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 強烈な暁光を瞼に感じ、ホノカは目を覚ました。

 瞼がぱっちりと軽く持ち上がり、身体には気力がみなぎっている。生家の物に比べると、いや比べるべくもなく上等ではない堅い寝台だったが、連夜の野宿に悲鳴を上げていた身体には天恵のありがたさであった。心労もありこのところ思うように休めなかったのだが、久しぶりにぐっすり眠ることができたおかげで、体力は驚くほど回復していた。

 身を起こし、軽く伸びをして朝の空気を吸い込むと体中が活性化しているのがわかる。甲板に出て剣の素振りでも始めようかと言うほどに力が溢れていた。

 他の寝台では、タエコもヒロもまだ眠りこけている。ホノカは二人を起こさないようそっと寝台から降りると、素足のまま明かり取りの窓へ歩み寄った。小さな窓枠からひょいと外を見る。

 雲はほとんどなく遠方まで見通せるさなか、西側は未だ夜の気配を感じさせた。深い藍色と闇色の線が山陰にひっそりと残されている。ジル山岳地帯とその向こうの故郷では、あとほんのわずかだけ夜明け前の時に包まれるのだろう。

 水平線からはそれを払拭するための太陽が姿を現にしていた。スティールブルーの海はその煌めきを返し、強烈な反射光は痛くなるほど激しく網膜を焼く。

「ああ……」

 だが、感嘆の声が自然に漏れるほど、大空の上から見るその朝日は美しかった。天馬で駆けるよりもさらに高空から見下ろす大地は紺碧の海に抱かれてなお自分を主張し、その遙か彼方よりじわりと登り来る太陽の黄金色の輝きに負けじと、ぶるり一つ身を震わせているようにさえ感じられる。

 息をのむほどに荘厳で、瞬きを忘れるほどに神々しく、継ぐ言葉が見あたらなかった。時間が止まっているのではないかと錯覚を覚える。この光景を独り占めしているというその想いだけで、胸がいっぱいになり涙があふれそうになった。

 見渡す限りの蒼に包まれた、ほんの小さな大地の上で人はひしめきあっている。ほんの少しの領土を広げるために、己の矮小な力を誇示するために幾度も戦を起こし、大陸に栄枯盛衰の歴史を刻み込んできたはずの人間も、天空から見下ろせばほんのちっぽけなものだった。

 けれど人はその小さな大地の上で、悩み、迷い、時に人を傷つけ、歌い、笑い、癒し、今日を生きることに必死になる。良いことも、悪しきことも、すべてが織り混ざって時は流れていく。そんな命の脈動と息吹が、瞳を閉じるとすぐそばで感じられた。

――この小さな楽園を崩落させることだけは、なんとしても阻止しなければいけない。

 大地に息づく生命たちの一員として、ホノカはそう堅く誓った。



センチメンタルファンタジー
第十六話「禍福」



「……なんか、物々しい街だな」

 瀟洒な作りの小綺麗な宿屋の三階、その窓辺でヒロは呟いた。大通りに面した宿は、市内でも安くてサービスが良いと評判の店だったか、今日は客入りが少ないらしくがらんとしている。そろそろ夕食時だというのに、階下の食事処からの喧噪はほとんど聞こえない。

 巡回の兵士も多く、街は殺伐とした空気に包まれている。がちゃがちゃと金属の鎧を鳴かせながら我が物顔で闊歩する歩哨が、もう何組も下の通りを過ぎていった。通りに面した食料を扱う市も早々に店じまいをしており、出歩く市民も少なくて街は閑散としている。まだまだ宵の口にもなっていないというのに、明らかにおかしい事は初めてこの街を訪れた三人にも用意に理解できた。

「どことなく空気がぴりぴりしてるし、武装している人も多いわ」

 エミルを寝かせたベッドにそのまま腰掛けたタエコがヒロの言葉に応える。どこか不安を押し隠せない様子であるが、青年とまともに目を合わせられないのは決してそれだけが原因ではない。

 悟られないように彼女は、眠るエミルの顔を見やりその頬を優しくなでた。

「まるで近いうちに大きな戦いでもあるみたい」

 タエコの言葉を補ってホノカが言う。彼女は作りつけのテーブルとセットになった椅子に腰掛け、早々に灯した魔法灯の明かりをじっと眺めていた。行儀良く両足をそろえて座り片手はテーブルに、片手は膝の上にのせている。仕組みや原理は知らないけれど、生まれてからずっと側にあるなじみのものだけに、見ているとそれだけで何故か心が落ち着く。

