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『神羅』はゆったりとした速度で宙を滑るように進んだ。内燃機関に固定された精霊たちが動力となっているので、飛翔の駆動音はほとんどない。わずかに響くぶぅんという低くくぐもった音以外には、空の上に音をたてるものもなく、静かな夕暮れを迎えつつあった。はるか遠方の地平線と水平線の彼方に沈み行く太陽が、言葉をなくすほどに美しい。

 燃える炎。緋色と朱。

 既に季節は春を迎えているにも関わらず、甲板に吹く風は肌を刺す冷たさだ。日が暮れればさらに冷え込みは厳しくなる。寒さに血の流れの鈍くなった指先をさすると、痛みとも痒みともつかないじんとした軽いしびれを感じた。

 夜の帳の落ち始めた空は、地上からは見ることができぬ精錬された薄紫と藍のグラデーションを作り出す。人の手には作り出すことのできぬ奧深い色合い。

 紺碧の空、混ざり合う群青。宵闇。

 雲の峰と同高度にあって、自然ではなく人が創り出したもの。月光を照り返す白の大海原にあって、霞むほどの小さな存在でしかない天空船は、なんと卑小で頼りないものだろうか。自然の摂理に逆らい大地を離れ、翼無き身で鳥達と同じように空を行くことに、果たしてどれだけの価値と意味があるというのか。

 だがそこには、数しれぬ人々の夢があった。
 だがそこには、数しれぬ人々の想いがあった。

 この天空船にかかわった技術者達もみな、自分のように悩んだろうか。中には盲従的に研究に没頭していた者も居るだろうけれど、その大半は理に逆らうことへの葛藤と夢を天秤にかけての結論だったのだろう。

 人は翔べる。

 多くの魔法研究者たちを駆り立てた、空への想いの結晶がこの天空船だ。

 天空船は魔力石を精製しさらにその性質を高めた『魔漿石』を用い、内燃機関に炎と風の精霊を固定して浮力と推進力を発生させる。大地へ引きつけられる力をうち消すときに膨大な反作用エネルギーが発生するが、それを光と不可視の防護フィールドへと変換することで高空夜間の航行をも可能にしていた。

 相当な技術力と魔法理論学の集大成であり、他国には真似の出来ない技術であった。そう、西海に浮かぶ島国、深い霧に包まれた幻惑の魔都ヴィジョンズパレスであったとしても。

 完全に日が落ちれば、後は星と月の明りのみがしるべとなる。また日は昇るものだと判っていても、この甲板で沈む太陽を送る度にもの悲しさがつのった。

 そんな感傷も朝になれば寂寞を残してすぎてゆくにすぎないのだが、この冷たい夜に抱かれる感覚は幾度迎えても馴染むことができない。体の芯が冷え切ってしまい、 どうしようもなく不安になる。

 誰かにそばにいてほしい。誰でもない誰かに、しっかりと繋ぎ止めていてほしい。

 あとわずかの時間だけつづく黄昏時に、彼女は意識を溶かした。小さくついたため息は、すぐに夜の香りのする空気に混じって消えた。



センチメンタルファンタジー
第十五話「恋闇」



「あはは、ごめんごめん」
「笑い事じゃないよ。ったく……」

 ふくれっ面で青年が答えていた。的確で破壊力の高い言葉により、復帰するまでだいぶ時間がかかったのだが、少女にヒロの精神的ダメージがわかるわけもない。

「でもあれで結構いい人なのよ、団員思いだし、いろんな所にコネあるみたいだし」

 そう彼女は明るく笑った。むくれた顔のヒロが面白いのか終始にこにことしている。

 甲板上は風が出てきたということで、四人は早々に部屋の方へと移動していた。小さなテーブルに簡易ベッド、数脚の椅子と明かり取りの窓と、いっさい飾り気のない部屋だ。かといって他人行儀な冷たさは受けず、むしろ素朴な温かみさえ感じた。新造されたばかりでまだ新しく、木の香りが心和ませている事も理由の一つだろう。

 天空船『神羅』は、空の上にあるときにはほんの点のような小ささだったのに、いざ乗り込んでみると故郷の村の広場がすっぽりと収まってしまうのではないかと思えるほどの広さをもっていた。もしかすると下手な田舎貴族の屋敷より大きいかもしれない。

