

「すべての追跡魔法を打ち消し、『時間』と『場所』を越えて、魂の波長さえも変えてしまうこの超転移魔法陣は、最悪の事態に備えて造られていたのですよ。今回のような」

 くすっ、と微笑みを浮かべる。満身創痍の状態であるのにもかかわらず、それはとても綺麗な笑顔だった。

「ふぅ……やはり、あなたは相当の切れ者のようだ」

 そんな女王の様子を、憎しみのまったくない言葉で男は称えた。そして、手にしていた剣を鞘に戻す。戦う意志は既に消えていた。

「ここは退こう。目的も失われたし、ここにはもう用はない」

 くるりと背を向けて、破壊された扉へと向かう。チエもその背を追った。
 だが、

「帰しませんよ、そう簡単には――」

 ゆらり、と、白いドレスを赤に染めた女王が立ち上がった。先ほどの魔軍参謀の言葉をそっくりそのまま返していた。ぴくり、と、二人の足が止まる。

「――街の、大切な街の人たちの命をあれだけ奪っておいて、そんなあなたたちを見逃すほど私は人間ができていない!!」

 口もとの血をぐっと拭うと、サリィは憤怒の目で二人を睨み付けた。先ほどまでとはまた違う、恐ろしいほどの視線だ。

――アーロダルの盾を ナクァの冷たい炎と巨人の脚をとめるヴィディギアの沼を

 指についた血液で、額に魔法文字を描く。魔術に詳しい者であればわかったであろうその文字の意味は、――『滅』

――逆巻きて 逆巻きて 我 大地を揺らす者を呼ばん ネフェドーの血塊を

 矢継ぎ早に詠唱を続ける。両手はまったく独立した動きで宙に法陣を描いた。赤い残光で二重に描かれたそれは――

「禁呪を使うか。まぁ戦略としては無難な選択だ」

 禁呪――あまりにも危険な力ゆえに、封印されて使用を禁じられた太古の魔術。女王サリィはその命を賭して、むざむざ殺されていった人々の仇を討とうとしていた。

――祖は御魂欲し 世はそれを与えん 大気に満つる数多の魂を捧げこの身を捧ぐ

 チエが戦斧をかまえ前に出ようとし、仮面の男はそれを制した。

「わーったよ、アンタに任せるって」

 チエはため息をつきながら戦斧をおろした。そのまま後ろに下がる。

――天の遥か高みより 見下ろし廻るエコウィの箱舟を遣え我は堕つる

 鬼気迫る表情で、女王は詠唱を続ける。ここまで来ると術者自身は強力な魔力結界で物理攻撃さえもはじいてしまうため、手の出しようがない。
 二人の敵は無言でそれを見守っていた。心なしか、仮面の男の口もとが釣りあがったような気がしたが、それはチエの気のせいだったのだろうか?

――落ちよ 落ちよ 落ちよ すべてを蹂躙し焦土の領地を我に与えん!

 大きく女王は息を吸い込んだ。そして、その『魔』を解き放ちし最後の引き金を、

「禁呪・『堕巖』ッッ!!!」

 ――引いた。

 閃光が空へと駆け上った。天井を貫き地上部の水晶塔にさらに増幅され遥か彼方、天の向こうへと光条が伸びた。

 女王はがっくりと膝をつく。体中の魔力が抜け出たのか、肩で息をし疲労で立ち上がれなかった。

「……なにも起きないじゃないか」

 チエが粗暴に言う。おどかされて損をしたといった顔つきだ。
 その様子を見て、さも愉快げに仮面の男が笑った。

「くっくっくくくく……、チエ将軍は魔道士をなめない方がいいな。気がつくと寝首をかかれている事になる」

 消耗した女王は、その会話に答えるべくも無くうなだれただ床を見つめていた。

「じゃ、なにが起こるってんだ」

 笑われた事が不快だったのか、鋭い目つきで聞いた。この男の笑いは生理的に受け付けがたかった。

「隕石落とし、そう言えばわかるか? いや、もっとわかりやすいように説明すると……天から巨大な岩が雨のように降ってくる魔法だ」

 チエはぎょっとした瞳で天井を見上げるが、そこから空が見えるわけなどない。

「しかし、まだ街には生きている人間も居ると言うのに……大した正義感だ」

 そう言って女王に一蔑をくれると、彼はぱちんと指を鳴らした。そして、部下である者の名を呼ぶ。

「ユウ将軍、いるか?」
「はい、ここに――」

 すると、彼のすぐ斜め左後ろに、もう一人の将軍が立っていた。
 チエの振り返る間もなく、突如としてその場に現れたのだ。だから彼女は魔法というものは嫌いだった。すべての摂理と信念を捻じ曲げてしまう。

「落ちてくる数多の熱隗を消す事はできるか?」

 口元に冷笑を浮かべた参謀長は、そう問うた。そして、その者は即答する。

「はい、可能です。ちょうどここには……」

 四本の水晶柱が輝き出す。発動の言葉もなにもなく、突如表れたショートヘアーの女性が見つめただけで魔法陣が動き出した。

「増幅器もありますし、問題ありません」

 作動に遅れて説明を付け加える。彼女の顔には表情と言う物が欠如していた。まるで人形のように、事務的に返事をする。細くしなやかな赤い髪と血のように赤い瞳が不可思議な印象をあたえた。