 二部屋続きでとったうち、今はヒロとエミルを寝かせるためのベッドが並ぶ部屋に皆集まっていた。使い込まれてはいるが、老朽化や耐蝕のあとの見えない手入れのよくいきとどいた部屋づくりである。

「アスカ、遅いよね」

 ぼんやりと明かりを眺めていたホノカが小さく呟く。

「やっぱり私、ついていった方が良かったかな」

 円筒形の硝子の中に封じられた魔法の輝きは、空気の流れに揺らめくことがない。一般的に普及している魔法灯は、王侯貴族が使うものに比べてかなり光度が押さえられているが、それでも十分に植物油のランプより明るかった。国によってもその形状に特徴があるらしく、ティレンサイドのものは内部に金属の反射鏡を用いて部屋全体を照らすように工夫がなされている。面白いものだ。

 燭台を指で軽くなでて微妙な細工を確かめていたホノカに、ヒロは声をかけた。

「いや、もう少し様子をみよう。アスカもなんだか変な顔してたし、街の様子を見てさ。こういうときは、地の利がある人に任せた方が上手くいく」

 不安は波及する。こういったときは、無闇に動くよりも慎重になった方がいいと亡き父は言っていた。

「大丈夫、まだ時間はある」

 心配事をすべて払拭させることはできないが、ほんの少しでも気が楽になればいい。青年はそんな想いでいた。特にタエコは、昨晩の出来事からすっかり元気がない。いくら鈍感な青年といえども、そんなことをホノカに相談するわけにはいかなかったし、自分たちで解決していかなければならない問題と気がついていた。

「そうね、実際に細かい時間はわからないけれど、少なくともあと七日は効果が持続するはずだから」

 伏し目がちに視線を落とし、タエコが告げる。だが果たしてその七日という時間が、長いのか短いのか彼女には良くわからなかった。



 天空船は、航行予定通り翌日の午前中にはティレンサイド近くの停泊所にたどり着いた。そこは整備と補給の行える巨大な工房を囲む小さな町になっていた。天空船開発は、数十年の永きにわたって続けられていたそうで、この町も工房の周りに自然と発生したものらしい。国境際をぐるりと回遊し、砦や小さな街などで興業を行ってきた芸人一座は、しばしここに滞在して休暇をとることになっていた。もちろん、天空船の補修や動物たちの医療検診も行われる。

 別れを惜しむ船長にヒロは曖昧な笑みと挨拶を返し、乗りかかった船、とティレンサイドの案内人を買ってでたアスカを加え、一行はティレンサイドへと向かった。

 道すがら、アスカは良くしゃべった。感性があったのかタエコの馬に相乗りすると、息をつく暇もあるのかと言うほどに様々なことを語った。ティレンサイド議会の成り立ちから、旅芸人一座が回ってきた街の様子、ティレンサイドで一番おいしいケーキの店まで、内容はとてつもなく多岐にわたる。せっぱ詰まった雰囲気の旅が続いていただけに、なんて事のない日常的な雰囲気がありがたかった。

 アスカには、エミルの容態を詳しく説明していない。旅の途中、とある戦闘で瀕死の重傷を負い、今は治癒の力で昏睡状態にとどめている。だから一刻も早く力のある治癒師を探さなければならない。と、その程度だ。

 魔軍との接触、神の剣の存在と闇の巫女と、ここまでかいくぐってきた事は、アスカにまで危険が飛び火してしまうような内容だ。あまり軽はずみな発言で、彼女を巻き込んでしまうわけにはいかない。だから、尋ねられとっさ答えてしまった一行の旅の理由などは、諸国放浪の武者修行とかなり苦しいものだった。

 ただ、アスカは細かいことについて一切ふれなかった。うすうす感づいているのだろうけれども、こちらの話せない事情を気遣ってか深い追求はしようとしない。好奇心は強いが、人の心情には非常に聡い娘であった。