「まぁ、たまにはいいんじゃないの? 男の人に好かれるなんてあまりないだろうし、人生何事も経験よ」

 当人の意見を無視した無責任きわまりないタエコの発言。

――好かれるの程度が問題なんだけど。

 面白がってちゃちゃを入れる幼なじみを恨みがましい目で一睨みすると、ヒロは背負っていたエミルをようやくベッドに横たえた。簡易式の備え付けベッドとはいえ、野宿に比べれば天と地の差がある。野生の獣や無法者たちに襲われることを考えなくてもいいし、部屋の中は意外なほどの暖かさだ。タエコもホノカも今夜はゆっくり眠れるだろう。

 ホノカといえば、今は船倉に行っている。船倉はちょっとした厩舎になっているそうで、船長はそこに馬たちを乗せてくれていた。幻獣である天馬は、そういった囲われた場所を嫌うのか、船尾に近い甲板の隅の方から動こうとしなかったが。

「あぁ、そうそう。自己紹介がまだだったよね」

 部屋まで案内をしてくれた少女が唐突に言った。そういえば、彼女のいうとおりヒロたちはまだ名前を聞いていない。出会い頭の出来事があまりにも衝撃が大きすぎて聞きそびれたままだ。

 こっくりと頷いて、青年は先に口を開いた。

「俺はヒロ。こっちはタエコ、二人とも辺境地の出身なんだ。寝てるのがエミル、……最近知り合ったばかりだからエミルのことはあまり知らないんだけど……」

 ヒロはエミルの出自を何一つ知らないことを思いだし、話が変な方向へと流れないようにさらりと流した。少々不自然にも映ったが、そのことについて触れて欲しくないという暗黙の意志が伝わったのか彼女は何も言わなかった。

「で、もう一人の天馬騎士が……」
「ああ、知ってる、ホノカちゃんだったよね? 団長が興奮してもぉ、うるさくってさぁ」

 彼女の話しぶりは少々度をすぎた気さくさなのだが、むしろそれは心地よい馴れ馴れしさでもあった。もとより堅苦しいことの苦手なヒロには、そのほうがありがたい。

 詳しいことにはなにもふれない簡単な紹介だったが、彼女は別段気にした様子もない。もともとさばさばした性格なのだろう。

「あたしはアスカ。アスカちゃんって呼んでね」

 少女――アスカは、軽く首を傾けウインクを付け足して青年に笑みかけた。輝く太陽にもにた明るい笑顔で、男性を魅了するに余裕足り得るものだ。おそらく彼女自身も無意識のうちにその効力を知っていて、こうして振りまいているのだろう。

 だがその瞬間、ぞわりとした悪寒がヒロの背筋を駆け抜けた。アスカの仕草に、なんの前触れもなく船長のウィンクが重なる。似ても似つかない二人だというのに、過敏になった青年の精神が些細な仕草に反応してしまったのだ。

「って、なんでそこでかたまるのよぉっ! し、失礼ね!」

 軽く鳥肌までたてたヒロをめざとく見つけアスカは喚いた。だがヒロは、青年らしからぬひどく気落ちした暗い表情でうつむき、それ以上なにも言わなかった。よく見ると小刻みに震えている。

「……そうとう重傷みたいね」

 がっくりとうなだれている幼なじみを横目でみつつ、タエコがこぼした。たしかに、重大な心の傷になるに十分な出来事であったとは思うのだが、肝心なところ異性である彼女には、彼の傷の深さを推し量ることができない。元気を出させようといつもの軽口をたたいてみても、青年は沈み込むばかりで一向に立ち直る様子を見せなかった。曰く、綿を殴っているような感覚。

「いっそのこと団長室で腹を割って話し合ってきたらどうかしら? そうすれば免疫もつくだろうしぃ〜」
「うーん、それで変な道に目覚められても怖いものがあるわね」

 無責任で残酷な二人の会話に混ざる事など到底できず、ヒロは残された最後の意識でベッドにどさりと倒れこんだ。ざらつく舌の感触を持った強烈な視線は、青年の中で既に忘れる事のできそうにない恐ろしく深い痕になっていた。

