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 『幽魂変成時空転幻』は厄介な魔法だった。仲間内からも『魔人』と称されるだけの魔力を有した彼女でさえも、転移者の追跡は不可能であった。あの褐色の女王の言った通り魂の波長までも変えられては、移動先はおろか出口時空の座標も見当がつかない。

 魔力発動と同時に追跡を開始すれば、あるいはどうにかなったのかもしれない。だが既に少女の姿はなく、かすかな魔力の残滓さえも残っていない。この状態からの転移追跡と時空探索は非常に難しい。

 だが彼女は『絶対』という宗教は信仰していなかった。むしろ破戒者でさえある。

 なにか手がかりはあるはず、人の造りしものに欠落がないはずはない。そう、完全と言う陳腐な単語であらわされるほど、完璧で落ち度のない真の完全たるものは、いつの世にもありえない。そこにこそ、逆の絶対教が存在する。

――自分の存在がそうであるように。

 自虐的に口もとをゆがめると、彼女は魔力の手を空間に広げた。

 彼女の無表情さからは、およそ必死になるとか死に物狂いになるといった痴態は考えられなかった。だが、もちろん彼女自身にも求めてやまないものは存在する。決して自らの手では掴めぬものがある。

 転送の魔法は術者、被術者ともに大きな負担をその身に受ける。負荷を軽減し打ち消す呪節を含めて魔法を発動させるわけだが、それにしても『時』と『場所』を一気に越えるような古の超転移魔法は、途方もない反動を生み出していた。少なくとも自分自身に発動させるような愚は冒せない。

 無尽蔵に近い魔力を有する彼女には無縁の話であるが、これほどまでに大掛かりな転移をやってのけ、その魔力の大半を消耗した身体にもかかわらず連続して禁呪を唱えた、女王サリィは相当なる力量の持ち主だった。過去の英雄の残した増幅装置を利用したとはいえ、純粋に賞賛に値すべきことである。

 魔軍参謀が評価したように、かの女王はこの程度で死なれてはこまる存在であった。長大な神聖儀式魔法については、赤の魔将軍でさえ造詣深くないところである。まだまだ彼女の知らぬスペルのストックを有しているのだろう、それがとても興味を引いた。

 此度の転移に組み込まれた『幽魂変成』は、魂の波長を変える魔法である。失敗した時は発狂するかショックで死を迎えるかのどちらかという、賭け要素の高い非常に危険な代物だ。成功率も極めて低い。だからこそ、ここまで巨大な魔力増幅陣と長々しい呪文の詠唱が必要なのだ。

 ふと、彼女は疑問を抱いた。めくらましのための『幽魂変成』と逃走のための『時空転幻』ならば、『幽魂変成』の方だけをなんとかすればターゲットの行方を掴む事が出来るのではないか。だがどうやって手がかりを見つければよいのか。

――魂の波長を変える……?

 彼女はその「魂の」というくだりになにか引っかかるものを感じていた。

――初めから無生物ならば、魂を持たぬものならばどうなる……?

 それは完全なるものなど存在しないという彼女の信念が、古代の完全なる儀式魔法を上回った瞬間であった。

 そして『それ』は拍子抜けするほどにあっさりとすぐ見つけられた。『それ』に気がついた時の無意識に浮かべた笑みは、自分でもこんな表情ができたのかと感心してしまうほどの邪悪な微笑だった。




センチメンタルファンタジー
第十話 「霊峰」




――タエコがさらわれた。

 青年が口にした言葉に、ホノカは耳を疑った。だが青年のこの上もなく真剣な表情が冗談を言っているのではない事を証明している。聞き間違えるはずなどありえない。

 彼女は酷く困惑していた。あまりにも多くのことが一度におきすぎて、どう対処していいのかわからなくなっている。ただ、そんな事態に陥りながらも決して取り乱したりしない所は、高貴なる血筋ゆえのことであろうか。……いや、単に現状を把握しきれていないためかもしれない。

