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 春の雷雨は、打たれていた時間がほんのわずかの間であったのにもかかわらず、叩きつけるような強さで三人をたやすく濡れ鼠にしてしまっていた。天をひっくり返したような、とはこんな時に使うのだろう。

 小屋の窓から眺める雨脚は強く、しばらくは止みそうな雰囲気をみせない。とはいえ精神も肉体も疲労に打ちのめされていたヒロ達には、わずかばかりの休息をとるまたとない恵みの雨となった。これからの道程を考えれば、休める時に少しでも休んでおきたい。

 特にホノカの長髪は雨を多量に吸って、頬やうなじにぴたりと張りついている。度重なる出来事に今はまだ気丈な様子をかろうじて保っているものの、疲労の色濃い蒼白な顔は隠しようがなく、普段から白い肌をさらに白く見せていた。儚げな眼差しを床に落としながら、重たそうな濡れ髪をまとめる。

 その髪を拭く仕草に、ヒロはどきりと鼓動を早めさせた。普段ならばはつらつとしたさわやかさを見せる少女が、このような妖しいほどの艶やかさも垣間見せることに驚きを覚えたのだ。少なからず気落ちしており明るくなれないこともその一つの要因、どこか影のある表情も限りなく美しい。

 いつの間にか見とれてしまっている自分に気が付き、恥ずかしさに彼は目線をそらした。運良く、ホノカにもタエコにも気づかれてはいないようだ。

――不謹慎だぞ。こんなときだってのに。

 ヒロはそう心の中で一つため息をついた。全く、あのような戦いの後だというのに、どうしても色気づいてしまう若さが恨めしい。

 ホノカは美しい。そして強い。国にとっても、そしてヒロ達にとっても単なるお飾りの存在ではなく、大切な仲間だった。

 先の戦闘は少女達の心に何を刻んだのだろうか?

 だがたとえそれがどんなものであろうとも、この先に待つ過酷な戦いはなくなってはくれないだろう。魔との戦い然り、人との戦いも然り。いつか乗り越えなくてはならず、さけては通れない道。

 だからこそ進まなければならなかった。それが荊の道であろうとも、今は歩みを止めることなどできない。

 新緑の樹海にさめざめと雨が降る様は、まるで天が泣いているようにさえ思えた。




センチメンタルファンタジー
第十四話「天舞」




 夜を徹しての強行軍に、三人の疲労はピークに達していた。

 東側に向けた林道は下り坂ではあったが整備は皆無で、かろうじて馬がゆっくりと駆けられる程度と、かなりの悪路であった。その上、木々が道脇のすぐそばまで密集していて翼を広げた天馬が駆けられるほどのゆとりはない。今は二頭の馬で移動している。

 タエコの機転により『時の流れを停める』という仮死の法で、なんとか命をつなぎ止められているエミルは、呼吸も身じろぎもしない人形も同然の体である。小さな体つきの少女は軽いといえば軽いのだが、生気のなさがいちだんと重さを感じさせた。

 馬は二頭、毛布で包み込んだエミルを胸の前で抱え先を走るヒロと、それに遅れぬように手綱を操るホノカ。タエコはホノカの後ろに座り、振り落とされないようしっかりと腰に腕を回している。体重の重い軽いにかかわらず、意識を失った者を乗せて走ることは容易なことではない。ましてこのような悪路では、気を抜いた時に落馬ということも十分にあり得る事であった。

 折れた枝、転がる岩石、流れ出た清水に小さな沢となっているところもあり、ひとときも気を緩める事はできなかった。馬たちにも相当な負担であろう。

 だがそれでも、ヒロ達がその足並みを緩めることはなかった。わずかな仮眠と休憩をのぞいては、昼は馬で駆けられるだけ駆け、日が落ちた後は馬を引いて徒歩で進む。野生の獣や、ここを根城にする野盗に再度襲われないことだけが、かすかな救いであった。

 ――三日が経過していた。

 彼らは今、普通ならば七日はかかると言われていた『森の道』を、わずか四日で駆け抜けようとしている。もうじき樹林も切れ、ティレンサイド自治区の広い平野を見わたせるようになるだろう。

