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 発光苔の燐光は、よほど暗闇に目がなれていたとしても明かりとしてはいかんともしがたいほどに暗く、触れようとする指先を淡く照らし出すことが精一杯と言った程度のものだった。だが、その砦の地下深くに造られた秘密の牢獄には、明かりと呼べるものはそれくらいしかない。

 時折天井から滴り落ちる水滴以外には、雑多な音を立てるものもなく凛とした静寂に包まれている。土虫の類も、岩盤をくりぬいて作られたここには、殆ど生息していない。捕らえられた者は、この変化のない暗闇にとてつもない恐怖心を抱き、そして精神を崩壊させる。この場所はそのための牢獄なのだ。

「……戦が、始まるのですね」

 そんな漆黒の空気が満ちるさなか、ポツリと言葉が漏れた。この場所の現在の主であり、運命を見る力を有した沈黙の谷の賢者。月光の元にひっそりと咲く花のごとき儚さと、それでもなお主張する清楚な美しさが同居した少女。

――魔将軍アキラに捕らえられた、ミユキという名の盲目の預言者。

 まだうら若き少女とも呼べる年齢の彼女が、このような場所に幽閉されている様はまるで現実離れしていた。もともと白い肌は、闇に融けて病的なほど色を失っている。光を感じることのできない瞳には、この暗闇に流れる時間も、陽光の下に流れる時間も少しの狂いなく同様に感じられた。

「運命の輪は、既に廻り始めています……」

 自らが見た死のイメージをミユキはずっと考えていた。十字の架に磔にされた魔将軍の姿を。傷だらけの裸体を晒し人々からは礫を投じられ、覚醒と微力な再生の魔力が働く荊の鎖に戒められた彼女の体は、苛烈な痛覚に晒されながらも気を失うことも死ぬこともできぬ、哀れな人形のようでさえであった。

 今この場所に、その言葉を聞くものはいない。その言葉を聞かせなければならない人物はいない。それでもなお独白は止まず、こぼれ続ける。

 それを打ち消す一筋の可能性は、いつになく不鮮明でぼやけたまどろみでしかない。あまりにも不確かで、吐息で揺らぐ灯火のごとき頼りなさだ。

「ああ、貴方のその意思を、貴方のその希望を、どうか今は……」

 祈るように両手を組み合わせ、呟く。だが、神々の加護の届かない谷に育った彼女は、祈るべき存在を知らない。だから何度も何度も、その名を呼びつづけた。

 二刀流の女剣士であり、高潔な魂の竜騎士。アキラ・イル・トリティエ、その人の名を――。



 センチメンタルファンタジー
 第十九話「潜入」



 ティレンサイドの街より馬で半日の距離。うねるような丘陵地帯と小さく広がる平原が連続し、さながら海原を思い起こさせるその場所は、古代、陸に攻め上ってきた海竜神につかえる海人と大地を海人の蹂躙より守らんとする地上人が、苛烈な死闘を繰り広げたという曰くつきの古戦場であった。

 真偽の程は定かではないが、この地で果てた数々の魂が亡霊となって深夜に徘徊するといわれ、この先にある有史以前に建造されたと伝えられている砦まで、無謀にも行こうとする者は少ない。

 ――今はその砦が、敵軍の本拠地になっている。

 かつては小さな河が縦横無尽に走る湿地帯であったこのあたりも、ティレン川の流れが安定してからというもの植物の繁茂する深い草原と変化した。所々に転がる大きな岩石の塊や枝を張った朽ちた潅木は、遥か昔に上流から運ばれてきた時のままに残されている。大地の起伏によって見通しは悪く、開拓にあまり向かないため人の手のつかないままになっていた。

 その一帯は今や、鋼鉄の鎧で武装した軍馬と、思い思いの武具を装備した騎手である兵士たちで溢れ、開戦の合図を待ちつづけていた。もともと正規の兵士たちではないのだろう、徴用されたかもしくは金で雇われた傭兵か、各々の顔つきや年齢、緊張具合はてんでばらばらだ。