「それってどういうこと……?」

 ホノカは気力を振り絞って声を出した。心臓がどうしようもなく鼓動を早めている。先ほどの言葉は、ただの気の迷いだと言って欲しかった。胸が張り裂けそうになる。

 ヒロは目に見えて気落ちしていた。だがその瞳だけは痛いほどに険しく、握り締めた拳と剣の柄を交互に見つめている。自責の念が渦を巻いて青年を取り込んでいた。

 朝の清廉な空気は、先ほどの戦闘で慌ただしく埃っぽいものに変わってしまっていた。どこか殺気だったままの雰囲気が、その場に居座りつづけている。臆病な小動物達は、いまだ震えあがっていることだろう。だが完全に炭化した、魔物だった塊はなにも語らない。

 その力を奮った張本人は、消耗で座り込んだまま成行を見守っていた。危機は去ったはずなのに、胸の鼓動はおさまりそうもない。張り詰めた青年の表情が、なぜかエミルを不安にさせていた。

「……タエコはさらわれた。あいつを連れ去った魔道師は、俺に霊峰まで来るように言っていた。俺はあいつを連れ戻しに行かなければならない。だから……ホノカとエミルは先にティレンサイドまで行って待っていてほしい」

 淡々と青年は同じ言葉を繰り返した。その声音には感情の起伏と言うものが感じられなく、どこか人形じみていた。自動的に言葉を繰り返したといった方がいいか。これではまるであの魔将軍と同じようではないかと気がつき、心の中が嫌悪で満たされる。

 戦闘の余韻から冷めると、待ちうけていたのは、そんな極めつけに悪い知らせだった。エミルの素性も気にはなっていたが、ヒロがそれどころではないと不問にしていた。話したくなったら話してほしいと、小さな魔道士の頭をぽんと置いた手で軽くなで、それ以上は追求しなかった。

 しかし、その仕草すらもホノカの目にはおかしなものにしか見えない。青年に一体なにがあったのだろうと思わずにはいられなかった。ほんのわずかな時間でしかない間に、ヒロは酷く落ちこみ自信を失っている。ホノカは胸が詰まる思いがした。

「俺一人で行ってくる。ホノカはなにも心配しないでいいよ」

 知らず知らずのうち無表情になっていたことに気がつき、ヒロは無理矢理笑顔を作ったが、それもどこか硬さの残る不自然な笑みにしかならなかった。これでは余計心配をかけてしまう。ヒロはどうにもならない感情をもてあましていた。

 それは青年にとって最良の選択肢であった。敵は一人で来いとは言っていなかったが、ホノカとエミルを一緒に連れていくつもりはなかった。

 危険にさらされるのは、もう自分ひとりで良い。大切な幼なじみを危険な目に合わせてしまっている事実と、手も足も出せずにみすみす逃がしてしまった情けなさがヒロの焦らせていた。

 加えて、青年が野営場所を離れた時を狙いホノカとエミルは魔物に襲われていた。エミルのおかげで撃退することができたが、これ以上ホノカやエミルを巻きこむわけにはいかない。口には出さないがその想いは強く胸に焼き付けられてる。

「違う、私が言っているのはそういうことじゃない」

 ホノカが反論の声をあげた。ここまでくると青年の気落ちしている理由が、タエコの拉致に関連しているだろうことくらいは予測がつく。それを追求して欲しくないヒロの気持ちもなんとなくわかっているつもりだが、ここでなにも言わずに引き下がれるほど無関心ではいられなかった。

「私だってタエコのことが心配なんだよ、なんの理由も説明もなしに先に行って欲しいといわれても、納得なんてできない」

 釈然としない想いが、たくさんの疑問を青年に投げかけようとしていた。極力冷静に進めようと思っていたのだが、ホノカの意志に反して抑えきれない感情がこみ上げる。一度口を開いてしまえば、あとは次から次へと言葉が紡がれ、はっと顔を上げた青年を責めるような口調で問い詰める自分がそこにいた。

「ヒロは前に言ったよね? 自分たちのことは『仲間』だと思えって。それでもタエコの心配をするのはそんなに変なことなの? それが当然のことでしょう。いったいなにがあったのかもわからない、でも心配はいらない、……そんなの理解できるわけない」

 強引にも青年の手を取って、ホノカは言葉を続けた。なかば呆気に取られたようにヒロは目を丸くして少女の様子を見守っている。

 少女の瞳は真っ直ぐにヒロの瞳を見据えていた。さほど身長差のない二人であるが、向かい合うとどうしてもホノカが少しだけ上目遣いに見上げることになる。だが、その視線はあまりにも純粋で、知らず知らずのうちに伝わるその想いに、自分がいったい何をしているのかと恥ずかしくなる。