 だが、それでも状況は思わしくない。森の道を抜けてもまだなお、ティレンサイドの街までは距離がある。途中、街道に沿って宿場町はいくつもあるが、そこにタエコ以上の力をもった治癒師がいるとは考えにくかった。したがって、必然的に目指す街がティレンサイドとなってしまう。

 ティレンサイドは海に面した都市であり、大陸中央部のジルヴァニア樹海からはどんなに急いでも三、四日はかかってしまう。屈強な馬達ではあるが、それ以上の疾駆には耐えられそうにない。それでもノースグリーヴまで引き返すよりは早くつけるという、ほんのわずかな望みをかけたのに過ぎないのだ。

 ノースグリーヴ王直筆の書状があるとはいえ、なんの後ろ盾もない街に一縷の望みをかけての疾走は、あまりにも途方もない博打でしかないのかもしれない。

 皆、行き先の見えない不安を胸に抱いている。いつにも増して口数が少ないのは、けして疲労のせいだけではないだろう。

「――カ、……ノカ? ねえ、ホノカってば」

 手綱を操る少女――ホノカは、自分が呼ばれていると気が付くまで幾分時間を要した。自分で考えているよりもずっと疲れており、注意力が散漫になっていることに呆然とした驚きを覚える。

「え、あ、うん……。どうしたの?」

 軽く頭を動かして声をかけてきたタエコの顔をかえりみる。極力普通を装っているが、意外なほど表面に浮きだっているのだろう。行動もどうもついてきていないようで、背中の少女にはすぐに見透かされてしまった。

「ヒロが、もうすぐ森が切れるだろうって。そうしたら少し休憩しようって言ってたんだけど……、ねぇちょっと大丈夫? 顔色悪いよ」

 タエコは心配そうな瞳を向けた。ここ二、三日……正確に言うとあの雨中の殺戮劇からホノカはだいぶ参っているようだ。考えてみればそれも無理のない事なのかもしれないが、肝心の場面にタエコは居合わせなかった。

 だから、どちらかというとタエコの意識はヒロのほうに行っている。悪鬼のごとく剣を振るい、感情を見せずただ生命を屠った幼なじみに。

――恐かった。面と向かって聞けなかった。そして転がる死体は何が起きたのか彼女に教えてはくれない。

 あれからどうも青年との間にぎくしゃくとした空気が漂っている。肉体的な疲労に加え、精神的余裕のなさが口数の減少に拍車をかけた。なにより寡黙に先を急ぐ彼の姿が、タエコには痛ましい。

「だ、大丈夫。ちょっと考え事してただけだから、ほんと心配しなくていいよ」

 強ばる頬になんとか笑みを浮かべ、ホノカはそう返事をした。顔色がすぐれないのは、自分でもわかっている。けれど、ホノカのことばかり心配している余裕はタエコにもないはずなのだ。女性独特の感の良さのようなもので、ホノカは気づいてしまったのだが。

 疲れがたまり気が高ぶるとなかなか寝付くことのできないホノカとは違い、タエコは仮眠の時でさえ死んだように眠りにつく。おそらくそれだけ肉体が睡眠を欲しているのだろう。だからヒロはその分長めに不寝番を務めているのだが、そのことについて青年は文句どころか話題にも出さない。

「本当に? なんだったら変わろうか?」

 二人はお互いの状況を理解していた。長い付き合いというだけではなく、精神的に深くつながりあっている。それがホノカにはなんとも羨ましく、そしてすこしだけ痛い。

 とはいえ、だからこそこれまで何とかやってこれたわけだし、精神的な余裕のなさをカバーし合う思いやりはありがたい。

「本当につらかったらちゃんと言うから、その時はお願い」

 ホノカはタエコの申し出を丁寧に断り、にっこりと微笑んだ。こんなときだから、笑うことの大切さが身にしみている。つらくても、悲しくても、絶対的な窮地にたたされていても、決してあきらめることのない前向きな強さがこの少女にはある。

 満身創痍の強行軍のさなか、希望までなくしてはどうするの? そう強く自分を叱咤する事で、彼女は彼女のなりの答えを出そうとしていた。まだ諦めるのは早い、勝負とは全力を出しきったときに始まるものなのだから。

