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「ホノカの肌って……白いよねぇ……」

 少女は嘆息のため息を漏らしながらそう呟いていた。部屋に備え付けの小さな鏡台に向かい髪を梳いていたホノカは、手を止めて鏡に映る背後のタエコに向かってやわらかな微笑みを返す。風呂上りの上気した頬はうっすらと桜色に染まっており、薄い部屋着とあいまって凶悪なほどのかわいらしさを見せていた。

「タエコの肌も十分綺麗だよ」

 クスッとした笑みを浮かべ、そのまま後ろは振り向かないで作業を続ける。鏡越し笑顔とは言え、思わず見とれてしまうほどの輝きがあった。

「わ、私はそばかすもいっぱいあるし……」

 ベッドに体を投げ出し、寝そべりながらホノカを見つめていたタエコは、少女の誉め言葉に動揺を隠せなかった。少女が世辞を使わないことは既にわかっている。無償の思いしか口にしない。

「それも含めてとってもかわいらしいと思うけどな」

 寝るときに邪魔にならないよう、梳いた髪を結んでいく。起きた後、髪の毛にあとがつかないよう、ごく柔らかい素材で結っていた。揺らめきのない魔法の光が部屋を照らす。飾らない誉めの言葉だっただけに、タエコの頬がぽっと赤くなる。

「そ、そんなことない、私はホノカみたいにかわいくないしっ」

 なぜかムキになって否定する少女。ヒロにさえ『可愛い』なんて言われたことがなかったのに、なんの躊躇いもなく言いきってしまうホノカ。ムキになったのはタエコのなかで、そんな素直な少女に対しての羨ましさが生まれたせいかもしれない

「女の子だったら、だれだって可愛くありたいと思うもの……でも、タエコが綺麗でありたい、可愛くなりたいっていうのは、誰の為?」

 それはホノカのふとした悪戯心だった。だが、タエコにとっては核心を突く鋭い質問でしかない。火がついたかのような真っ赤な顔を隠すよう、彼女は布団をかぶった。

「も、もう寝るね、お、おやすみっ」

 答えなんてわかっている。いくら色恋沙汰に疎いホノカといえども、タエコの気持ちくらいはお見通しだ。辺境出身の二人はそれだけお互いを大切に思っている。
 すっと椅子から立ち上がり、魔法灯にそっと触れる。徐々に明るさを失いゆくなか、ホノカはベッドに静かに腰掛け鎧戸の閉められていない窓から夜空を見上げた。わずかに浮かぶ雲が、月光を照り返して白く輝いている。この場所からは見えないが、さぞかし美しい月夜なのだろう。

 ホノカは一度だけタエコの寝台を返り見るが、既に魔法の光も消えており、横たわる少女が上掛けを引っかぶった格好であろうということ以外わからなかった。手を伸ばして窓の鎧戸を締める。と、部屋は完全に闇に包まれた。手探りで布団の中にもぐりこむと、思いの他ひんやりとしていて背筋が震えた。

――明日は国境、か……

 少女はそう心の中で呟き、ゆっくりと目を閉じた。長いようであっという間だったここまでの旅路は、大きな問題も無く過ぎていった。本当の意味での旅はきっとこれからなのだろう。明日からの苦難の道程を考えると、不安に押しつぶされそうになる。
 だが、彼女の心の中には単に不安なだけではない想いが生まれていた。まだホノカ自身もその事に気がつかないほどの小さな小さな期待感。それがいつの日にか、希望と呼ばれるまでに育つ事も今はわからないまま――。





センチメンタルファンタジー
第八話 「胎動」



 首都ノースグリーヴを南に下ると、大地を潤す大河エラネストの本流が広がる。ゆったりと流れる大河には、その川幅に見合うだけの長大な橋が架けられており、国内を移動するための街道として多くの人に使われていた。

 先代の王が七年の歳月を費やして造ったその大橋は、数十年たった今も色褪せる事ない頑強さを見せていた。ノースグリーヴの平野を襲っていた、何年かに一度の洪水にも耐え、それまで渡し舟でしか渡れなかった大河の交通も格段に利便性が向上した。