 冷静に考えてみるとそれほどのことは無いのかもしれないが、人間理性だけでは生きていけない。本能が拒絶するものを容認できるだけの図太い神経を、残念ながらこの青年は持ち合わせていなかった。そして若さゆえ、その深い淵から立ち上がる術もない。

 ベッドの上で丸くなりがたがたと震え出したい衝動を必死に押さえ、青年は気を落ち着けようと瞳を閉じた。

 アスカと名乗った少女は、この風の冷たい高空にあって天を駆ける船の船員とはすぐに結びつかないほど突飛な格好をしていた。薄手の上着は丈が短く腹部が丸見えだし、肩の部分にも切れ込みが入っていて白い肌がのぞいている。下も似たようなもので、ショートパンツからはすらりとした足がむき出しになっていた。服の要所要所には貴金属のアクセサリがつけられていて、さらにタエコを混乱させる。全くよくわからない格好だった。

 つまり彼女は、技術船員でもなければ、給仕の娘でもない。大きな街にならばどこにでもいるようなあか抜けた街娘の様相であり、軍船めいた厳めしい天空船にはまるでそぐわなかった。どうしてもそこだけ浮きだって見えてしまう。

 とはいえ、もともと堅苦しいことを感じさせない喋り口調だったので、タエコにはなんだか昔から知っている友人のように思えていた。警戒という気持ちを起こさせない不思議な空気を、アスカは持っていた。

「ところで、さっきから気になってたんだけど……」

 ひとしきり笑った後、タエコがアスカに問い掛ける。

「さっきからラフィエルフィニア船長のことを団長、団長って呼んでるわよね? 船長じゃなくて団長って、どういうこと?」

 たしかにタエコの疑問は正しい。ここに案内されるまでに何人かの乗組員に会ったが、ラフィーの事をみんな団長と称していた。現にアスカも団長としか呼んでいない。

 これが何艘もの天空船により大飛空挺団ならば、団長の呼称もおかしいものでは無いのだろうが、いかんせん稼動している天空船は『神羅』一隻しか存在しない。

「え、何も聞いてないの?」

 不思議そうな顔で、今度はアスカが尋ね返す。タエコは頷いて答えるしかない。

「もしかしたらホノカは聞いていたのかもしれないけれど、少なくとも私とヒロは聞いていないわ。ほんとなんの前触れも無く乗せてもらっている身だし」
「じゃ、私達がどんな集まりなのかも知らないわけね?」

 詰め寄るとまでは行かないがぐぐっと顔を近づけてアスカは言った。この少女はどうも相手が男性でも女性でも関係無く懐内にすんなりと入り込んでくる、所謂一つの妙技を身につけていた。

 青年のように真っ赤になってかまたってしまうということはなかったが、多少なりとも驚いたのは事実だ。心なしか早まった心臓の鼓動を悟られぬよう平静な顔でタエコは再びこくりと頷いて答える。

「団長ってばほんと舞い上がってたのね、……って、それをいっちゃあたしも天馬なんて見た事なかったから驚くのも無理ないか」

 ふぅとため息をつきながら、アスカは一歩身を引いた。そして説明をはじめる。タエコの内心の動揺などお構いなし……いや、気にも留めていない様子だ。

「この船は、新造されたばかりで試験航行を行っているっていうのはさっき話したよね? でも私達は軍隊でもなければ議会の役人でもない。ティレンサイドは商業の街だけど私達は商人でさえない。もちろんティレンサイド以外の出身の者もたくさんこの船には乗っているけど、あたしや団長は生粋のティレンサイド人なんだよね。でもティレンサイドに生まれたからってだけではこの船に乗っている理由にはならないかな」

 首を小さく傾げ、アスカはにっこりと微笑む。もともと話好きなのか一度開いた口は止まらず次から次へと言葉が飛び出た。タエコは、曖昧にではあるがなんとか相づちを打って、話の続きを促した。

「じゃぁどうして? あたしたちっていったい何者? 船を預かる船長はちょっと変な趣味の入った人だし、武骨な軍船もどきの船内にはあたしみたいな可愛い女の子がたくさんのってて、ほんとよくわからないわよね。うふふ、まぁ詳しい理由はあたしの手には余るから団長から直接聞いて欲しいんだけど……」