「森が切れるなら、やっとフォルテを呼べるね。なんだかもう何年も会ってない気がするから不思議」
「うん、フォルテには先に森から出た所で待ってもらうように伝えてあるから」
「ふぅん、以心伝心ってやつなのね」

 タエコの言葉にあわせるように、前方から青年の声が聞こえた。どうやら森が終わるらしい。ホノカは一つうなづくと、手綱を握る手にぐっと力をこめ、栗毛の牝馬の横腹を蹴った――。



 太陽は、午後の柔らかい日差しを投げかけながら徐々に傾きつつあった。

 春風、というにはやや冷たい風が芽吹きを迎えたばかりの草原を駆け抜ける。軽く水分を含んだしっとりとした風はわずかに遠方の塩の香を運び、異邦人である三人はあらためて隣国に入ったのだと実感した。

 霊峰ジルヴァニアの湧水は数々の支流を作り、大陸の東側であるこちらでも豊かな自然を作り出している。北大陸でもっとも長く勇壮だと名高い大河ラフェリナーレや、その支流でありながら河口付近では対岸が見えぬほど川幅の広まるティレン川などが特に有名だ。そのティレン川に隣接しているという理由から、ティレンサイドという都市名になったほどだから、うわさにたがわぬほどの相当の物なのだろう。

 ノースグリーヴ側と違い、ティレンサイド側には大きな関所門はない。しばらく行ったところに街があり、そこが国境と呼ばれていた。

 その昔、大陸が乱世にあったころ、霊峰の監視点として建造された砦。その周りにいつしか人が住み、街ができ、完全なる平和とは言えないまでも比較的落ち着いてきたこの時代では、国境の街として機能するようになっている。

 森を抜けたヒロ達は、そんな国境の町を地平線近くに望む事のできる位置で小休憩をとっていた。小川のそばで遅い昼食をとりながら、これからの事を相談していた。

「状況は思わしくない、か」

 決して明るくはないがそう沈んだ面持ちでもなく、明日の光を見出すような真摯な瞳でホノカとタエコの二人の表情を確かめ、ヒロはつぶやいた。ホノカがそうであったように、青年も希望は捨てていない。それがほんの蜘蛛の糸のような細く頼りない一糸だとしても、すがる手を離す事はできない。

 エミルはまだ生きている。理由ならそれだけで十分だ。

 折れた潅木に並んで腰かけヒロの顔を見返す少女達も、同じように意思高い表情をしている。疲れてはいるが、二人ともそれくらいで挫けるような弱い心の持ち主ではない。

「ここからティレンサイドまで三、四日は必要だわ。留めている時が動き出すまで、あとどれくらいなのかわからないのが怖いところよね……」

 煎れたてのお茶を満たしたカップを両手で包み込むように持ち、タエコが答える。

「問題はどうやってその時間を短縮するか……」

 その言葉をついでヒロは口を開き、そして考え込んだ。猪突猛進のごとく駆け続ければ、あるいは容易に間に合うのかもしれない。だがそれは、ここまで頑張ってくれた馬たちを確実に潰してしまう。

「やっぱり私がフォルテで先にエミルを連れて行くわ。スピードを出せば明日にでもつけるだろうし」

 ホノカがそう提案する。何度も繰り返してきた問答だが、ここにきて期限の不確かさがさらに焦りを生じさせた。じわじわと忍び寄る死の空気は、正確な時間や日数で判別できないため余計に精神を圧迫する。

「いや。いくらエミルが軽いとは言えそれは危険だよ。ホノカとフォルテの力は信じているけれど、ホノカは一人でしか空を駆けた事がないんだろう? まして意識のない者を運ぶとなると、俺は反対だな」