「ヒロにとってのタエコが、ただの『仲間』におさまりきらない存在だって言うのはわかっているよ。けど、私にも心配くらいさせて欲しいの。なにも告げられないままって言うのはどう考えてもおかしいよ」

 それくらいはわかる、ホノカの言いたい事はわかる。けれども、そこで納得して良いものか、くだらない男としてのプライドがホノカの言葉を拒絶する。いたたまれなくなってヒロは少女から目をそらした。

――なにしてるんだろう、俺……。

 意地になっている自分が可笑しかった。一言も返せない自分が滑稽だった。伝えられない理由のなかに、なす術もなく敵にあしらわれた無様な自分がいて拒んでいるのだ。

「納得されないのは承知の上だ。無茶を言っているのもわかっている」

 ホノカがこれほど情熱家とは気がつかなかった。確かにその片鱗は見え隠れしていたし、考えてみれば天馬に認められるほど心の強い少女である。可愛いだけのお飾りの存在などではない。

「けどこれは、どうしても一人で解決しなければいけないんだ。それに危険だってわかっているのに、ホノカやエミルを巻きこむことはできない」

 ヒロ自身、なぜタエコがさらわれたのか解からない。あの紅い瞳の魔将軍が自分に何を求めているのか、なぜ祭壇とやらにいかなければならないのか、彼には皆目見当がつかなかった。

 そうは言っても、事実としてタエコは連れ去られているし、無二の幼なじみを見捨てるわけにもいかない。わからないのは自分も同じなのだが、理不尽だといって投げ出す事はできるはずもない。いずれにせよ、彼は闘いに赴かなければいけなかった。

 とはいえ、その自分自身でも理由のつけられない闘いに、崇高なる使命を与えられたホノカや、なりゆきで一緒になったエミルを連れていくのは気が引けた。いうなれば私闘にも近いものなのだ、少なくとも青年の心の中では。

「それは違うと思うわ」

 ホノカは静かに答える。青年の心の独白を見越したように、それでいて彼の自尊心を傷つけないように、少女はやんわりと示唆するように呟く。

「ここで二手にわかれたって、ティレンサイドを目指す私達が安全だとは限らないよ。関所で聞いた野盗がでるかもしれないし、またあの化け物に襲われるかもしれない……。仮定の話なんて無意味よ」

 少女の言い分はもっともだった。ただでさえ危険と隣り合わせの無法地帯のただ中にいるわけである。これ以上別行動をとったとして、はたして安全足り得るものなのか。少し考えただけでもその答えは目に見えている。

「それにいまさら巻きこむとか巻きこまないとか、そういう考え方はしないで欲しいな。私は一人の戦士としてここにいるのよ、心配してくれるのは嬉しいけどあまり過保護に扱われても困るわ」

 ホノカはここまでの旅路の中で密かに心に抱いていた想いを吐露していた。確かに口調はずっと親しげなものに変わっているが、青年の過度な丁重さは閉口するほどだ。不寝番も結局青年が一番長い時間を受け持っていたし、常にホノカに気を使っているように見うけられた。

 ふと、青年はくいくいと袖をい引っ張られるのを感じた。いつのまにそばまで来ていたのかエミルが心配そうな顔ですぐ後ろに立っている。

「エミルはヒロについてくよ。なにがあっても離れない……離れたくないから……ね」

 ホノカと同じ、情熱に溢れた瞳でエミルが見上げていた。必死にこらえた涙は、かろうじて瞳の淵を越えていない。だが、潤んだ視線は青年の心を揺さぶるには充分なものであった。

「だけど……」

 反論しようとして青年は口篭もった。伝えたい事はたくさんあるのに、上手く言葉にできないもどかしさがあった。何を言っても旗色が悪くなるだけで、二人を説得するどころか、ますます同行の意志を高めさせる結果になってしまう。