 駆け抜ける春の微風に、精一杯に葉を伸ばした下草が一斉に揺れる。と、次の瞬間一陣の風とともになにかが、颯爽と大地へと降り立っていた。

「おおっ」

 その姿を目にした最前線の兵士達は、皆いっせいに感嘆の声を上げた。

 並み居る軍馬の群れのなか、一際立派な体躯を持った白馬の姿に、戦士たちは目を奪れていた。威風堂々と構え、戦前の浮き足立つ空気を完全に遮断し一遍たりとも揺るがない。地上にあってなお光り輝くその存在は天空を駆ける馬――天馬。

 いや、そればかりではない。その馬の背に乗る一人の女騎士があまりにも美しく、その場に居合わせた者たちを魅了していた。まだ少女と呼べるだろう年頃の、あどけなさの抜けきっていないその顔は、戦場の空気を鋭敏に捉えわずかに堅い。だが、それがなんとも凛々しく、男たちの視線を集めた。

 ノースグリーヴ王国天馬騎士団、ホノカという名のその少女は、一文字に結んだ口元を緩めず憂いを帯びた瞳で戦場を見つめている。

 天馬の白き翼、少女の白銀の甲冑、構えられた長槍に照り返され煌く陽光。春先とはいえ十分に暖かな、修練がてら馬を飛ばして野駆けをするに最適な天候だというのに、あとわずかな時間がたてばここは血で血を洗う戦場と化す。そのことを思うと、彼女の胸は小さく痛んだ。

 身に付けている甲冑はいつものものと変わりはない。だが、それを飾り付けるきらびやかな宝飾と純白のマントが、戦の旗印的存在であると主張するかのように輝いていた。あまり多くはないはずの荷物のどこに忍ばせていたのだろうか、それはノースグリーヴ王国天馬騎士団の正式な戦装束であった。

 砂埃の舞う殺伐とした空気の中、彼女の存在は場違いなほどに高貴で清浄で、それゆえ見る者を鼓舞し勇気付ける。一騎当千の戦士ではないかもしれないが、千の兵士を勇敢に戦わせる力があった。憂いを帯びたホノカの胸の内とは関係なく。

「まるで、戦の女神のようだ……」

 それは誰が呟いた言葉だったか。

 この戦に、隣国の天馬騎士が参加するとは。事情も何も知らされていない兵士達は、ただ自らの幸運に感謝し、この戦の勝利を確信した。

 同じ戦いならば、口うるさい評議会の老人達や、脂ぎった権力者達に指示されるよりも、若く美しい女性にのために戦うほうが誰しも甲斐があるというものではないか。そう大げさに喜びを顕にするもの、正反対に静かに闘志を燃やすもの、それぞれの意識がひとつになる。単純だがそれだけに人を突き動かす原動力となった。

 天馬の存在は、幻獣のなかでも竜族についで賢く、清純な乙女にしか懐かない。彼らは、生涯に一人の主人しかもたないという。何日にも渡り空を駆ける強靭な肉体を持ち、心に疚しい思いのある者には決して警戒を解くことのない、人をはるかに凌駕した高次元の生物だ。

 そして騎士と天馬が一体となることで、圧倒的な存在感がそこに生まれる。大陸で唯一の天馬騎士団を有する北王国ノースグリーヴの強さの根底はここにあるのかもしれない。

 ホノカはすっと右手を揚げた。それだけで喧騒はやみ、ざわついていた兵士たちは皆彼女に注目してしんと静まりかえる。

「もうすぐ戦の鐘が鳴らされます」

 涼やかで、穏やかで、春の日差しを思わせる美しい声色。戦場にはまったく似つかわしくないはずであるのに、耳に入るとすっと心に解けてゆく。風にそよぐ細い髪が、彼女の魅力を知らず知らずのうちに高めていた。

「敵軍の存在は依然として明かされていません。その目的、ティレンサイドへの侵攻理由もはっきりとはしていない状況です。風の噂では、恐ろしく凶悪な闇の存在が荷担しているとも伝え聞いています」 

 水を打ったように静かだった兵士達の間にも、僅かにどよめきが起こった。 

「私からの指示はただ一つ――」

 騎乗した少女は凛とした声で伝える。なにか魔力が働いているのか、その声は彼女が指揮をとる兵士達の隅々まで行き渡った。清冽な響きをもった言葉は、一つの意志だけを運ぶ。