 青年は静かに答えた。だがホノカはすかさずその言葉に反応する。

「危険なのはわかってる。けどこれは私にしかできない事だから……。フォルテも協力してくれるし、そんなに無茶な事じゃないと思うの」

 熱意が空気を伝わってくるようであった。エミルが自分の胸に刃をつきたてたとき、すぐそばにいながら止められなかったという後悔の念が、すくなからずこの少女にもある。

 どうしようもない、避けようがなかった、そう考えるのはあまりにも簡単過ぎた。簡単すぎる事だからこそ、少女は耐えがたい自己嫌悪と疑念の嵐にさらされる。ならば自分の責任とし行動を起こすほうがいくぶん気が楽だった。

「ダメよ。私も賛成できないわ」

 だがその言葉をさえぎったのはタエコである。静かで重みのある一言に、思わずホノカは返す言葉をなくして少女を見つめ返した。どうして? のどまででかかった言葉が、少女の瞳に阻まれてぐっと押し留められる。

「だってホノカ、無理してる。隠したってダメだよ、ここのところ全然眠れてないみたいだし。ほらフォルテもあんなに心配そうな目をしているでしょう?」

 助けられなかったという癒えない心の傷。もう二度とこんな思いはしたくないと、あれだけ鍛錬に励んできたというのに、現実は無常にも彼女の努力をいとも簡単に否定する。だが、それをひけらかす事の無意味さを知る少女は、常に前向きに意見をしていた。ホノカの気持ちは痛いほどわかるが、無茶を容認することはできない。

「……」

 ホノカはタエコにそう言われて初めて天馬の瞳に気がついた。深い黒の双眸が、心配そうに揺れている。

「確かにホノカが頼めばフォルテは飛んでくれるでしょう。けど、もし万が一突風で体勢を崩したらどうするの? 転落してしまったらどうなるの? フォルテは全力をかけてホノカを助けるでしょうけれど、いっしょにエミルまで助けられるとは限らないわ」

 確かにそうかもしれない。

 ホノカは天馬の瞳を眺めながらぼんやりとそう考えていた。つらい修練の日々を潜り抜けてきたが、これほどまでに精神に痛手を負ったのはたぶん初めてだろう。生と死の場面を一度に出くわして、自分の弱さにはじめて気がついたのだから。

「ホノカがよく頑張ってくれているって事はわかっているから。だから、これ以上無理はしないで。ね?」

 最後の言葉を優しく締めて、タエコは大丈夫という笑みを浮かべて気落ちする少女を励ました。

「そうそう、俺達が希望を失わない限りきっとエミルは助けられるさ。悲観的になって、焦って、取り返しのつかないことになるほうが俺は怖い」

 天馬の瞳の後押しと、青年の暖かい言葉。これが『仲間』というものなのかと思うと、ホノカの目頭は熱く潤んだ。そして、その言葉に答えるようにゆっくりと頷く。

「とにかく、今は急げるだけ急いだほうがいいな。道もここまでより楽になると思うから、何とかスピードは出せるだろう。ちゃんとした宿に泊まってゆっくり休みたいだろうけど、ティレンサイドにつくまで、二人とももう少し辛抱してくれるか?」

 目の前に街が見えているだけに、つらい宣言であったが、二人に否やはない。神妙な面持ちで一つ頷くと、青年を見つめ返す。

「でも、買い物に寄るくらいはいいわよね? もぉ塩漬けの干し肉ばっかりでやんなっちゃうわ」

 最後にタエコがおどけたように言い、暗くなりかけた空気を和ませた。晴れ晴れと笑い転げることはできないが、こうして心が軽くなる。ホノカは口元を小さく緩ませて、わずかな微笑を浮かべた。

「――っ!」

 と、その次の瞬間、ホノカは天馬に強く呼ばれた。振り向くとフォルテは遥か高空の一点を見据えている。その視線の先を彼女も追った。強い呼びかけだったが、危険だとかそういう類のものではなく、ホノカ自身も疑問を抱く。どうしたのだろう?