 橋の中央部には、いざという時のために跳ね上がる仕掛けが施されている。万が一攻め込まれた時に、この橋は破壊するには大きすぎる。そのため一部分だけは魔法により開閉する跳ね橋になっているのだ。その距離はほんのわずかであるのだが、首都側と外側で高さに差があり侵入者達を拒む。『飛行』の魔法が使えるのならば話は別だが、そうで無い場合、跳躍力に自信のある者でも向こう側への到達はできないだろう。大河エラネストは激流ではないにしろ、対岸までは随分と距離がある。鎧などを身にまとったまま落ちれば命の保証はない。

 平和な国であるが、その代々の王達は常に外敵への監視の目を光らせていたし、国防には手を抜かなかった。市井の人々にはそれが過剰な思いなのではないかと常に思われていたが、結果的にこの国の首都には一度たりとも侵略者の足に踏み入られた事がない。

 王城は決して難攻不落の城ではないが、隅々まで行き届いた防衛政策がノースグリーヴ王国を巨大な国家に育てあげていた。もちろん数多くの労力と犠牲の上に成り立つ平和ではあるのだが。


――ノースグリーヴを旅立ってから、既に二週間が過ぎていた。

 石造りの大橋を渡り、ゆっくりとしたペースで街道を南下するヒロ達は、東方の隣国ティレンサイドへむけて延びる『森の路』を目指していた。森の路とは、ノースグリーヴとティレンサイドの中間地点の中立地帯を指して言う。霊峰ジルヴァニアの南側の斜面となる、両国の不可侵・不干渉の地域であった。

 まだ旅をはじめたばかりということもあり、あまり無理をしないという事を第一に考えて、ここまでは街道沿いに点在する宿場町で、きちんと宿をとっている。国王の書状を携えてやってきた使いより、多すぎるほどに託された旅の仕度金は、少々の事では底を付きそうになかった。御丁寧なことにあとで換金するようにと、宝石の類いまで小袋に詰められていた。
 交通網の発達したこの国なればこそ、宿の料金も微々たるものであったし、もともと農業国であるから食料品も格安で手に入る。街道のそばには野生の獣達も寄りつかないため、この二週間旅は順調に進んでいた。

 街道は平和に付随して発達すると言われている。首都の周りはともかくとして、国境近くの街にまで整備された街道があることは、驚くべき事なのだ。それほどにこの国の治安は良く、多くの人々に街道が利用されているという証しであった。さすがに石敷きの道とまではいかないが、堅く踏みしめられ岩石などを取り除いた道は、草原を駆けるよりもずっと安全である。

「昼には国境を越えられるか……?」

 緩やかな勾配をゆったりとしたペースで駆ける馬上で、ぽつりと青年が呟いた。春の日差しを受けた額には、うっすらと汗が浮かんでいる。高地で空気はまだ冷たいが、陽光は低地とかわらずあたたかい。

「夕べみた地図だと、町からそれほど遠くない所だったよ。国境線」

 道幅はそれほど広くなく、馬二頭が並んで走る事はできない。やや斜め後ろを駆ける馬上の幼なじみがそう答えた。タエコもここまでの旅路で、すっかりと乗馬の姿がさまになっていた。もっとも、その「さまになる」とは格の違う「絵になる」少女がすぐそばで天馬を駆っているのであるが。

「実際に大地に線が引いてあるわけでもないのに、なんで線なんていうんだろな」

 ヒロは純粋に浮かんだ疑問を口にしていた。国家に属さないほど辺境の出身である彼には、国家というものがいまいちピンとこない。国土を統治する王は、日々どんな事を思っているのか不思議に感じていたところだった。

「線はないけど、関所があるの。名目上、そこが国境ということになってるって、ホノカが言ってた」

 タエコはわずかに上空を駆ける白銀の翼持つ幻獣を見上げた。

 彼女自身それまで知らなかった事だが、天馬はその翼で飛ぶわけではない。幻獣の有する魔力によって重力の束縛を離れ、空中を駆けるのだ。少女だけではなく青年も、そしてこの大陸に住む多くの人たちも天馬の翼は飛ぶためのものと認識していた。身も蓋もない言い方をすれば、実際の所は翼と羽ばたきは飾りでしかない。