「皆で生きて帰ること、それだけです」

 つややかな桜色の唇が言葉を紡いだ次の瞬間、それまでの暗澹たる空気を払拭する雄々しい歓呼の声が上がった。戦場の全体を見下ろせる、やや高く最前線に離れた位置で彼女の部隊は勇ましく吼えて応える。

 そう、彼女は生まれながらにして人の上に立つものとしての何かを持っていた。人を惹きつけてやまない真摯で純な眼差しは、それが演技ならば神の御使いでさえもたやすく騙せるほどに真剣でひたむきだった。

「全兵騎乗! あとは空から指示を出します! 我らは独立遊撃部隊として、多くの仲間を救います」

 この部隊はあくまでも最終追加された遊撃隊で、指揮の全権はホノカに託されている。天空を征する唯一の騎馬として、出来うる限りのことをせねばならない。

 横手に抱えていた天馬の意匠が施された純白の兜を目深に装着し、前方を緊張に満ちた眼差しで見つめる。志気の高まりは手に取るようにわかったが、逆に怖くも感じた。

 遠方から、開戦の合図となる銅鑼の打ち鳴らされる音が戦場に響き渡った。戦場の指揮をとるのは、評議会議長であるという。ホノカはハウザーの私兵団の一つということで軍議や幕僚への取り次がれることもなく配備されているため、その名前は知らされていない。彼女にとってはその方が好都合であったが。

――きっとやり遂げてみせる。

 ホノカは誰にも告げずにあることを心に誓っていた。ほかの誰でもなく、自分にしかできないことを成し遂げるため。

 彼女自身、この旅で初めての単独行動に強い不安を抱いているのも事実だ。たったの一騎でどこまでのことができるかもわからない。だからホノカは不安を振り払うよう、手綱をいつもよりも強くぎゅっと握り込んだ。

「行くよ、フォルテ!」

 その言葉に呼応する天馬。二、三歩の助走、ただのそれだけでふわりと空をかけだした。不可視の階段を駆け上がるように青く広い空へ。地上を追走する彼女が指揮を執る一団は、この戦いでめざましい戦果を挙げるだろう。だが、少なからず命の代償を払うことにもなる。戦場とはそういうものだ。

 高空から見下ろすと敵軍の姿がよく見えた。その数は、伝え聞いていたものよりもずっと少なく、明らかにティレンサイド側が圧倒していた。その上統率されておらず、広大な平原にまばらに集まっていたり、単独で動いていたりとおよそ指揮されているとは言いがたい動きである。軍旗も兵装も整っておらず、軍馬さえほとんど見当たらない。

――戦をしかけようとするには、あまりにも何か欠けている……。何故なの?

 漠然とした不安、大きすぎる疑念。なにか裏がある、あの魔将軍がかかわっているのであれば一筋縄で行くわけがない。多勢に無勢という優勢の状況がわかれば、多くの兵士が浮き足立つだろう。

 杞憂に終わればいいのだが、そうそううまくは行かないことくらい承知の上だ。

 ハウザーから伝え聞いた謎の占い師、おそらくあの霊山の途上で相まみえたユウという人物が、裏で糸を引いているとなれば油断はいっさいできない。いったい何が目的なのかわからないが、敵の不可思議な行動は十重二十重に慎重を期しても無駄なことではないだろう。

 今はまだ姿を見いだせてはいないが、きっとあの魔将軍は現れる。自身の逡巡を打ち消すようにさらに強く手綱を握り直すと、ホノカは右に構えた白銀の長槍の切っ先をわずかに下に落とし、先陣を切って敵陣へと舞い込んだ。



 遠くで鐘が打ち鳴らされている。

「開戦の銅鑼の音……、始まったみたいね」

 かすかに風に運ばれてきたその響きを聞きつけ、小船のもやい綱を隆起した岩塊に巻き付けながらアスカはそう呟いた。彼女の中にある雑多な葛藤は、その音を鋭敏に聞き分け、そして次の瞬間に苦い記憶を思い出させる。本来ならこの場所にいるはずのもう一人の少女の安否が、戦場の矢面に立たせてしまった立場の彼女の気にならないはずはない。