 工房の街より数刻、ティレン河に面する商業都にたどり着く。普段よりも多少厳重だという門番達にアスカは首を捻りながら、五人は街の門をくぐった。


 ティレンサイドの街並みは、ホノカの故国であるノースグリーヴともまたひと味違うものだった。広い大通りに面した家屋はおおむね一階部が商店になっており、上の階が住居になっているという。家と家の間隔はほとんどなく、建物がびっしりと立ち並ぶ様は辺境生まれの二人にとって物珍しかった。また、壁に色煉瓦を用いた巨大な絵を創り出す職人芸に足を止めて目を奪われたり、精緻な細工の施された広場の泉の女神に感心したりと、しばし状況を忘れ見入った。

 通りは緩やかな上り坂になっており、一番高くなっている街の中心部には要であるティレンサイド議会の庁舎が構えられている。二本ある尖塔の展望部からは、街と周辺の平原がさぞかし美しく一望できることだろう。

 騒ぎになるとまずいという判断で、天馬フォルテは工房の街、芸人一座の元に預けてある。市内の馬上移動は警備隊か議会高級官に限られているので、ヒロ達はいま馬を引いて歩いていた。この先にアスカのおすすめの宿があるという。

――ところでアスカ。治癒師のことなんだけど。

 たわいない世間話を繰り広げる乙女たちに気後れしつつ、ヒロは尋ねていた。

――その、本当に大丈夫かな、タエコよりも腕のいい治癒師はいるんだろうか。

 背負ったエミルの重さを知る青年としては、一番気にかかるのがその点である。

――ちょっとちょっとぉ、そんなに情けない声ださないでよぉ。

 だが、答えるアスカは至って楽観的だ。そして、ついと流れるような動作で青年を振り返ると、人差し指で額を弾き叱りとばす。ぱちんと小気味よい乾いた音が響いた。

――もーダメダメ、男のコがそんな景気の悪い顔してちゃ。始めからダメって決めてかかってたら、なんだってダメになっちゃうわ。

 青年に反論の余地を与えず、アスカは言葉をつないだ。どうもこの「手の早いよくしゃべる娘」という人種に始めて出会ったヒロは、突然打たれた額を呆然と押さえながら少女の言いなりになるままコクコクと頷くことしかできなかった。

――よろしい。あーここ! この宿、マスターひっさしぶりー!

 ヒロの様子に満足したのか、にんまりとした笑顔で一つ答えるとちょうどそこが目的の宿泊舎にたどりついたところだった。旧知の間柄という関係か、扉をくぐりながらアスカは宿屋の主人に対してごく軽く声をかける。

 そのまま手慣れた様子で部屋の手配を済ませると、アスカは一人で先に治療院をあたってくると言った。まずは様子見ということでヒロの申し出た同行を断ると、

「そんな深刻にならなくても、きっとなんとかなるってば。一人で足りなかったら何人かつれてくればいいわけでしょう? 生まれも育ちもこの街のアスカちゃんに、ここは任せておきなさいって」

 そう言って、あっけにとられるヒロ達を宿屋に残し、春の一日にしてはやや暑い午後の街に飛び出していった。

 ……はずだったのだが――


「ただいまぁ〜」

 夕暮れに街が包まれる頃。戻ってきたアスカの声色と表情は、誰がどう見ても状況が芳しくないことが読みとれた。大口をたたいていた事に対する面目のなさからか気落ちしており、すっかり元気がなくなっていた。

 結果を聞こうとしたヒロもその言葉を口にするのが躊躇されるほどに、アスカの気落ち具合は酷いものだった。思わず準備していた言葉を飲み込む。

「お水もらうわね」

 了解の合図も待たず、アスカは水差しから陶器のコップに水を注ぎ一息に飲んだ。声をかけるタイミングを見失い、かける言葉もなくヒロ達は見守ることしかできず、少女の反応を待つ。

「ふぅ〜、悪い知らせなんだけど、いいかな」

 口元を拭い空になったコップをテーブルに置くと、とりあえず落ち着いた、という様子で彼女は言葉をつないだ。そうなれば待っていた三人は神妙な面もちで頷くしかない。

 一呼吸おき、

「戦争が始まるって――」

 そう、アスカは意外なほどさらりと告げた。感情の変化はほとんどなく、彼女は冷静に事実のみを伝えていた。

「だから、力のある治癒師はみんな前線に出ていて……、あとは議会お抱えの治癒師を個別にアタックするしかない状況。でも非常時だし、それも無理っぽいんだけど」

 そうつづけて肩をすくめる。 言葉の内容は、おそらく驚くべき事実なのだろう。けれど、実感に乏しいこととなんとなく予想されていた事が重なり合って、大きすぎる落胆や衝撃はなかった。三人は複雑な表情で顔を見合わせる。