 だが、その飾りでしかない翼があるために、天馬は雄々しく優雅に映った。ノースグリーヴ王国の象徴であり、聖なる幻獣と崇められる白銀の獣。清純な乙女にしか心を開く事ない高貴なる存在は、見つめていると時を忘れてしまうほど美しかった。

「へー、関所かぁ。まぁホノカもいるし、咎められる事はないだろうけど……しかし、こんなところで国を守るために働かなきゃいけないなんて、大変だろうな」

 青年が深く同情するといった口ぶりでそう漏らした。若い彼の口からそういった言葉がでるのも無理がないほど、辺鄙な所だった。辺鄙な所といえば二人の故郷もそうであるが、あれは村自体が森に抱かれている。国境越えを見張るためだけにいなければならない、関所勤めの兵士達の気持ちなど察しきれないだろう。今朝彼等が出発して来た「国境に一番近い町」でも、馬で半日の距離がある。

「でも、誰かがやらなければいけない大切な仕事だよね。私だったらできないよ」

 まだ会いもしていない関所番のことを思いやり、タエコは小さく微笑んだ。ちょうど斜め後ろをみていたヒロは、少女の笑顔に隠された悲しげな想いに気づいて前方を向きなおした。

――誰かがやらなければならない仕事、か……

 なんてことのない一言が、青年の胸に重くのしかかっていた。タエコがそこまで考えて言ったとは考えにくかったが、ヒロが考えこむには充分な言葉だった。少女自身の言葉には皮肉も悪意もなにもなく、詰めている兵士に対するいたわりの気持ちであり尊いという想いでしかないのだが。

 と、宙を駆ける天馬がぐっと高度をさげてタエコの後ろに回った。

「ヒロ、タエコ、国境が見えて来たよ」

 天馬騎士の少女は、やわらかな微笑みをたたえながらそう伝えた。ホノカの口調もあれからずいぶんと変わっている。貴族然とした丁寧で気品高い口調もこの少女にはよく似合っているが、辺境出の二人にとってはいまの雰囲気のほうが性にあっていた。

 不意に浮かんだ先行きの見とおせない思いを、頭から追い出すように軽く左右に振ってから、ヒロはいつもの明るい調子でホノカに答えた。

「あとどれくらいでつきそう? まだこっちからは見えないんだけど」

 道は緩やかな上り坂になっていて、その上りきった先はまだ見えない。今彼等が進む道は片側が斜面、片側が岩はだという細い山道である。とはいえ斜面自体はそれほど急な物ではない。『街道』が平坦になるように造られているのに対し、それよりもわずかに勾配がついているといった程度だが、馬を走らせるのには向かない斜面でもある。ごろり転がる岩や枯れた潅木も多く、わずかに生えた草のくすんだ緑が、それまでのノースグリーヴ平原とはうって変わった、厳しい自然の地にいる事を思い知らせていた。

「この丘を上りきれば、あとはずっと下りだから……もうすぐ見えてくるよ」

 上空を行く少女からはこの辺りの地形がよく見て取れた。緩やかではあるがのぼりとくだりを繰り返す道となっている。しばらく先までは街道に接して林立する木々もなく、見通しの良い場所でもあった。

「そろそろ休憩しようかとも思ってたけど、もうすぐそこだって言うなら一気に国境までいこうか?」

 激しい山道ではなかったし、己のスピードに合わせて駆けさせていた馬達にもさほど疲れた様子は見えない。振りかえったところ、タエコも同意を示すように一つ頷いた。

「それじゃ、私先に行って話をしておくね」

 にっこりと微笑んで、少女と天馬は再び上空に舞いあがった。先ほどまでのように二人に追従するような低い飛び方ではない。幻獣とその主は高く高く、青空に吸い込まれるように駆けあがって行く。飛翔という言葉がこれほどまでに似合う存在は、天馬くらいなものであろう。魔力で飛ぶものだと頭ではわかっていても、その力強い翔きは多くの人々を魅了してやまない。

 国境を守る兵士達も、突然やってくる国家の象徴天馬騎士にさぞかし驚く事であろうが、存在そのものが『信じるべきもの』である彼女らならば、歓迎されることはあれ拒絶される事などありえない。気高く美しき幻獣とその主である少女騎士に対し、その剣を振り上げられる粗野で不誠実な者など、この国の兵士にはいないのだ。安心しても良いだろう。