 苦手ではない。むしろ好意的な想いさえ抱くのだが。

 まったくよく動く唇だと、タエコは何とはなしに思っていた。なめらかで艶やかで、見ているものを引き込む魅力に溢れている。見つめていると注意力が散漫になり、いつしか彼女自身に引き込まれてしまうのだろう、世の男達の大半ならば。

 そんなことを冷静に観察できる自分が居ることに驚きながら話を聞き続けていた。

「――世界は疲れている、そう思わない?」

 唐突に問いかけられた。あまりにも抽象的で、漠然とした質問。

「えっ?」

 少女は当然の事ながら答えに窮した。いや、答えというよりも問いかけ自体がタエコにはよくわからない。いったいなんの事だろうか。

 当惑するタエコを見て、自分の言葉があまりにも突飛だったと気がつきアスカは質問を正す。

「えっとぉ、なんていうかつまり……そう、社会かな……いや、その社会に属している人たちが疲れているというか……」
「生活に、苦労しているということ?」

 タエコは自分がなんとか考えつく範囲で答えを出した。だが、その回答に対してアスカは少しばかり唸り、それが伝えたいことのすべてではないと言葉を続ける。

「一部それもあるとおもう。けど全体で見るとそれだけじゃなくてさ。あ〜、二人は辺境の出身だっていってたよね? 都会ってピンとくる? っていうか別にバカにしてるわけじゃなくてぇ……、その、ホント大きな街って生き物みたいでさ、たくさんの人間が集まるところだから、浮ついた感情とか暗い気持ちとか、あまり精神衛生上良くないものが溜まってくるんだよね」

 言葉の隅々まであまり意味を考えずに先に口に出してしまう性格は、聞き手によっては失礼な者という印象を与えてしまう。ただ、彼女の場合それを補うかわいらしい容貌と、なんとなくそれを許せてしまう空気が漂っていた。

 いや、それ已然にアスカの言葉は早すぎて、タエコの思考展開が追いついていないだけなのかもしれないが。

「故郷の村は、ほんとに小さな所だった。ひっそりと、肩を寄せ合うようにして森に抱かれていたよ。大きな街……、ノースグリーヴとかその周辺の街は見てきたけど、やっぱりその生活スタイルは故郷とは違う」

 ごろりと寝そべったまま、青年がタエコに変わってそアスカに答えた。どこか遠くの故郷を懐かしむ瞳で、じっと天井を見つめている。

 青年の言葉にやっとタエコも自分の考えをまとめることができ、口を開いた。

「そうね、村の全員が家族みたいなものだったから、国という大きな括りで見ればその住人ひとりひとりがどういう考えを持っていて、どういう想いを抱いているか、なんて絶対にわからないわよね」

 二人の答えに満足したのか悟ったような表情で頷き、

「人の数だけ想いがある、清らかなものもあれば邪なものもある。少しでも心が和むようにと道ばたに花を植える人があれば、議会の上層部では街の覇権を懸けて水面下での争いをしていたり、かとおもうとその日一日を生きることしか考えられないような貧しい者もいる。ティレンサイドは……、ううん、どこの街でもそうだけど、人がたくさん集まるところにはそういう人の想いが渦を巻いているんだ」

 そういってアスカは一瞬悲しそうな瞳をした。ずきん、と胸の奥の方で鈍い痛みが走るがそれはおくびにも出さない。

「人間って了見の狭い生き物でさぁ……、特に利己的な人間が多いティレンサイドだからかもしれないけれど、良いエネルギーよりも悪いエネルギーの方に意識が行っちゃうんだよね。なんで自分はこんなに頑張っているのに報われないんだ、とか、あいつはあんなに楽をしているのに自分だけが、とか。まぁ、他人を否定する事って楽だからね」

 彼女はこのような吐き気を催すような悪感情の渦巻く場面を、実際に何度も目の当たりにしていた。だが、あくまでもアスカの言葉は他人事として淡々と語る。

「でも、そんな悪いエネルギーをそのまま放って置いたらどうなるとおもう? 犯罪が増加したり、隣人が信じられなくなったり、街は内部から腐っていってしまう……」

 少しだけ沈んだ面持ちで、アスカの言葉尻は切れた。

「生きていく上での不満なら、多かれ少なかれ誰でも持っているんじゃないのか?」

 青年は青年らしい率直さでそう尋ねた。少しだけ強い口調だったが、問いつめるとか批判するとかそういう意味はなくただ疑問に思ったことを口にしただけだった。

「そうね、でも人間は百人いれば百通りの考えがあるし、物事の捉え方もちがう。なかには激しい嫉妬心の持ち主もいるし、とにかく憎悪の念だけで生きているような人間もいる。街はそういう人間もひとまとめにして、街という形を作っているの」