「うーん、一難去って、か。一筋縄では行かない事は覚悟してたけど、戦争かぁ」

 治癒の力を有するものは少なく、もとより苦労は承知の上だった。どちらかといえば天空船によって戒厳令の敷かれる前にでここまでこれたことのメリットの方が大きく、その点だけでも感謝せずにはいられない。

「あの、相手国はどこでしょうか?」

 のんきに答えるヒロの顔とはうって変わって、真剣な眼差しでホノカはアスカに尋ねた。彼女は、青年ほど鈍い神経を持ち合わせていないため、わずかに青ざめている。ホノカの場合、その質問の意味が切実な問題となってくることもその要因ではあるのだが。

「それが、みんな口をそろえて『わからない』の一点張りなんだぁ。ほんの三日前くらいの話なんだけど、突然東の平原に謎の敵陣が現れたんだって」

 少々大げさすぎる身振り手振りで、アスカは答える。どうやら得体の知れないものが相手であると言うことに、彼女は少なからず好奇心を刺激されているらしい。わずかな表情の変化にそれが見え隠れしていた。

 突然現れる、というフレーズになにか引っかかるものを感じながらも、ヒロはアスカの説明を聞きつづける。

「それは隣国、たとえばイーストエンドやオワリノミヤコ、……ノースグリーヴの兵力ではないのですよね?」

 念を押してホノカが尋ねたが、アスカは首を左右に振って否定の言葉を口にした。

「ううん、国交はあまりないけどたぶん違うとおもう。法王の治める厳格なる秩序の聖地イーストエンドの騎士達が他国を侵略するわけないし、一騎当千の兵を有すると謳われるオワリノミヤコだって、軍事力はあるかもしれないけどティレンサイドを攻略できるほど大国ではないから。それに、あなた達ノースグリーヴから来たわけでしょう? 謎の軍はあなた達よりここに現れてるんだからたぶん違う。ノースグリーヴから攻めてくるんだったら、いきなり街の東側に現れることなんて無理だし、唯一そんな奇襲作戦の行える天空船は、今朝まで私たちが乗っていたのよ?」
「そう……、ですよね……」

 安堵と、拭い切れぬ不安の入り混ざる顔でホノカは頷く。たしかにアスカの言うとおりなのだが、なにか漠然とした懸念が払いきれなかった。自国がこのティレンサイドを攻めるには、すくなくとも霊峰ジルヴァニアを越える必要がある。大規模な戦団が誰にも気づかれずに進入できる位置関係にはない。そう頭では理解しているのだが、病床の国王に従わず何らかの手段を用いて隣国を攻め落とさんとする急進派がいないわけではない。

「結構情報規制がされてるみたいで、市民の間ではうわさ話の域を出ていないわ。実際の所、他国の勢力かどうかもまだはっきりしないみたいだし。議会中枢に対する反感の意志は、国境沿いの諸侯達の間に根強く残ってるから……」

 そんなホノカの思案をよそに、アスカは自国内のクーデターの可能性を示唆していた。国の違いはあれ、二人の着目した点は近い。だが、なんとなく腑に落ちないという顔で言葉を続ける。

「けど、妙な噂も流れてるんだよね、――人型の化け物に近隣の町が襲われた、とか」

 次の瞬間、三人の視線が一斉にアスカに集まった。急に空気がピンと張りつめる。

「ど、どうかした? あたし、なんかまずいこと言ったかな」

 ただごとではない雰囲気を感じとってかその視線の中央に立つ少女は慌てて言った。

「あ、ああ、ごめん、なんでもない……。話をつづけて」

 一瞬見せた険しい表情をすぐにもとにもどし、ヒロはアスカの言葉を促した。だが、先ほどまでのように悠長に構えてはいられず、意図せずとも前のめりになってくる。

「え、えーと、どこまで話したっけ……ああ、そうそう。東の平原はそのまま海へと開けていて、敵はその海辺にある遺跡を本拠地としているらしいの。古くから……、ティレンサイドの記録に残されていないくらい昔からある砦で、伝承には海竜人と地上人の戦いが行われたとか言われてるんだけど……」