 ヒロとタエコは同じように、天を駆ける天馬を目で追っていた。どこまでも澄んだ蒼空に、太陽の光を照り返すその純白は非常に美しかった。この機動力と人を惹きつける不思議な力が、天馬騎士の本来の強さなのであろう。戦場のどこからでも見る事ができ、味方は勇気を鼓舞され相手には多大なるプレッシャーを与える。剣の扱いや戦略の打ち立て方は後からついてくるものにすぎない。

「一度私も乗ってみたいなぁ……」

 目を細め、うっすらと口元に笑みを浮かべた少女がそう呟いた。空を飛ぶ、という感覚はいったいどんなものだろうと考えると、さまざまな思いが浮かんでくる。憧れと羨ましさの交じった、そんな視線であった。

「……天馬は清純な乙女にしか背をあずけないって知ってるか?」

 そんな少女をわずかに振り返りながら、ぽそっと青年は口を開いた。

――間髪いれず飛んで来た鍋が、青年の頭にぶつかって小気味良い音を奏でた。



 関所の兵士達に対して、ホノカから先に説明してもらっていたおかげか国境は何事もなく越す事ができた。天馬騎士に会って話しができた事がよほど嬉しかったのか、涙をながして喜んでいる者もいた。青年とその幼なじみは、なにか異常じみたものを感じながらも、引きつった笑みを返しながら関所を抜けた。

 ホノカはとくにおかしいとも思わないのか、普段と変わらない優しい微笑みで兵士達に手を振って別れを告げた。背後でどっと沸き起こる歓声に、ヒロとタエコは頭痛がしたが、当人はいたって平静な顔であった。これが貴族というものなのか、と、その時二人は初めてわかった気がした。

 関所についてすぐに兵士から聞いたところ、この先約一週間の距離に隣国ティレンサイドの国境があるという。国家間にそれだけの距離があるのにも、過去の王達の経験からなのであろう。不干渉地帯を設ける事で、折り合いをつけてきた歴史が偲ばれる。

 この関所より先には『森の路』と呼ばれる中立地帯が続いている。国の関与しない中立地帯であるから、お尋ね者とされるような罪人たちが徒党を組んで旅人を待ち構えているという話しもあるという。かなりの距離に渡って道が続いているのにもかかわらず、集落が一つもないのはそういった事かららしい。

 ただ、霊山ジルティアの南側登山口がこの先にあるため、ノースグリーヴ側からの出国者については特に規制を設けていないと言う。危険は数多いが、聖地として名高い霊山への修行者は後をたたないのだが、そのかわり生死の保証もしない。霊峰への登頂のために出国する者達には、そういった旨の書状に一筆書かさせているとの事だ。実際のところ、入国には出国の時に発行する木札の半分を持って確認作業としていたが、その半数以上は『返らぬ物』となっていた。

 街道自体もこれまでのものよりもずっと粗悪なものになるのだが、程度の違いこそあれ道は道。国をつなぐ大切な幹線である。今はあまり国家間での行き来はなく、数ヶ月に一度廻る芸人一座や隊商くらいにしか使われていない道は、荒れている所では本当に荒れていた。しかもその両脇は深い森林であったり岩はだの露出する荒れ野であったりと、険しい自然が待ちうけており、迂回路という選択もなかなか取れない。

 ここ三日ほど山がちな土地を徐々に登って来たのだが、高地になるに連れて気温も低めになっている。自然の事をとっても野党のことをとっても、必然的に野宿をしなければならないこれからのことを考えると、少々気が重い。

「ついに、ここまで来たのね……」

 タエコは感慨深げにそう言った。十九年もの間じっとひとところでとどまっていた自分が、今や故郷を遠く離れた地に居るのだからそう思うのも無理はない。それは青年にも同じように言える事であった。

「違うよ、タエコ」

 だが、青年は少女の考えに異を唱える。

「――ここから始まるんだ」

 ヒロはぎゅっと眉に力をこめ、先へと続く道を見据えた。しばらく行くと『森の路』と呼ばれるにふさわしい、うっそうとした樹木の密集する森がどこまでも続いている。故郷の森にもにた、深い森林地帯であった。