 澄んだ空気、透き通る水、美しく厳しい大自然に抱かれた地で伸びやかに育てられた彼らには、きらびやかな都会の澱のように濁った裏側など理解に絶するのだろう。

 アスカは説明の言葉を選びながら語っていた。二人には変な先入観をもたれたくなかったが、さりとて虚言を伝えてもなんの意味もない。いつになく慎重にもなる。

「不安は不安を呼び、不安が渦を巻く。実際にはそんな負の感情をさらけ出すような人間はたった一握りの数に過ぎないのに、居るということだけで神経をすり減らす人もいる。あまりにも多くの人がいるから、何が起こるかなんてわかりはしない」

 心の病、いや街の病だとタエコは感じた。

「それって、お医者様でも……治癒師でも治療する事ができないわよね。つまり、街自体が毒に冒されている、というか……」

 タエコは治癒師らしい発想で、治す技を使う数少ないものとしての考えでそう呟いた。彼女にとってもそういった、人のなせる技なれど人の手に負えぬまでに膨れあがった人の織りなす病など、これまで考えたこともなかった。

「そうそう! それそれ、あたしが言いたかったのってそれなの」

 だがその言葉を聞いた瞬間、アスカの顔がぱっと輝いた。

 そうだ、その言葉を伝えたかったのだ。

 アスカは足りない自分の説明を補わせるよう、青年達に問いかける。言葉の隅々にまで、当初のみずみずしさが戻っていた。

「疲れて荒んだ心には、なんらかの『癒し』が必要でしょう? お医者様でも手に負えないような、街の雰囲気から治すにはもっと違った方法があるの。はい、ヒロ!」
「え、あ、何?」

 唐突に話題を振られたことで、青年はまたも狼狽した。まだ出会ってわずかな間でしかないのだから、名前でさえ先ほど知ったばかりなのだから、それも無理もない。

「沈んだ気持ちを立て直すにはどうする?」
「……えっと、楽しいことを考えたり……」

 くりくりとよく動く瞳にじっと見つめられ、へどもどしながらも答える。

「良い答えね、その通り! じゃ、タエコ。楽しいことって言って思い出すことは?」

 アスカは俄然いきいきとしだし、形の良い唇をほころばせてタエコに訊いた。

「う〜ん、お祭り、とか?」

 とりあえずタエコは故郷での楽しかった日々の中心となっていた、緑葉の祭典のことを思い出しながら答えてみる。

「そうね、ある意味それもありだから全然OKね」

 うんうんと頷いて、嬉しそうに彼女は言った。

「それで、その質問とアスカとどんな関係があるっていうの?」

 アスカのあまりの変わりぶりに半ば呆然としつつも、タエコはその意味を尋ねた。

「ふっふっふ、私達はね〜、そんな荒んだ世界にひとときの潤いと、夢と希望と明日への活力を与える……」

 もったいをつけるように彼女はそこで一度言葉を留め、二人の顔を見直した。ごくり、という息をのむ音が聞こえ、アスカの『にんまり顔』がさらに緩む。

「世界初の、空を駆ける旅芸人の一座、なので〜すっ!」

 元気良く、そしてなによりも彼女の笑顔が輝く瞬間がそこにあった。

「旅」
「芸人?」

 青年とその幼なじみの言葉が重なる。

「ああ、それで納得がいきました」

 そしてすぐタエコの背後、ドアのところからもうひとりの少女の声が聞こえた。

「あ、ホノカ。お帰りなさい」

 ふり返りタエコが声をかける。少女は物腰柔らかく微笑みながら、アスカに一礼をして口を開いた。

「船倉の厩舎に、ちょっとこの辺では見かけないような獣の類まで居たので、そういう動物の輸送販売業なのかと思っていました」
「うふふ、あの子達は立派な団員よ。団長ってば動物にはもてるのよね〜」