「この街がどうなろうと知った事ではない。が、女王殿、私はあなたにはまだ死んでほしくないのだよ」

 そのユウと呼ばれた女性の回答を満足げに聞くと、彼はサリィに向かってそう嘯いた。だが、女王はその言葉にも反応しないほど疲れきっている。

「それとユウ将軍、次の仕事だが――ここから跳んだ少女を追跡し、必ずや『神の剣』を手に入れろ。いいか?」
「御意に」

 追えるハズのない者をどうやって追うのかとチエは疑問に思ったが、命令されたのは自分ではない。同じ将軍という地位であるが、このユウという女性のことは何一つ知らないのだ。気にかける事もなかろう。

「フッ、それでは後始末は任せる。行こう、チエ将軍」

 燃えカスとなっていたはずのマントがいつのまにか元通りになっていた。バッと風を切るよう優雅に翻すと、彼は高らかな足音を響かせて外へと向かった。チエは、最後に女王に向かって視線を投げたが、彼女は既に意識を失って倒れていた。

 その敵を倒すという執念に敬意を表し、彼女はレディンス・ヒル流戦士の礼をして、仮面の男の後を追った。



 二度目の起動に打ち震えるよう、四本の魔柱は鮮やかな光彩を放つ。既に気を失って倒れている女王を後目に、ユウ将軍と呼ばれた赤髪の魔道士は訥々となにか言葉を紡いでいた。どこか耳慣れぬ、異国の言葉である。低く高く、一定のリズムで唄うように唱えられる魔の響き――。

 感情のこもらない冷めた瞳で去り行く二人の背を見送ると、彼女は魔法陣の中央に立った。先ほどまで別の少女がいた場所である中央の空白部分だ。魔法陣はチエが振るった戦斧によって破壊されてはいたが、始動させるための問題は無かったようだ。

 感慨もなにもなく、光溢れるクリスタルの塊を見つめながら数度胸の前で印を組む。すると、先ほどの女王が儀式を行ったときよりも遥かに強烈な光が部屋を包んだ。

――懐かしい。

 やや細めていた瞳に、一瞬なにかが揺らめいた。ほんの一呼吸もできぬほどの刹那の時のことである。次の瞬間には、光が天に向けて柱を作りはじめた。

 自分と同質の者。自分と同じ力。

 至宝、ユゼスの短杖とそれを持ちし女王……。サリィが光であるとするのならば、彼女はその影なのかもしれない。強烈な光に焼き付けられた影――。

 光の奏でる協奏曲を指揮するように、ユウは手を動かしつづける。瞳をしっかりと閉ざし、宙に魔法円を次々に描き出した。それは、現在では既に失われた古代の魔術円であり、サリィの唱えた禁呪と基を同じとするものである。

 魔の力が高まりを迎えていた。四本の魔柱からは無尽蔵とも思えるほどの大量の魔力が溢れる。それは魔流とも呼べる、大河の流れにも匹敵するほどのものだった。この部屋本来の力は、先ほどの転移魔法程度では引き出せない。女王は気を失っていてこの光景を見る事ができなかったが、むしろその方が幸運だったのかもしれない。

 強大な魔の流れをやすやすと受け入れながら、彼女は両腕をゆっくりと天へ掲げた。

「――『光雅』」

 ぽつりと、少女と呼んでも差し支えないほどのうら若い女将軍が口を開いた。その真紅の髪を弄ぶように光の粒子が部屋に溢れると、一気に収束し高空へと駆け上った。



 水晶の塔がいっそう明るさを増し、太陽の沈みきった街を太陽のような白光が照らしだした。わずかに残された魔法兵と彼らに助けられた街人たちはみな、その光の柱を食い入るように見つめた。

 闇に包まれた街、闇に沈みゆく街、闇へとつながりつつある街……。

 それらすべてを浄化し、闇に生きる者を一瞬にして消滅させ、聖光は空へ向かう。
 本来その役目を果たすはずであった――そして、この街もろとも敵を薙ぎ払うはずであった――降り注ぐ巨大な熱塊の雨をすべて飲み込み、光は遥か宙の彼方へと去った。

 強烈な光の嵐の後におとずれた底冷えするような真の闇を、破壊の牙を逃れた淡い魔法灯が照らし始めた。幾千と通りに作られた街灯は、崩れ落ちた街並みでさえも幻想的に映した。
 生活の火が消えたヴィジョンズパレス。ただ光るためだけに光る、魔法灯の燈火のみが照らし出す冷え切ったその姿は、さながら地上に輝く星雲のようであった。

 双頭の飛竜の背にまたがった仮面の男は、上空からその様子を満足げな笑みを浮かべながら眺めた。

「だが、まだ足りぬ……この程度では、満たされぬのだ……」

 渇望するようなその呟きは、竜の飛翔音に紛れて誰にも聞かれる事はなかった――。



 残光がぼんやりと部屋を照らし出す。
 四本の柱が完全に魔力を放出する前にユウの姿は消えていた。

 時に聖王樹の月の二日。運命の悪戯か、おりしも辺境の地の英雄の息子が旅立ったその日の事である……。


To be Continude.

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