 一瞬で移動した故郷の地。加えてここまでの旅路は、あくまでもこの先の準備段階でしかない。旅慣れない自分たちにとって、本当の意味での旅はここからはじまる。

「なにカッコつけたこといってるのよっ、似合わないわよぉ」

 さっきのお返しか、タエコがジト目でそう返した。と、真剣な眼差しだった青年の表情が一気にくだける。

「せっかく人が雰囲気出してるんだからさぁ、同意してくれたっていいじゃないか」

 まるで拗ねた子供のような言いぐさだった。タエコはおろか、思わずホノカもクスッと笑いを漏らした。そのおかげか和やかないつもの空気になっていた。

 旅はこれからだ、その想いは三人とも同じだった。もう引き返せないところまで来ている。どんなに困難が待ちうけていようとも、彼ならば決して挫けることはないだろう。そして、彼ならばそれを乗り越えて行くのだろう。ホノカは、まだ会ってそれほどたったわけではないがこの青年の内に秘められた力強さに、確信めいた想いを抱いていた。


――我ガ主、魔力ガ大気ニ満チテイル。ナニカガ起コル、危険ダ。


 突如、感慨に浸っていた少女の思考を中断させる、幻獣の警鐘の声がホノカの頭に響いた。とにかく急を要するといったただならぬフォルテの様子に、一瞬で気持ちを切り替えた少女が険しい表情で叫んだ。

「ヒロ、タエコ、気をつけて! なにかが……」

 だが、その言葉が終わらぬうちに、前方の森がカッと光に包まれた。

「うわっ!」
「な、なに!?」

 ホノカの突然の変貌ぶりにあっけに取られる間もなく、辺りは白光に包まれた。反射的に目を瞑り、その強烈な光をさえぎろうとしたがそれは瞼越しにでも痛いほどに感じられた。遅れて轟音が大地を伝ってくる振動とともに三人に襲いかかる。

 同時に小動物や鳥類が枝を鳴らして逃げる気配が感じられた。ヒロとタエコは馬達が怖がり暴れるのを、手綱をたくみに操って必死でなだめていた。この状況で振りおとされて、暴れる馬達の蹄に踏みつけられでもしたらたまったものではない。

「な、なんだ!? なにが起こったんだ!?」

 自分自身が恐慌状態に陥らぬよう、ヒロは努めて冷静を装いながら口を開いたつもりであったが、その声はいつもよりもだいぶ上ずっていた。白光はあっという間に消失し、先ほどまでの明るさに戻っている。だが、辺りにはざらつくような重い風が流れていた。

「見てっ、あれ!」

 タエコが、前方を指差して叫んだ。その声にヒロとホノカもその方向を見た。

「!?」
「ひ、光の……はしら……?」

 目を丸くしてその光景を見つめる三人。いや、目をそらすことができないのだ。

 雲を貫き、天高く延びる柱がそこにあった。極めて微細な明滅を繰り返しながら、その巨大な光柱はさながら空を支えるように燦然と存在した。

 深き森林地帯へと続く路のさらに先、木々を揺るがし大地から発される光はあまりにも非日常的であった。きらきらと太陽の光よりもずっと明るく、さりとてやわらかさを失わぬ月光にも似た雰囲気を持っている。

 彼等が呆然としていると、天馬はその翼を大きく広げた。ホノカが指示を出したわけではないのだが、天馬はそうすることが当然かのようにそのまま大空へと駆け出す。

「ちょ、ちょっとフォルテ!? ど、どうしたの!?」

 ホノカの疑問を無視するかのように、フォルテは声高に嘶いた。ヒロとタエコの乗る二頭の馬達がその声に呼応し、天馬に続くように駆け出した。突然の出来事に、ヒロもタエコも馬上からおとされないようにしがみつくので精一杯だった。

「いったいなんだっていうんだっ!」

 舞い上がる途中で聞いたヒロの言葉が、彼女の頭の中で何度も反響する。現場を把握するだけの猶予もない、突然過ぎる天馬の行動。あまりにもめまぐるしく変化する周りの状況に、幻獣以外のだれもが全てを知る由もない。