「理由が話せないっていうのなら、それでもいい。そのかわり、一緒に行くから、……自分の眼で確かめるから。……タエコが心配なのは、ヒロだけじゃないんだよ」

 視線を外されていた少女は、過度の落胆を含んだため息とともに小さく言った。

「……」

 大きく両肩にのしかかる重圧を感じながらも、どこか心の底でほっとしている自分がいる。だがそれを手を上げて認める事のできない意地をはったままの心もあった。

「好きにすればいい……」

 最後まで目を合わせる事ができず、ポツリと青年はつぶやいた。

 くるりと踵を返し荷物をまとめはじめる後ろ姿は、誰の目から見ても浮き足立っているだろうと思えた。二律背反する想いが交錯する中、それでも自分自身の心の中にめばえたしこりを取り去る事はできず神経を尖らせる。

 なによりも、ありがとうと素直に言えない自分が情けなかった――。



 タエコが目覚めた時、そこは暗い洞窟の中であった。後ろ手に縄でもかけられているのか自由に動く事ができなずにころがっている。足も同じで一向に自由にならない。大地の冷たさが、身体を芯まで冷やしていた。彼女は混乱する意識を整理し、一体なにがあったのかを必死に思い出そうと試みた。

 早朝の見張りをヒロと交代して、いままでの旅の事をぼんやりと考えて、あたりが明るくなってきて……、それから水場にいったんだっけ……。

 と、そこまで思い出したところ唐突に背後から声がかかった。

「お目覚めかな」

 少女とも少年ともとれるような中性的な声。さらわれた時、音を遮断されていた彼女はその声を初めて聞いた。ふりかえろうとして、身体が拘束されている事を思い出す。今のタエコにはいも虫のように転がる事しかできなかった。

――あなたは誰?

 そう声を出そうとして、その言葉が出ない事にあらためて気がつく。猿ぐつわを噛まされているわけでもないのに声が出せないのは、魔力によって相手に捕らえられたからだと思い出した。つくりかけのパズルのようだった記憶が、かちりと音をたてて組み上がる。

「そんなに怖い顔でにらまないで欲しい。いま解くから」

 灯かりはなく、ぼんやりとしか相手の姿は見えない。それは相手側にとっても同じはずなのに、暗闇をものともしないその人影は短く呪文を詠唱する。

「『解呪』」

 すると、ふっと身体を戒めていた呪縛が消え失せた。タエコは警戒心を解かずにゆっくりと身を起こす。武器の類いをまったく持っていない事が、少なからず彼女を不安にさせていた。

「そんなに警戒しないでもいいよ、……といっても無理な話かな、あんな事をした後じゃね。手荒にあつかうつもりはなかったんだ、ただちょっと騒がれると厄介だったから気を失っていてもらっただけだよ」

 感情の起伏をあまり感じさせない平坦な調子でその者は言った。暗闇に目を凝らすと、自分とさほど体格の代わらない小柄な人物である事がわかる。

「ここは少々暗すぎるかな。いま灯かりをつけてあげる」

 タエコの思考を読み取ったかのようにそう言うと、その者はぱちんと指を鳴らした。すると詠唱もなにもなく、手のひらの大きさの光球が天井近くに生み出される。それは充分過ぎるほどに明るく、煌々と辺りを照らした。

 暗さになれてきた瞳に、いきなり飛びこんできた光は痛いほどにまぶしく、タエコは顔前に手をかざし目を細めて光量を絞った。揺らめきのない魔術の光は、さながら小さな太陽のようでもある。ここまで北王国内の旅路で何度も見ていたが、ここまで明るいとかなりの違和感を覚える。

 宿の部屋灯に使われていた魔法灯は、この光と比べるべくもなくぼんやりと薄暗くしか明かりを生み出さない。それでも夜間に部屋の明かりとするには充分である。大きめの街には街灯として夜の街を照らすため、もう少し光度の高いものが備え付けられていたが、それもここまで明るくなかった。

 そうこうしているうちに目が慣れてきたため、タエコは目の前の人物を観察してみた。薄く笑っているような、それでいて感情を感じさせない怜悧な瞳は少女に危険な匂いを感じさせた。

 黒皮のブーツ、漆黒のマント、金の模様を織りこんだ闇色の貴族風な衣服と、胸の前に留められた大きな装飾宝石。そしてそこだけ不自然なほどに燃えあがるような真紅の瞳と髪。首までのぴったりとした魔道師衣を中に着込んでおり露出は皆無だが、わずかに覗く肌は驚くほど白い。両手にはなにか模様の描かれた黒い手袋をはめていた。