 なるほど、と青年が訳もなく納得する。

「その団長さんですが、あとで船長室に来るように、と言っていましたよ」
「ん? ああ、あれで結構ミーハーだからね〜、どんなこと話したとか根ほり葉ほり聞くんだもんな〜。それで照れ屋だから、自分で聞けないのよ。いーっつもあたしの役回りなんだから」

 世話が焼ける、といった調子でアスカは言った。しかしながら、その様子は楽しげで嫌々やっているという感じは微塵もない。なんだかんだといっても面倒見がいいのだろう。いや、彼女の方がさらに好奇心が強いだけなのかもしれない。

「くすっ、可愛い方ではありませんか」

 可愛い――?

 ホノカも負けず劣らず寛容な精神の持ち主だった。いや、彼女の場合もう少し単純で、精神構造が一般人とは少々異なっているからなのだが。

 青年は気が遠のいていくのを、ぼんやりとした意識の中で冷静に感じていた。

「そうですね、それなら後ほど船長室のほうにお邪魔して直接お話しても……ヒロ、どうしたの? そんなに震えて……やっぱりまだ調子悪い?」

 ホノカにこの悪寒を理解してもらうということは、彼女の生きてきた人生を否定するようなものなのだと諦めながら、ヒロは再びベッドに突っ伏した。



 夜半。

 食事の席を設けてもらったのだが、結局青年は体調不良で辞し部屋で休んでいたため、さほど夜が更けないうちに目が覚めた。

 明日にはティレンサイドにつくだろうと、食事から帰ってきた二人から伝えられたがどことなく不安な気持ちは押し隠せない。

 時間的なことを考えれば、はっきり言って驚異的に早い。少なくともあと三、四日はかかったはずの行程を一気に短縮しているわけだから、感謝以外の言葉はでなかった。

『神羅』を操るラフィー達空を駆ける旅芸人の一座は、自国内を巡って人々に一時の娯楽を分け与える役目を担っていた。天空船が創られるその前までは、馬での移動であったためになかなか遠方までは行けなかったのだが、今では領土の隅々まで移動できていた。

 此度の遠征は、東の果ての聖王国イーストエンドを起点とし、ティレンサイド領内の北部地域の街を巡りながら、最終地として霊山ジルヴァニアの麓の岩掘削を生業とする村や木材を切り出す森の集落を回っていた。昨日、予定していたすべての興行を終え、一度ティレンサイドまで戻るところだったという。

 本来ならば数ヶ月かけての移動公演となるところを、わずかの間で街や村を巡れてしまう移動手段としての天空船は、一座にとってとてつもなく都合の良いものだ。ゆくゆくは大陸全土を股に掛けて、大公演の旅をするのだとアスカは誇らしげに語っていた。

 だが青年は懸念する。このような他国にない技術が、もしも戦に使われたら?

 大空を制するのは、今のところホノカ達のようなノースグリーヴの天馬騎士団しか存在しない。その数もごく限られたものであるし、もとより彼女たちは国を守る最期の砦なのだ。他国を攻め落とすための力ではない。

 天空船がその建造当初の予定通り使われていれば、きっと世界は大混乱の渦に巻き込まれるだろう。それだけこの天空船の危険性は、素人のヒロが考えても多大なものであった。もっとも、今はまだ高空まであがらねば推進力が安定せず小回りも利かないことから、実戦への投入は無理だと判断されていたが、それは彼の知るところではない。

 船長であり、何よりも戦を由としないラフィーはなんとかそれを阻止すべく友好和平利用への道を模索していた。強奪するように新造戦艦を一座のものとしてしまったのも、そういった想いが大きい。

「あれ……、タエコがいない……」

 上半身を起こし、暗がりに慣れた目で部屋を見回すとベッドが一つあいていた。

 船内の設備の不充実から、四人は同じ部屋に居た。部屋数はそこそこ在るのだが、乗組員とほぼ同じほどしか寝台の数は用意されておらず、予備の寝台が設置されている部屋もここだけであった。とはいえ、いつも寄り添うように野営をしているので、特に問題も感じず休んでいたのだが。

 造り付けの寝台が四つ並んだ部屋では一番手前がヒロで、その隣がタエコだった。今はその隣の寝台が空になっている。規則的な寝息が奥の方からきこえてくるが、こちらはホノカだろう。