 だがそのとき、ホノカの頭の中に愛馬の思考が流れこんだ。強大な魔力が作り出した光柱、その天馬が知り得る所の意味。

「……行けば、わかるのね?」

 ホノカは小さく呟いた。決して嘘をつかない幻獣はぐんぐんスピードを上げながら、風を切って空を駆ける。もうこうなっては相棒に任せるしかない。彼女は天馬が羽ばたくのに邪魔にならぬよう、且つ振りおとされる事のないようしっかりと手綱を握り締めた。

 遥か下、地上ではヒロとタエコの乗った馬が光の柱を目指して駆けている。前方の光は、徐々に少なくなり収束へと向かう。相変わらず、ざらつくような風が重い。高原の春は遅くまだ芽吹きを迎えていない木々も多かったが、光の柱が昇った辺りは常緑の樹木が密集している所であった。

 彼等もそして馬達も駆けなければならない理由がわからない。だが、愛馬とともに先に行ってしまった少女を追うためには、そうするよりほかになかった。

 目指すべき所など、問う必要もない。多大な不安を抱きつつも、ヒロとタエコはあの光の柱のもとへと向かった。


「な、なにコレ……」

 ことの異常さに天馬の背でホノカはおもわずそう漏らしていた。唖然としながら地上を見つめる少女の額に、一条の冷たい汗が流れる。今はもうすでに光の柱は消失しており、その上空で様子をうかがっていたのだが。

――光が立ち昇ったその円形のとおりに、森がなくなっている。

 赤茶けた大地がその一角だけ剥き出しになっており、すっぱりと切り取られたように木々がない。まるで、別な空間がそこに現れたかのようだった。先ほどからの癇に障るざらついた重い風は、強力な魔力が働いた名残なのだろう。

 ゆっくりと天馬は舞い降りてゆく。円を描きながら、警戒心を決して緩めずに。だがある程度まで高度を下げたとき、少女はその円の中心になにかがあるのを見つけた。

「あれは……? こ、子供!? フォルテ、急いでっ!」

 それは倒れ伏す少女だった。すっぱりと切り取られた森の中心にうつぶせで倒れるちいさな女の子は、気を失っているのかぴくりとも動かない。ホノカは自分の心に浮かんだ最悪の事態を振り払い、危険も返り見ず一気に降下する。

 天馬が着地するのももどかしく、勢い良く飛び降りた少女は大地がいまだ持つ熱気に顔をしかめながらも中心の少女に向かって駆けた。所どころでまだ湯気が上がる突如出現した小さな荒れ野は、まるで生命の息吹を感じさせなかった。昆虫や草花の一本でさえもそこには存在していない。

 綺麗な真円の中心部は、上空から見た時ではわからなかったがそこだけ不自然な石床になっていた。そしてその敷石に倒れ伏す少女。ただならぬ状況にたくさんの疑問が浮かんだが、そんなことを考えている場合ではないとそれらを追い出す。ホノカは躊躇せず今だ燐光を放つ石床に足を踏み入れた。

 すぐ横に座り込みうつぶせだった少女を仰向けにして抱き起こす。見た所、大きな外傷はなく、ホノカはほっと胸をなでおろした。小さな切り傷や擦り傷は無数にあったが、致命傷となり得るような怪我はしていない。

「う……ぅん……」

 小さく少女がうめき声を漏らした。両目はしっかりと閉じられているが、顔立ちは端整な作りでありとても可愛らしい娘であった。タエコよりも明るい茶色の髪の毛は頭の両側で縛られており、その服装は一般的にどこでも見かけるようなものだ。

 大丈夫、気を失っているだけ。その思いに安堵の笑みを浮かべ、少女の埃まみれになった顔を拭おうと額に手をかざした。

「あつっ、……す、すごい熱」

 ホノカは少女の額にほんの少しだけ触れた手を思わず引っ込めた。気がつけば少女はびっしりと珠のような汗を浮かべている。息苦しそうに何事かうわごとを呟くが、言葉になっておらず聞きとることはできなかった

 手際良く少女の服の前を縛っていた紐を緩め、羽織っていた純白のマントを敷いてその上に少女を横たえた。そこでいったん天馬のもとへと戻り、革の水袋を持って再び少女のもとへと駆ける。