 細くしなやかな髪は、耳が隠れるくらいの長さで整えられ男性でも女性でもない中性的なイメージを与える。いや、その体つきを見れば女性であろうことは一目瞭然だが、それを忘れさせるくらいに彼女の発する中性的な香りは強かった。

 黒と赤の同居する、鮮烈なイメージを植えつける不可思議な人物は、にこりとも笑わずに悠然とタエコを見下ろしている。彼女が森で意識を失う直前に見たその者であった。

「……あなた、誰?」

 ようやくタエコは口を開いた。不思議と恐怖心はそれほどなく、疑問ばかりが胸に浮かんでくる。相手に気圧されぬよう強く気を持ちながら、極慎重な口ぶりで尋ねた。

「……? ああ、そうか。聞こえてなかったわけだね」

 少々の間不思議そうな顔をしていたが、その理由を自分だけで納得すると彼女はタエコに対して二度目の自己紹介をした。

「私はユウ。魔将軍……といってもわからないかな。……そうだね、世界にあだなす者達の先導者といえばわかってもらえるね。つまり、そういう者……」

 タエコは相手の言葉を容易には理解する事ができなかった。『世界にあだなす者』とはいったいなんの事か、まったくピンとこなかったのだ。ユウとなのった相手の言葉にあった『魔将軍』という単語は非常に気になったが、なにか不吉な響きを感じそれを口に出すのもはばかられた。

「もっと簡単にいうと、世界の敵ってことだよ。もっとも、それだけの事で動いているわけではないけどね」

 疑問符を顔全体に浮かべるタエコに、ユウは淡々と答える。その瞳が妖しい光をたたえ、同時に空気の質が変わってしまったかのような感覚を与えた。びくりとタエコの背筋に冷たいものが走る。強烈な悪寒が少女を包んでいた。

 心の底まで見透かすかのような視線。見つめ返すと奥が深く底のない赤い闇が広がっている。タエコは引き込まれそうになる自分をすんでのところで抑えた。
「……その世界の敵が、なぜ私なんかをさらったの?」

 気丈にも少女は赤い髪の魔将軍に問い返した。気を抜くとがたがたと震え出してしまいそうなほどの寒気がしている。実際に温度が下がったわけはないが、ユウの放つ魔気にあてられたのかそう感じずにはいられない。タエコは必死に気を強くもとうとしていた。

「その問いに対する答えは単純さ。何事においても、ドラマティックなほうが人生楽しいだろう?」

 魔将軍の回答はまたも不可解であった。わざとなのかそういう性格なのか、物事の要旨を大きく省いたもの言いをする。タエコはそれがとても不快だった。

 なにがドラマティックなのか? その目的は? この女性の言葉には、どうもわからない事が多過ぎる。曖昧な言葉を嫌い、白黒をはっきりとつけたがる少女にはとうてい理解できなかった。

 それを見越したかのように、ユウは言葉を付け足す。

「陳腐な言い方をすると、ただの人質ってこと。勘違いしているといけないから伝えておくけど、別にもう一人の彼女でもよかったんだよね。彼氏が大切に思っている人なら誰でもよかったから」

 大切な、という言葉にタエコはどきりと胸を弾ませた。自覚していないわけではないが、いざまじまじといわれるとそれが敵からの言葉であっても衝撃を隠せない。

 つまりはこういう事なのだろう。さらわれた人質を助けるためにやってくる青年が、彼女の本当の目的なのだ。都合よく一人でふらついていたタエコに、白羽の矢がたっただけの事である。

 理不尽な思いが浮かぶが、それ以上にタエコは青年の事が心配でならなかった。自分のおかれている現状を遠く彼方に飛ばし、彼女はヒロの苦悩を憂いた。

「ヒロは来ないわよ……大切な使命を背負っているもの、私なんかただの口うるさい幼なじみでしかないんだから」

 それはタエコ流の強がりだった。だが、言っている自分がそうならない事を一番知っていた。青年は何があってもくるだろう、そういう性格なのは身にしみてわかっている。

「でも君は、彼氏が来てくれる事を信じているし期待してもいる。矛盾しているよ、その言葉は」

 心の中を読んだかのように、ユウの言葉は少女の意志を代弁した。瞬間、かっとタエコの頭に血が上る。

「あ、あなたなんかに何がわかるって言うのよ!!」

 思わず叫び声にも似た大声をあげた。反響が静寂に包まれていた洞窟の中に幾度も跳ね返って、彼女は赤面する思いを味わったが、その瞳は赤い髪の魔将軍を真っ直ぐにとらえ、厳しい眼差しで見据えている。