 ジルヴァニアの方角。雲の峰の合間から蒼空が顔を覗かせる。その白と青とのコントラストの中に、ホノカは小さな違和感を見つけた。眉根をきゅっと寄せ、あれはなんだろうとじっと眺める。

「――どうしたの?」

 ホノカの変化に目ざとく気がついたタエコが声をかけた。

「え、あ、うん。よくわからないんだけど……、フォルテが空を見ろって」

 視線でその方角を示す。小首をかしげながら再度先ほどの点を見つめた。何だろう、鳥だろうか? それにしてはずいぶんと高いところを飛んでいるし、距離もずいぶんとあるようだが。

「空? ……空ねぇ」

 便乗して青年も空を見上げた。霊峰は雲に隠されていて、今日は裾野しか確認することができない。まだ夕日には少々早いので天空を支配する太陽が燦々と午後の陽光を投げかけている。深く青い空、見上げていると吸い込まれそうになる空。

 不意に故郷の空を思い出し、青年は思わずくしゃみをしてしまいそうになるのをこらえた。眩暈のような感覚にチカチカする目を押さえる。

「ねぇ、あれ何かしら?」

 タエコもその違和感に気がついたようで、ホノカに答えを求めた。小さな黒い点だったそれは徐々に大きさを増し、こちらの方へと近づいてくる。

 フォルテが翼を広げた。ホノカの中で、答えが見つかる。

「船よ!」

 彼女は外していた鞍を引っつかむと、愛馬の背に取り付けはじめた。手際良く手綱を掛けるまでほんのわずかの間のことだ。タエコもヒロも何のことだかわからずに、彼女の行動を見守るばかり。

「ふ……ね……?」

 かろうじてタエコがその言葉を反芻する。だが口に出してみても、その意味がよくわからない。船とは海や川をわたるためのもので、そんなものが空に浮かぶはずがない。

 だがホノカは確信をもって言った。

「聞いたことがあるの、魔力石を用いた空を駆ける船があるって」

 手早く身支度を整え、その鞍にまたがる。ばさりとフォルテは翼を動かし、空を駆ける体勢になった。

「そ、空を駆ける? い、いったいそれはどういう……」

 疑問の嵐に放り出されるヒロとタエコに、ホノカは力強い笑みで答える。

「大丈夫、なんとかなるかもしれない」

 状況を把握できていない二人を置いて、天馬は空へと駆け出した。この一条の光明を見逃すことなどできない。幸運とか運命とかそういった言葉で表すのならば、それはまさに天の助けであり奇跡である。

 颯爽と空を切る久しぶりの感覚に、ホノカは目を細くして行き先を眺めた。

 ぐんぐんと遠ざかる大地には、ヒロとタエコの残る野営地。いとも簡単に蒼空の白が近くに迫り、空の青と同化するようなそんな感覚を味わう。やはり天馬は空にあってこその存在だ。

「あれね、フォルテ。あそこまで急いで、全速で!」

 ホノカの言葉に答えるように、天馬は嘶いた。純白の翼と鬣を風になびかせ、力強く飛翔する。目的の『船』まで到着するのにさほど時間はかからないように思えた――。



「ようこそ、天空船『神羅』へ。私が船長のラフィエルフィニアよ。ラフィーって呼んでね」

 そういって碧眼の船長はウインクした。後頭部のところでリボンでまとめた、ウェーブがかった金髪を風になびかせながら、三人の目の前で優雅に腕を組んで立っている。深い青の瞳に眉は少々太め。全体的に堀の深い顔には化粧に余念が無く、強調された長い睫と血の様に赤い唇が嫌が応にも目を惹きつける。身長はヒロよりも高くて肩幅も広い。腕も胸周りも船長を務めているだけあってかボリュームがある。年は……、どう見積もってもヒロ達の倍はありそうだ。

 ヒロは舐めるような船長の視線に鳥肌が立つのを覚えた。背負ったエミルがずんと重みを増したような気さえする。

「旅の途中で難儀していると天馬騎士のお嬢さんから聞いたわ、方向も一緒のようだから気にしなくて良いわよ」

 一言一言に、なぜか背筋が薄寒くなる。ありがたい申し出に笑顔を返そうとするのだが、頬が引きつってうまく笑うことができない。隣をちらりと見るとタエコも似たような表情をしていた。