 さきほどと同じように上半身を抱き起こすと、ホノカは水袋の栓を開けて気を失う少女の口へ極少量の水を流し込んだ。と、少女の身体が勝手に反応しコクコクとそれを飲み下す。薬や毛布などは残念ながらヒロとタエコが分担している。彼女は彼女に出来る最良のことをやるしかなかった。

 ほどなくして二人が到着する。願わくはそれまで、件の野党が美しき幻獣と美しき主を狙って現れないことを――、それだけが気がかりでならなかった。



 夢を見ていた。底のない巨大な穴に落ちて行く夢だ。辺りは真っ暗で、彼女がいくら叫び声を上げても誰も気がつかない。ただ落ちて行く感覚だけが恐怖の思いを募らせる。

――助けてっ!

 涙を流しながら、少女は空中に手を伸ばしてもがく。掴めるものはなく、空しく指先が宙に踊るだけだった。

――助けてっ! 女王さまっ!!

 必死に落下の恐怖から逃れようと、彼女をもっとも愛してくれた者の名を口にする。だが、それに答えるものはここにはいない。

――だれか、だれか助けてよぉ!

 半狂乱で泣き叫ぶが、それはとどまる事を知らない。優しかった女王の姿もそこにはない。

『助けなどこない、おまえは闇の巫女なのだから』

 落ちつづける暗闇にぼんやりと、黒衣に仮面の男の姿が浮かんだ。少女はその男の言葉を聞かぬよう、両手で耳をふさいでいやいやをするように左右に首を大きく振った。

『破壊の子、滅亡の姫、暗黒の寵児、いくらでも言いかえられるが本質は一つ。そして、その本質は決して変えられぬ、曲げられぬ、逃れられぬ。自分自身がそこにある限りおまえはこの空虚な世界に堕ちるしかない。そう、人間である限り――』

 落下しつづける少女に、残酷な宣告を下す仮面の男。銀髪が暗黒に飲みこまれた世界でやけに明るく輝いていた。

『我らとともに歩め、闇に身を任せば闇を恐れる事はなくなる。闇に溶け、闇に生き、闇とともに世界を創れ。誰からも愛されなかった世界などに、価値などないであろう?』

 甘く優しく語りかける声。それは少女自身の心のなかでの反響に過ぎないのかもしれない。そうだとしても、それはとてつもなく魅力的な誘惑だった。

――消えろっ、お前なんか怖くないもんっ!! 

 だが、少女はその誘惑に屈する事はなかった。仮面の男の姿はその一声で消え、再び闇に戻った世界で、少女に惜しみない愛を注いでくれた女王の事を憂いて涙する。

――女王さま、私はどんなに辛い真実にも、きっと耐えてみせます、乗り越えてみせますから、だから……だからあなたは泣かないで。

 ひときわ大きな涙の珠が彼女よりももっと疾く、闇の穴底へと落ちて行く。と、それは光に変わった。煌く光の粒子があつまり、人の形になる。いつのまにか少女は緩やかにその光に向かっていた。

 両手を広げて降りてくる少女を迎える光の人影。

 若い男性を思わせるその人影は、父を知らぬ彼女にとっての父であり、兄であり、恋人であり、あたたかい居場所であった。これから出会うはずの存在なのに、こんなにも愛しくこんなにも心地良い。

――やっと逢える、やっと逢えるんだ……

 音もなく降り立った少女をふんわりと抱きしめる。安堵のなか、光に抱かれながら彼女はやすらかな表情で瞳を閉じた。

 もう涙は流れていなかった――。



「……あ、気がついた?」

 ゆっくりと瞼を押し上げると、辺りはそれまでの景色と一変していた。ここはもう石造りの地下室ではない。すぐそばには藍色の神官服を来た女性がいて、自分を優しげな笑顔で見下ろしていた。
 すぐそばからぱちぱちと焚き火のはぜる音が聞こえる。空は夕暮れに赤く染まり、徐々に夜の冷たい空気を運んできていた。