 周りを取り囲まれ問いつめられているような気分になり、彼女は少なからず緊張を感じていた。自分の発した言葉のどこかに、なにか三人の核心を突く出来事が隠されていたのだろうけれど、いまはそこまで気を回すことができず、情報を与えることに気持を切り替えなければならなかった。

「ただ、相手からの政治的要求や表だった宣戦布告はないみたい。なにが目的かもわかっていないし、今はにらみ合いが続いているとか」

 ふっくらとした桜色の唇に細くしなやかな人差し指を当てて考え込む仕草は、小さな頃からの習慣なのか無意識のうちにたびたび現れていた。気を抜くと瞳を引きつけられてしまうほど、艶やかでふわりと軽い色香を漂わせている。こんな時だというのに、青年は努めて平常心を維持しなければならなかった。

「となると、治癒の依頼は難しい、か」

 アスカのくれた情報を整理すれば、戦争勃発間際の街には力ある治癒師がおらず、なにかしら別の策を考えなくてはならないという結論に至る。なんとかなるのではないかと楽観的に構えていたのだが、こうなるとだいぶ雲行きが怪しくなってきた。苦渋の選択肢を迫られる時が、じわりじわりと忍び寄られているという感覚とでも言おうか。

「隣国へ向かうにも、日数が足りないし……」

 他の手段を取るのならば、それこそもう状況は秒刻みだろう。危険を承知で天馬で運ぶか、無理を言って天空船を出してもらうか、時の制限を解決できる案はその二つしかない。となれば、決断は早い方がいいに決まっているし、今からでもフォルテを呼び寄せて…… 、そうホノカが思考を巡らせているとアスカが言葉を付け足した。

「あ、でも待って、まだ手がないわけじゃないと思うわ。もうちょっと時間をちょうだい、引き続き情報を集めてみるから」

 と、再び三人の視線がアスカに集まった。

「ティレンサイド一の情報通と呼ばれたアスカちゃんが、この程度の情報であきらめるなんてそれこそ情報通の名折れだわ。出る前にあんなに大口叩いちゃったし、もうちょっと悪あがきさせてくれるかな」

 ともすると滅入ってしまうような状況下、彼女はなんとも前向きで協力を惜しまない姿勢をもって接してくれた。地の利がない三人にとって、ティレンサイド出身のアスカの申し出は非常にありがたい。

「あ、ああそれはかまわないよ。アスカが協力してくれるなら、ほんと助かる」

 ヒロの言葉に同意するようにホノカも頷いた。照れ隠しか、アスカは任しといて、と胸を叩いた。

「じゃぁ行って来るね」

 そして、帰ってきた時とはうって変わった軽い足取りで部屋の扉へと向かう。

「え、また行くの? 今日はもう終わりにして休んだ方がいいんじゃないか?」

 夕日もほとんど沈み、既に外は暗くなっている。どこか殺伐とした空気の居座る街に、このまま飛び出していくのは青年でさえ躊躇されるところだと思っていただけに、アスカの活動力には度肝を抜かされた。

「なーに言ってるのよ、夜の方が仕入れやすい情報ってのもあるんだから」

 だが、自信満面の顔で心配いらないわと言われると、どうも反論の言葉を失ってしまう。そして、遅くならないうちには帰ってくるから、と残しアスカは部屋を出ていった。


 一人いなくなるだけで、部屋はだいぶ静かになる。だが、その静かになった分だけ状況の悪さが重苦しくのしかかってきた。

 いつもならばタエコが雰囲気を明るく変えてくれるのだろう。だが今は……、それも望めそうにない。他の治癒師の助けが借りられそうにないということが判明した先ほどから、彼女はずっと言葉をつぐんでいる。

 タエコにしてみれば、自分の責任であるという思いがどうしても胸の中から離れない。自分が敵に捕らわれたせいで、自分の力が及ばなかったせいで、いくつもの運命が折り重なりあった出来事だったとしても、最終的にこうなったのは自分の未熟さなのだ。