「本当に助かりました。馬達も急ぎすぎで限界が見えていたところだったので」

 ホノカだけがなんともなく平然と会話を交わしている。

「いいのよいいのよ、困ったときはお互い様なんだから。国の違いなんて関係無いわ、特に私達みたいな職業の者にはね」

 船長の威厳というよりも、人懐っこさと気さくさがにじみ出る言葉である。ホノカは再度ラフィーに礼を言った。

「それよりも、そちらの方を紹介してくれるかしら?」

 あでやか、というには少々毒々しいまでの笑みでホノカにたずねる。ホノカは小さく頷くと、連れである二人を紹介した。

「ヒロとタエコです。二人はブルーフォレアの出身で、ヒロは剣士、タエコは治癒師としてかなりの腕前なんですよ」

 本人達の気持ちを知ってか知らずか、ホノカは楽しげに答える。紹介された二人は苦笑いにも似た引きつった笑いをうかべ曖昧に会釈をした。どうしてか言葉が出ないのだ。

「……あら可愛い子ね」

 まとわりつく視線を感じ、ヒロはぞくりとした悪寒を感じる。ぼそりと呟いたラフィーの言葉は本人の耳に入り、全身の毛が逆立つ感覚を味わった。肌の裏側まで鳥肌が立っているかもしれない。

 だがヒロはその呟きを聞かなかったことにして、そのまま姿勢を崩さなかった。いや、くずそうにも身動きできないだけなのだが。

「怪我をした女の子のことはさきほど聞きいたから、もう部屋の準備はしてあるわ。エミルちゃんって言ったわね、はやく運んであげて」

 終始柔らかい笑みを絶やさずに、ラフィーは言った。もちろんウィンクも忘れない。

「……は……はひ……」

 舌が動かなかった。喉がからからに乾いて水気を求めている。そのくせ、背中には冷たい汗がびっしりと浮かび、早くこの場から逃げ出したいという気持ちだけが先行した。

「なぁに? 怖がらなくてもいいのよ? とって食おうってわけじゃないんだから」

 独特の絡み付くような口調で、ラフィーがヒロの精神に追い討ちを掛ける。青年は、蛇ににらまれた蛙の心境がよくわかった。

「どうしたの? ヒロ。緊張しているの?」

 ホノカが心配そうに振り返っている。青年がなんだかいつもと違うことには気が付いたのだが、彼女にはその理由がわからない。

「た、高いところが、こ、怖いだけ、なんで、き、気にしないでください」

 なんとかまともな言い訳をし、ヒロは必死にだらだらと滴る汗をぬぐった。そして、船長から視線を逸らす。ゆっくりとした速度ではあるが上昇を続けている天空船の甲板は、確かに不安定でもある。その理由に不自然は無い……と思いたい。

「ああ、そうね。初めての時は怖いわよね、大体地面に足がついていないんだから不思議で仕方ないわ。私もね、はじめはそうだった」

 青年の言葉どおりに受け取った船長は、そういって感慨深げに頷いた。

「でも大丈夫よ、すぐ慣れるわ。アレといっしょで、怖いのははじめだ・け・よ」

 そして再三のウインク。まともに目を合わせてしまい、真っ青になって昏倒寸前まで追いやられるヒロ。このまま気絶できればなんて幸せなんだろうと、そのとき本気で思えた。

「それじゃ、私は船長室に居るからなにかあったら遠慮無くたずねてね。後のことは案内の者をよこすから、その子に聞いて」

 凍りつく青年の答えを待たず、船長は優雅に身を翻した。そしてスタスタと甲板の渡り廊下を歩んで行く。広い背中、太い首、ごつい手の平、隆々とした筋肉、どう隠しても隠しようの無い青い髭の剃り後。

――天空船『神羅』の船長、ラフィエルフィニア・ドン・ロッサリアは、誰がどうみても男性でしかありえなかった。

 一難去ってまた一難。女性口調で話し化粧をする男、というものに耐性の無い辺境の二人には、ラフィーの存在は少々強烈過ぎた。

 そして、そんな存在を目の当たりにしても少しも臆さない王族という存在に、ヒロもタエコもあらためてホノカの凄さを感じていた――。



 『神羅』は、先頃造船されたばかりの空を駆けるための船である。ティレンサイド議会が誇る魔法技術の粋を集めた新兵器なのだが、どういった経緯からかラフィーのもとに委ねられていた。