 こんな夜更けにどうしたというのだろう――。

 寝台から立ち上がり、皮の長靴に脚をつっこむ。目覚めたとき幼なじみが居ないという状況に、にわかに不安がわき上がって青年はそっと部屋を出た。


 よく考えてみれば、ヒロは船内をよく知らない。この部屋に来てすぐにベッドに倒れ込んでしまったわけだから、知っているのは甲板への通路のみだ。

 アスカの話では、ここは三層になった船内の第二層目で主に船員の部屋となっている。ここより下は船倉で厩舎と道具置き場となっており、この上は大食堂やら船長室やらが存在しているそうだ。

 夜の通路には人影もなくいたって静かだった。芸人一座は公演後の疲れからか皆早々に眠りについているようであるし、厩舎の動物達もおとなしいものだ。

 とりあえず食堂にでも、そう思い青年は階段を上った。木製の急な傾斜のものであるが、この船内にはよく似合っている。アスカは飛び跳ねるように軽快なステップで上り下りしていたが、そう易々と真似できるものでもなく、青年は用心深く手すりを頼りにしなければならなかった。通路に明かりは少なく、ただでさえ歩きにくいのだからそれも仕方がない。

 階段を上りきったところ、探すまでもなく食堂は見つかった。開け放たれた扉の奥に机が並んでいる。脚を踏み入れてみると二層目よりもぐっと天井が高く圧迫感は感じない。広さはヒロ達の居た部屋の四、五倍はあるだろうか、食事時にはたいそう込み合うだろう広間も今は人気がなくがらんとしていた。暗がりに目を凝らしてみても誰もいない。

 椅子は部屋の隅へと片づけられており、規則正しく配置された丸テーブルがまるで木々の立ち並ぶ林のように見えた。

「甲板、かな……?」

 誰に言うでもなく青年は呟いて、さらに上を目指す階段へと脚を向けた。


 雲の大海原をいく天空船。

 地上より遙か高々度にあって、かすむほどの大きさでしかない頼りなげな存在に人はすがりつくように身を委ねている。

 甲板に顔を出すと、真円の月に出迎えられた。降り注ぐ銀の光が、白の峰に反射してきらきらと輝いている。淡い月光は、すべてを赦しすべてを癒す魔法の光のようであった。浴びているだけで優しい気持ちになってくる。

 予想していた身を切るような風の冷たさはなく、むしろ穏やかな夜の光景が眼下に広がった。船縁の所々には魔法灯の明かりがあったが、今は月灯りがそれに勝っている。

――いた。

 柔らかな光の中、タエコは船首の側にたたずんでいた。こちらには背を向けているため何をみているのか、ここからではわからない。

 思いの外に細く儚げな後ろ姿は、青年の知っている幼なじみの後ろ姿とはまったく違うものに見えた。今にも月の光に透けて消えてしまいそうな、不確かさと危なげさだ。

 今すぐ駆け寄って抱きしめたい。そんな衝動がわき上がる。いや、そうでもしないとどこか遠いところへ行ってしまうのではないかという不安感が心の中に芽生えた。

 あの日。霊峰で敵の手に落ちて、それまで片時も離れることのなかったタエコの笑顔が視界から消えた時から、ただの幼なじみという存在だったはずの少女は、青年の中で大きくその位置を変化させていた。

 うまく言葉に表すことはできないが、誰かに奪われ離ればなれになることはもう御免だった。それまでの近すぎて見えない関係が、あの出来事を通して浮き彫りにされた。

――それでも今はただ……。

 高ぶる気持ちを抑え、青年はゆっくりと少女に歩み寄りながら、そっと声をかけた。

「眠れないのか?」

 普段通りの声が出たことで逆に冷静になる。

「……、ヒロ……」

 振り向いた少女は、どこか茫洋としていて遠くの景色を見るような焦点の合わない瞳を青年に返した。甲板には他に人影もなく、二人の吐息の音が伝わるほどの静寂に包まれている。

 ヒロが現れるということに対して予感でもしていたのか、タエコに驚いた様子はさほどなかった。いや、予感と言うよりも期待といった方がいいかもしれない。

「なに見てたんだ?」

 ヒロはタエコのすぐ隣に立ち、同じように船縁から雲の海を眺めた。緩やかな夜風に前髪が弄ばれる。

「ううん、べつに……。雲がどこまで続いているのかなって……、それだけ」

 ちらりと横目で盗み見た少女は、やはりいつもとはどこか違って見えた。芯の抜けた案山子のように、魂の脱け殻のような印象を受ける。それほどまでに疲れているのだろうか?