 青年達にそれを責めるつもりが皆無だったとしても、自分で自分を責める気持ちが無くなるわけではない。慚愧の念は後を絶たなかった。

「突然現れた敵、日数的には霊峰での戦いの直後。まさかと思いたいけど……」

 だが、そんな幼なじみの葛藤を知ってか知らずか、ヒロは呟く。

「いえ、可能性としてはかなり高いでしょうね。そんな芸当のできる存在が、何人もいるはずがないわ」

 ホノカもそれに答えて、アスカの話してくれた事を胸の中で反芻しながら一つの結論を導こうとしていた。いや、考えられる事はひとつしかない。

 ぽつりと、だがしかし強い遺恨を含ませてヒロはその忌々しい名を呟く。

「魔将軍ユウ……」

 青年の言葉に、少女はびくりと身体を震わす。だが、考えに入り込んでしまっているヒロには、タエコがどれほど苦しんでいるのか気がつく余裕はなかった。

「この街を狙っているのか……、それとも――」



 アスカの芸人一座での役割は、空中での軽業が主だった。高く張られた一本綱の上を渡り歩いたり、ロープ一本で次から次へと高く張られたブランコへ飛び移ったりと、危険なものが多い。

 愛らしい娘であるが、舞台の上では少々背丈が足りず目立たないため、投げナイフの芸などでもナイフを投げる方の役回りだった。ちなみに目隠しをしていても、的となった他の団員を傷つけることなく、手のひらや頭の上に置いた果物をはずすことがないという、相当の腕前の持ち主だ。

 もちろんこれらは血のにじむような努力があってこその芸当であるが、もともと器用だったことが功を奏している。小柄なわりに人一倍度胸もあり、裏表のないさっぱりとした性格で芸人一座の中でも中核を担う存在だった。

 とはいえ、彼女はそれほど芸人一座に長く居座っているわけではない。逆に他の団員にくらべ、新参者とも呼べるほど歴は短い。そのような事実があったとしても、アスカは数多くの仲間に囲まれ、排斥されることなくうまく立ち回っていた。

 団員の中には後ろ暗い経歴を持つ者が多い。故郷から追い出された者、身体に普通の人間とは違う特徴を持つ者、果てに罪を隠し持つものもいる。そういう意味ではアスカも異色の存在であったが、一座はそういったものをすべて包み込む大きな家族だ。

 団長がちょっと変な趣味、という程度では揺らぐことのない結束力が団員達の誇りであり、世間からはみ出し者と呼ばれたことのある者達にとって暖かく居心地のよい場所であった。


 夜の街――

 この街を故郷とする彼女にとっても、今宵の空気は異常なものだった。街全体が浮ついている、とでも表現しようか。思った以上に成果が上げられず数件の酒場、盛り場を渡り歩いたがぱっとした情報を得ることが出来ずにいる。

 途中食事をとり軽くアルコールが入ったが、むしろ思考はいつもよりも鋭敏で街路をゆく足取りもしっかりとしていた。巡回の兵士に見つかると、面倒なことになるということは理解している。戦の空気に駆り立てられて、夜の街をうろつく偏執狂が出ることを見越した上での厳戒態勢だろうが、少女にとってはならず者に近い急雇いの巡回の兵士も、常軌を逸した精神薄弱者も変わらない。無駄な騒動は起こさないためにも、いつも以上に慎重に行動していた。

 あやふやな質の悪い情報をいくら仕入れたところで、なんの足しにもならないことは重々わかっている。とはいっても、確信をもてる有用な話は杳として得られない。

――このままじゃ埒があかないわね。

 アスカは一つ決心をすると踵を返した。細い裏路地を抜け、酒場のたちならぶ歓楽街のはずれ、高級娼館の立ち並ぶ方向へと足を向けた。

 首都と呼ばれるような大きな街には、朝まで眠りにつくことのない享楽の宴の開かれる一角が必ずある。ティレンサイドも例外なく、そういった花街を有する。主に高給官や有力商人達が集う遊郭は、情報規制がかけられるような特秘事項もえてして漏洩しやすいものだ。遊女達がどこまで理解しているか、いや、理解出来ようはずもない事だとおもうから自慢げに話を漏らすわけだが、女達はそこまで愚かしくはない。

 たしかに柳暗花明の巷では、突然の侵略者に関する話題で持ちきりだった。その点アスカが目を付けたのも間違いはなかったが……。いかな街一番の情報通を名乗っていても一種隔離された別世界の遊里では有益なつてなどあるわけもなく、文字通り身体をはって情報を得なければならなかった。