 迷いを断ち切るように、小さくまとめた荷物を腰に巻き付ける。昨日までとはうって変わった派手さのない実用本位な服装であり、特に腿の皮鞘に納められた小剣などは相当に使い込まれているようだった。そのほかにも数種の武器を身につけている。遊びや飾りなどではなく、なにかそういった実践経験があるのかもしれない。

 船は四人乗れば満員になるような小振りの大きさで、後部は操船のための魔法具が積み込まれていた。魔力推進船と呼ばれる船で、人力による漕ぎを必要としない。どうやら飛空船とよくにた原理で動く船らしい。中央に輝くのは、推進力となるための魔力石か。

「大丈夫か、タエコ」
 
 先に降りたヒロは、タエコに手を貸そうと声をかけた。岩場はぐらついていて足場は悪い。

「……平気よ」

 だが少女は、ぶっきらぼうにそれだけ答え、ぷいっと視線を逸らした。そして、杖を手に小船から飛び降りる。海草のぬめりに足を取られそうになり一瞬ひやりとしたが、差し出されたヒロの手は取らず、岩壁に手を着いてなんとかこらえた。出していた手を引っ込める青年の複雑な表情も、今のタエコには何の感情も与えなかった。

 ハウザーから伝え聞いた砦の隠し入り口は、河口に面した背側にあった。大河ラフェリナーレ、その第一の支流であるティレン川は水量が豊富である。雨の少ない乾燥期にしか姿を現さず、大潮になると海水が川を競り上ってきてその全貌を覆い隠してしまう。霊峰ジルヴァニアの雪解けで水量が増す直前の今の時期が、この隠し通路を使用することができる唯一の時節であった。

 早朝から三人は上流の町から川を下ってきていた。魔軍は砦の前面に陣を展開していたが、背後の守りは異常なほどに甘く用心のためにかけていた『眩惑』の魔法のかかった敷布も、必要なかったように思えた。謎の占い師の言っていた敵兵力の規模は、あながちこちらを油断させるためのものでもないようだ。

 ここまでの準備はすべてアスカが整えていた。昨晩、ふらりと出ていって、落ち合った明け方には眠そうに目をこすりながらいつものにんまり笑顔をつくって手筈は整ったと言った。

 しかし、このような船や魔法具など、どこから準備したのか。

 気にはなったが、船が動き出すと早々に本人は寝てしまい、ここにたどり着くまで確かめることはできなかった。まぁ、聞いたところでまた「秘密は女の武器」とか軽くあしらわれるのが落ちなのだが、それにしても謎の多い少女である。

「ここまで、水が上ってくるわけね」

 自分の肩丈のところまで、岩壁が湿っているのを指さしながらアスカは言った。ここから奥へは暗闇に空洞が穿たれている。足下はところどころ窪みになっており、引き潮になった際に川へ逃げ損なった魚達が窮屈そうに身を潜めていた。

「となると、手早く救出しないと戻れなくなるな」

 視線を足元からヒロのつぶやきに答えて、そうねとアスカもうなずいた。次の引き潮を待つといった悠長なことはできないだろうし、時間制限は思ったよりもずっと厳しそうであった。

 ハウザーの遣いが持ってきた極秘資料には、この先は砦の地下倉庫に続いているとある。そして、それっきりで途切れていて、その先は描かれていない。倉庫にあった宝具で事が済んでしまったからだろう。地図と言うにはおこがましいほど汚く、雑に走り書きされた古い羊皮紙はそうとうにくたびれていて判別しづらかったため、アスカは別な紙に書き写してきていた。

 本来、議会協定でこの砦の探索は禁じられている。正確に言えば「歴史的価値の高い遺跡への進入による盗掘行為の禁止」事項である。

 だがそうは言っても具体的な盗掘阻止策が採られているわけではないし、そもそもその昔から幾度も夢を追いかける者達が内部への進入を果たしていた。誰が歌い始めたのかは知らないが、そこには巨万の富があふれていると子供達は寝物語に聞かされ、そして夢に見るのだ。