「そうか……、良い月夜だしな。ずいぶん遠くまで見える」

 並んでその視線の先を追いかけると、銀光を照り返す白雲がどこまでも続いていた。雲の下、北大陸の大地は見下ろすことができないが、見上げた虚空には数多の星々が燦然と煌めいていた。砂の欠片のごとく小さくあって、にもかかわらず折々の色を見せ瞬く天の河。地上から見上げるよりもぐっと近く感じ、青年は目を奪われた。

「ダメだよね。わたし、泣かないって決めてたのに……」

 と、隣で小さく呟く声が聞こえ意識を戻す。

「タエコ?」

 語尾の震えを感じ取り、ヒロは不安げにタエコを見つめた。

「私……、もう二度とこんな悲しい思いはしたくないって……誓ったはずなのに……」

 青年に背を向けた少女は両手で顔を覆い、小さな身体を震わせながら泣いていた。

「タエコ」

 たぶん、ずっと耐えてきたのだろう。ここまでずっと、自分の中だけにしまってきたのだろう。気丈な自分を演じ続けて、絶望に打ちひしがれそうになる仲間を叱咤して、時に強く時に優しく仲間を癒し、決して涙を見せなかった彼女の張りつめていた緊張の糸がふつりと切れてしまっていた。

「……でも私、あの子を助けられなかった」

 声を押し殺し、すすり泣く。胸を痛くさせる慟哭。思えば、故郷を出てからというものこうして二人だけになれる時間というものは皆無だった。ホノカの前ではこうして胸の内を吐露することも、弱い自分をさらけ出すこともできなかったのだ。

「……タエコ」

 そっと抱きしめると、ふんわりと柔らかく、暖かで懐かしくていつもと変わらない匂いがした。切なく胸を焦がすのは、兄妹のように育っただけでは決して得ることのできない想いが胸の中に存在するからなのか。

 腕の中のタエコは身じろぎ一つせず、青年の体温を感じ取るかのようにじっと息を潜めている。背中から抱きしめた青年の腕をぬらす涙が暖かかった。

「大丈夫、きっとエミルは助かる。助けて見せるさ」

 気落ちする少女を勇気づけるように、ヒロは言った。なんの保証もないけれど、きっと果たしてみせるという決意が青年を強くさせた。背中越しに伝わる鼓動が、その源となっていることに鈍感な彼は気がついているかどうか。

「……キ、ス」

 ぽそり、と、タエコが漏らした。小さな呟きはかすかに耳に届いた程度であったが、何とか青年の耳にも届いた。

「キス、して、くれたら……、もう少しだけ頑張れるから……、もう少しだけ強くなれるから……、だから……おねがいヒロ……」

 その言葉の意味を考え、一気に思考回路がスパークする。

「え、あ……タ、タエコ……」

 躊躇ったのではない、戸惑ったのだ。確かに、互いを半身のように思いやる二人ではあるが、実際には肌と肌を触れ合わすのにも逡巡してしまうほど奥手な彼は、少女のいきなりの言葉に狼狽した。

 一瞬の沈黙。鼓動が早鐘を打ちならすように、早く強く刻まれる。頭に血が上り頬が真っ赤に染まっていく。

 だが――、

「ごめん、今の忘れて。もう寝ましょう、明日も大変だし。励ましてくれてありがとう、私先に行ってるから」

 するりと青年の腕を抜け、そういって少女は逃げるように早足で甲板から姿を消した。あまりにもあっさりと去ってしまったタエコに、一人残されたヒロは呆然と彼女の消えた階段のあたりを眺める。

「タエコ……」

 応える者のない呟き。

 腕のぬくもりはまだ消えてはいない。こぼれ落ちた涙の跡も。

 けれど、すべてが夢だったのではないかという不安が、二人の間に決定的な溝が刻まれたのではないかという焦燥感が、青年の胸の中で嵐のように吹き荒れた――。

to be continued.





    
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