「なにもかもを知るかわりに、なにもかもわからないんだよ、私は」

 気色ばんだ少女を、ことさら無表情な瞳で見つめ返し静かにユウは語った。奥底に広がる荒涼とした虚無感が、意図せず少女の心に流れこむ。あっ、と小さく声をあげタエコは両手をついて倒れ伏すのを堪えた。

 心臓が凄まじい速さで血流を繰り出している。わけもわからずに息が荒い。だがこれは魔将軍の魔力が発動された結果ではなかった。いうなれば無意識のうちに彼女が精神共鳴を起こしたせいとでもいおうか。

 びっしりと額に浮いた冷や汗が、頬を伝って大地に落ちる。貧血の症状にも似た、頭痛とめまいと、軽い嘔吐感がタエコを襲っていた。視界の隅の方がちかちかと瞬く。ユウの存在を認識できなくなるほど、タエコの体調は一気に急変していた。

「どちらにせよ彼は来るだろう、君にはしっかりと人質の役割を果たしてもらう」

 一人言のようにユウは呟いた。どこか焦点の定まらない、不思議な瞳をしている。

「念のため言っておくけれど、逃げても無駄だから。あきらめて彼が来るのをまつんだね、お姫さま……」

 苦痛に打ちのめされるタエコを後目に、漆黒の魔道師は冷徹にそう言いきりさっと背を向けた。タエコは薄れゆく意識の中で、遠ざかるユウの足音がまったく聞こえない事をふと疑問に思っていた――。



 霊峰の祭壇に来い、そう敵は言っていた。

 ホノカとエミルの同行を意図せず承諾してしまったヒロは、切ない思いを霊山ジルヴァニアへと向けていた。木々に阻まれてその姿を認識する事はかなわないが、捕らえられたタエコがそこにいると思うと身が焦がれる。

 すでにあたりには夕暮れの空気が漂い始めていた。高地の気温は太陽が隠れてしまうと一気に下がる。今はまださほど寒さを感じないが、それも時間の問題であろう。梢の間から差し込むオレンジ色の光は心なしか頼りげない。

 ここまでの道のり、運良く野盗にも獣にも襲撃を受けなかった。

 大切な幼なじみをさらわれたという事実は、確実に青年の口数を少なくしていた。いつもの明るい口調が聞けないのは精神的にこたえると、ホノカはタエコの持ち馬だった栗毛の雌馬の馬上で純粋に思った。

 こう木々が乱立する細い街道では天馬は翼が広げられず、思うように駆ける事ができない。その翼で飛ぶわけではないと以前聞かされていたのだが、翼をたたんだまま飛べるかというとそうではないらしく、いたって複雑なものである。

 その性質上、大地を駆けるのには向かない相棒に「なにかあったら呼ぶから」と言いつけたホノカは、そのままタエコの乗っていた馬にまたがった。山がちな土地だが、あいにく馬が駆けられるくらいの路は整備してある。心配する天馬には悪いが、一人で出ていこうとする青年を追いかけるにはそうするしかなかった。

 ノースグリーヴとティレンサイドを繋ぐ街道を、途中のジルヴァニアへの登山口分岐に進路をとり、一向は馬を駆けさせた。かなりの強行軍になっていたが、ホノカも青年のすぐ前にちょこんと乗ったエミルも文句の言葉ひとつなかった。もちろん馬達の休憩時間は必要だが、それも最小限におさえてある。馬で駆けられる道がある間は、かわいそうだが多少の無茶は我慢してもらうしかない。