「ここは……?」

 自分自身で記憶を整理しながらも、少女はその女性に対して短く口を開く。自分の覚えにはない女性だが、なぜか懐かしさのようなものを感じた。

「ここは『森の路』と呼ばれる国家間中立地帯、はじめまして、私はホノカ」

 すっと神官服の女性の後ろから現れたもう一人の女の人が、彼女の質問に答えた。さりげなく自己紹介までしてしまうところさすがである。相手に対して警戒心を抱かせないその微笑みは、この少女にも有効だったようだ。

「あ、ホノカ。良いタイミングでもどって来たわね、いま目がさめた所よ」

 薪を拾いに行っていたのか、その両手にはいっぱいの小枝が抱えられている。タエコはわずかに振り向いてホノカに答えると、その少女はゆっくりと頷いた。

 タエコはその手を横になっている少女の額に押し当てた。先ほどまでの高熱が嘘のようにひいている。強大な魔力にあてられたせいだろうと判断していたが、ちゃんと平熱と呼べるまで下がってほっとしていた。

「うんうん、熱も下がったみたいだし、もう大丈夫かな」

 大きく頷きながら、人懐っこい笑顔でタエコは言った。

「私はタエコ、よろしくね」

 ここは先ほどの円形地より随分と離れた所だった。遮蔽物のない場所であるしさすがにあの場所に居座る事は避けなければならなかった。光の柱が消え、害がないとわかれば好奇心に駆られた無法者達が確かめにくることは免れない。高熱の少女を抱えた身ではあまり移動する事もかなわなかったが、すくなくともその場にとどまっているよりはマシな所まで移動し今日の野営の地と決めた。

 低い木の枝に天幕を括り付け、簡易的な屋根にする。と、同時に横風を防ぐよう風上に向けてそれを張った。あとは焚き火を絶やさないようにして暖を取りながら、朝まで交代で見張る。先ほどまでは保存食をうまく使い、タエコが料理の腕を振るっていた。

 集めて来た薪をそばに置くと、ホノカはタエコの反対がわに回り込んで膝をついた。背後にならぶ木々が風にざわざわと音をたてている。

「ねえ、あなたの名前はなんていうのかな?」

 ホノカはやわらかな微笑をうかべたまま少女に問いかける。タエコの白い手があてられた時なぜか恥ずかしそうに身をちぢ込めていた少女であったが、ホノカの言葉に思い出したように口を開いた。なぜかほんのりと頬が赤い。

「……わ、わたしの名前は……」

 するとタイミング良くもう一人が野営地に現れた。その姿を見つけ少女は言葉を切った。視線がくぎ付けとなる。

「ふー、とりあえず付近に怪しいやつらはいなかったよ。獣の気配もとくになかったし……そうそう近くに涌き水があって、ちょっとした池になってるから、あとで水を汲んで来ておく。それにしても、だいぶ冷えて来たな……」

 のんきにあくびをかみ殺しながら、ヒロは手にした剣を荷物のそばに置いた。集まっている二人のうち幼なじみと目が合って、にこりと笑った。

「あ、おかえり。いまこの子が目覚めたところで……」

 そう青年に語りかけるタエコの影から、少女が飛び起きて青年に駆け出した。

「ヒロッ!!」

 少女の叫び声に、全員が耳を疑った。そして皆が呆気に取られるなか、そのまま青年に飛びつく。期せずして抱きとめた青年もなにごとかと目を白黒させていた。

「逢いたかった……やっと逢えたんだ……」

 青年の胸に顔を埋め、熱っぽく呟く少女。だが、ヒロはこの少女の事などまったくもって知らない。十九年間を一緒に過ごした幼なじみのタエコも知らないと断言しているのだから、それは間違いなかった。

「き、君は……?」

 場違いとも取れるが、その問いかけ以外に青年は言葉を失っていた。青年の名を知っていた少女と違い、彼のほうは相手の名を知らないのだからその疑問は当然のことである。泣いているのか少女の体は小刻みに震えていた。

 ゆっくりとその顔を上げ、抱きつき青年を見上げる形で少女は口を開いた。

「わたしはエミル、ヒロに逢う為にここに来たの」

 見た目からして4〜5歳は離れていると思われる少女に対し、不覚にもヒロはその胸の鼓動が速まるのを押さえられなかった――。



To be continued.


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