「よしっ、やーったろうじゃない!」

 意を決し細々と経営する服飾店に飛び込むと、豪奢にして妖艶な服をさっと見繕い、店の倉庫で濃いめの化粧を施して、そのまま街へと飛び出す。風のように突然舞い込んだ客だとしてもあわてず騒がず、店主は少女を送り出していた。

「まいどありぃ」

 その言葉が当の本人に届いたかどうか、店主にはあまり関係のない事であった――。



「ねぇ、起きてる? 起きてたら開けてほしいんだけどぉ」

 控えめなノックのあとに扉越しにアスカの声が聞こえたのは、青年が寝入ってからずいぶんと時間が経ってからのことだった。ここまでの野宿生活で睡眠のサイクルが三分割されていたので、その境目にほど近い時間だったこともありすぐに目が覚める。ヒロはそのまま寝台から降りて扉へ向かった。

「お帰り、遅かったね……」

 魔法灯を手にあくびをかみ殺しながら扉を開けると、なんとも言えぬ甘い香りが彼の鼻腔を刺激した。

「!!」

 そしてわずかに開けられた扉から滑り込むアスカの姿に仰天する。

「へっへっへ〜、いい情報仕入れてきましたぁ〜」

 ほの明るい魔法の光に照らし出された少女は、服ともただの布ともつかぬ肌の露出がきわめて高い、昼間とは違う衣装に身を包んでいた。上気した頬に、いつもよりも瞳が大きく見えるように施された化粧が、青年の心拍数を跳ね上げた。空気を求める魚のごとく、パクパクと口をわななかせるが肝心の言葉がなにも出ない。

「あ、アスカ、そ、その格好は……!?」

 なんとか絞り出すようにして、青年は尋ねた。肩がむき出しになった胸までの薄手の布地に、宝飾品が首元からぶら下がる。年若い彼が面食らうのも無理はないものだった。

「あ、ああ、着替えるのが面倒だったからぁ〜、ほら、可愛いでしょう〜?」

 そういってくるりと回る。ふわりと生地が舞い、短いスカートがめくれて太股があらわになった。そしてそのまま勢いを付けて抱きつき、青年の首に両腕をからみつかせる。

「ちょ、ちょっとアスカ!? よ、酔っぱらってるのか!?」

 昼の少女とはうって変わった匂い立つ色香にどぎまぎしながらも、目前に迫った少女の唇から吐き出される呼気がアルコールを含んでいることに気がつく。

「まーまー。いいじゃないの細かいことは」

 熱っぽい瞳で青年を見つめる。浮かんだ表情は、うれしさ、だろうか。

「た、頼むから、落ち着いてくれ、う、うれしいけど、ちょっと困る」

 熱烈な口づけの嵐をいつ振りまかれるかわからず、ヒロは狼狽えた。この調子で騒がれれば、隣の部屋の二人が起き出して来るのが目に見えている。その時にこんな姿を見られたらどうなるか、火を見るよりあきらかだ。

 と、アスカの方から手を離し、束の間の抱擁を解いた。そのままスタスタとヒロが先ほどまで寝ていたベッドへと歩み寄りながら、貴金属の首飾りや指輪などをはずして投げ捨てる。

「あー、もう疲れたー! たーいへんだったんだからぁ〜」

 混乱に思考回路の働きを奪われまともな考えのできなくなった青年に、アスカは振り返りざまに大きな声で告げた。だが、その表情には苦労の色はあまり見えず、心地よい疲労感に充足を感じているようにさえ思えた。

 そのままベッドに腰掛けると、編み上げのサンダルを脱いで素足をあらわにする。

「あ。ああ、う、うん」

 目のやり場にこまり、なんとも情けない返事をすることしかできないヒロに、彼女は足を組み替えながら大きくブイサインを出した。

「でもね何とかなるかもしれないよ、本当に!」

 嬉々として輝く少女の瞳は得も言われぬ程に美しい。誇らしげに頷き、彼女は安堵の笑顔で答えた。

「そ、それって……」

 言葉の意味をようやく理解し、青年も色めき立つ。

「治癒師、見つかったわ。しかもとびっきりの力を持った治癒師が――」



To be continude.





    
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