 祭壇とは一体なんなのか、それはホノカから説明があった。

 峰の頂上近くにあり、連綿と続く歴史上で幾度も登場し、その都度訪れたものを鍛えなおす修行場として名高い霊験なる地。ジルヴァニアが霊山と称される由縁もそこにある。

 加えて、伝説の英雄ユゼスが神より授けられた剣を、最後に封じた地とも伝えられていた。ただし、ユゼスの存在は神話に近いものがあり、一般的にはつくられた物語と言われている。神にも勝る力を持った勇者という肩書きは、本当の事として受けとめるには少々大仰過ぎた。そのような英雄の話しは御伽噺くらいがちょうどよい。

 とはいえ、歴史上の数々の人物がここで新たなる力を得たり、悟りを開いたりしている記録は偽りのない真実である。険しい自然に包まれた地であることも、祭壇と呼ばれる場所に到達するまでの過酷な道程があることも、その場の霊的な価値を証明しているかのようであった。

――しかし。

 鞍上の青年は思考を廻らせていた。釈然としないことがあまりにも多すぎて、整理しようにも整理できない思いが渦を巻いている。その思いは混沌としていて、どうにももてあまし気味であった。

――祭壇にはなにがあるというのだろう? そこまで自分を呼び寄せる意味は?

 うまく言い表せないが、敵はどうも自分を試しているような気がしてならない。タエコをさらったのも自分が逆上し冷静な判断を下せなくするためではないか。

 ユウのいっていたことが本当ならば、今朝の化け物も旅立ち前の故郷での化け物も、そして父親の命を奪った一年前のあの日の化け物も、全てあの魔将軍の手引きによるものとなる。そう考えるとやるせなさと理不尽さで胸が痛い。

 実際のところ世界を敵にする忌まわしき魔の軍団の将軍であると、そういわれてもあまり憎しみもわかないしピンとこない。現金なもので自分に関わり合いのないところでの敵というのは、はっきり言ってどうでもいいものだったりする。
 確かに、今回の場合魔将軍ユウは父の仇であり幼なじみをさらったものである。

 だが彼がユウに対して憎しみの感情を抱いているかというとそうではなく、不甲斐ない自分に腹を立てているだけのことであった。辺境の地に健やかに育まれた彼の精神には、憎悪の念というものが決定的なところで欠けているせいなのかもしれない。

 いくら考えてみても、敵の意図は全く分からない。そこまで計画的に、自分を祭壇まで呼び寄せる理由はいったいなんなのか。心当たりどころか、青年はホノカの口からそのことを聞くまで存在すら知らなかった霊峰の祭壇。ユウはいったいなにを画策しているというのだろうか?

 タエコをさらわれて苦い思いをしているはずなのに、ヒロの心の中には憎しみよりも好奇心が勝っていた。結局のところ、当人を問いただすしかないのかもしれない。

「ヒロ、もう少しいくと整備された登山道が終わるわ。そこに小さな小屋があるみたいだから、今日はそこまでにしておきましょう」

 すぐ背後につけた馬上から、ホノカの声がかかった。遠慮しているのか彼女もいつもよりかなり口数が少なくなっている。だが極力明るく振る舞ってくれる彼女の存在は、気が滅入りそうになるこの状況下でとてもありがたかった。ホノカは強い。

 夕方の黄昏に押し包まれる霊験の地の、ひんやりとした空気が頬をなでる。これ以上無茶をしてもしょうがないだろうと、青年も見限りをつけた。

「わかった。そうしよう」

 ここまできて意地の張り合いをしてもなにも得はない。ヒロは小さく頷くとホノカの提案に賛成の意を示した。腕の中に抱くようにしたエミルも、こくんと首を縦に動かす。今はタエコが羽織っていた外套を着込んで寒さをしのいでいるが、青年達に比べ明らかに軽装なエミルはとても寒そうだった。


 ほどなくして斜面に埋め込まれるようにしてたてられた、小作りなログハウス風の小屋が見えてくる。いつの時代に誰がたてたのか、それはわからないがさぞ多くの人々が一夜の暖をもとめてここに寝泊まりしたのだろう。幾多の想いがここに集っているのだ。

 明日は徒歩での登頂だ。体力のないエミルや、ホノカがどこまでついてこれるかわからないが、彼女たちの一緒にいきたいという意志は尊重しなければならないとおもう。

 吐く息が白くなってきたこともあり、青年達は早々に山小屋に引き込んだ。

 尽きぬ不安と闘いながら過ごす夜は、何とも長く感じられるものであった――


To be Continued


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