 表向きは試験航行。裏向きの事情は計り知れない。

 天馬でその天空船の甲板に乗り付けたホノカは、驚いて船長室から飛び出してきたラフィーに掛け合い、なんとか助力を請うことに成功した。時間と、その内容のあまりの突飛さに一から十まで伝えられはしなかったが『年端もいかぬ少女が生死の境を彷徨っている』ということだけで、ラフィーはティレンサイドまでの移動を快く引き受けてくれた。

 もちろん、彼女が天馬を駆っていたということも信用を裏付けしていたのだが、ホノカはそこまで気がついていない。

 ラフィーは一度船を下ろし、三人と二頭を回収して再び空へと戻ったのだった。

「ヒロ、顔色悪いけど本当に大丈夫? 高いところがダメって、私知らなかったから……、ちゃんと聞いておけば良かったね」

 申し訳なさそうにホノカが言った。

 違う、そうではない。そういう理由では無いのだが、生真面目に説明するのはひどく無駄な気がしたので、青年は何も口にしなかった。げんなりとしてしまって、何をするにもひどく億劫になっている。

 無口になったヒロにタエコがそっと耳打ちした。

「モテモテよね、羨ましいわぁ」

 ぞわり、と、再び青年の全身の毛が逆立つ。

「タ、タエコッ!」

 ラフィーの視線を思い出したのか、ヒロは真っ青になりながら幼馴染の名前を叫んだ。タエコはそんな青年に意地の悪い笑みを浮かべている。

「あらあ、どうしたのかしら、そんなにむきになって」

 何が不満だったといえば、可愛い子といわれたのが自分ではなく、男のヒロだった事だろうか? あまり自分の容姿にはこだわらない彼女ではあるが、ヒロにまで劣るとなるとなんだか腹が立って仕方が無かった。

 だが、その評価を出したのが男性である事が、よりいっそうヒロの不幸を煽る。なのでタエコはそれ逆手に取り、嫌がらせをする事でささやかな仕返しをしていた。なんだかよくわかっていないホノカの様子と、本気で拒絶するヒロの態度が、タエコの不機嫌を少しだけなだめる。

――でも、こんなことで心休まるっていうのもなんかやだなあ。

 タエコはそう考えて、一人苦笑いを浮かべた。

「あのぉ、ちょぉっといいかなぁ〜?」

 と、わいわいと騒いでいるところに、ひょっこりと見知らぬ女性が顔を出した。

「あ、はい、なんでしょう?」
「団長に船内を案内するように〜、って言われて来たんだけどぉ」

 間延びするように語尾を若干伸ばしてしゃべる口調は少々幼く、舌っ足らずとまでは行かないが、どこか鼻にかかったような独特の声音である。身長はタエコ達よりも幾分低く、耳が隠れるくらいのショートヘアは明るい栗色、小作りな顔立ちが可愛らしい。少女、と呼ぶべきか女性とするべきか、判別のつけづらい娘だった。

「んん? ん〜?」

 彼女はあいさつの言葉もそこそこにばたばたと青年に駆け寄る。そして青年の顔を品定めするように片眉をあげてじっと見つめた。

「あ、あの俺の顔になにか?」

 ホノカのように白析の美貌とまでは行かないが、非常に愛くるしい顔つきである。息の交わる距離にぐぐっと顔を近づけられ、ヒロはあきらかに狼狽えた。突然の行動に呆気にとられたのか、タエコもホノカも固唾をのんで見守るばかり。

「あのさぁ……」

 少女が口を開く。吸い付けられそうなほど艶めかしく輝く唇が、青年の思考回路を優しく麻痺させていく。ごくりと、知らずに喉が鳴った。

「あなた、――団長に目を付けられたでしょう?」


 ――見事なる追い打ちに、誰もが絶句する。


 ゆっくりと高空へ浮上を続ける天空船の甲板で、青年は奈落の底に叩き落とされる感覚を、どこまでもどこまでも深い闇へと真っ逆さまに落ちていく墜落感を、嫌というほど味あわされた――。


To be continued.





    
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