 だが砦に到達するまでの起伏に富んだ丘陵地帯の古戦場には過去の闘争で果てた多くの魂の怨念が渦巻き、また砦に一歩踏み込めば守るべき者のない砦の内部を未だ動き続ける対人殺戮装置が執拗なまでに冒険者を拒む。議会が対策を立てるまでもなく侵入者は排除されるのだから、わざわざ警備の兵をおく必要がないだけの話だけなのかも知れない。

 生還者の数は極めて少なく、命の保証などないに等しいというのに、人を駆り立てるなにかがそこにあるのだろうか。

 ハウザーがどうしてその秘密通路を見つけたのかはわからない。だが彼が評議会の議席を勝ち取ったとき、財源がどこにあったかということにはとくに関与されなかった。同様に水際の商売を生業とする者達に対してあらかじめ根回しを行っていた所以だ。相互不干渉の締結、それは自らが公に出来ない経歴を持つ者たちの間にある暗黙の了解であった。

 共和制の自治区であると言っても、清廉潔白に見える表の顔とは別に相当に入り組んだ裏の顔がある。市民の血税が消費されるのは、市民のためだけではない。醜い派閥抗争を水面下では繰り広げながら、表向き住みよい町をと連呼する腐った政治中枢を、アスカはとにかく嫌っていた。

 手際よく三つの灯りの準備をし終えると、アスカはそんな心情を表に出すことなく二人に振り向いて口を開く。

「さぁ、行きましょう」

 神妙な顔で頷く二人のタイミングが見事に一致してしまい、タエコは視線を避けるように青年から顔を背けた。


「まったく凄いな……、古代文明の技術って奴は……」

 感嘆のため息とともに、青年の口から言葉が漏れた。

 通路が自然のものではないことは明らかであった。ごつごつとした入り口の部分を過ぎると、円筒形に切り出され整然と造られた道に変わる。床や壁に繋ぎ目はなく、王宮の回廊もかくやというほどに磨き抜かれている。砦の基盤となる岩盤を、どのような方法でこのように掘り抜いたのか、太古の超技術なのか古代神の業なのか、ヒロたちには知りようもなかった。

 とはいえ、いかな超文明の名残といえども流れた時の片鱗は隠しようもなく、所々には老朽化して発動しない古代の灯具の残骸なども散らばっている。岩盤をくりぬいた通路故、風化しようもなく残されたそれらは思いがけず郷愁をさそった。

「こんな通路を作り出す技術をもっていたとしても、滅びるときにはあっさり滅びてしまうなんて。歴史は残酷ね……」

 道は緩やかな上り坂になっていて、先をゆく二人を追いかけるタエコの息は上がり気味であった。だが、ここで遅れるわけには行かない。同じ女性であっても、常日頃から軽業の稽古を欠かさないアスカに比べ、体力が劣っているのはわかっている。だからこそ、足手まといになるわけにはいかないと言う一心で、二人の後に続いた。

 灯りも頼りなく、二人に比べ夜目の利かない彼女としてはどうしても遅れがちになる。足元は確実にましになっているものの、歩きにくい道であることは依然変わらない。こんな時になって、いやこんな時だからこそ、これまで自分がどれほど青年に守られてきたかを実感する。悔しいが、その事実はどう心を偽ろうと覆せそうになかった。

 奥へと続く道は果てしなく一本だった。入り口付近には数多く生息していた磯蟲の類も、ここまで深くまで来るともうみあたらなくなる。空気はじめじめしていて思った以上に暖かく、額には汗が滲んだ。

「アスカ、ひとつ確認しておきたいんだけど」

 先頭を歩くアスカに半歩遅れる青年は、歩みを緩めず尋ねていた。ほんの少し先までしか見渡せない暗闇と閉鎖空間の圧迫感は、苦手なものにはこれほどなく辛い場所であろう。

「なに、どうかした?」

 口を開いたはいいが、歩きながらヒロは深く考え込んでいるようだった。ここにはもう外部の音は届かないため、自分達の足音と声の反響音しか存在しない。

「この砦は、地上人と海竜人の闘争のために建造されたって伝えられているって話だったけど……気になることがある」

 一つ呼吸をおき、軽く振り返ったアスカの目を見ながら、疑問を口にする。 

「この通路はどういう意味があるんだろうか」

 至って真剣に彼は訊いていた。だがアスカは拍子抜けしたような、そんなこと考えるまでもないといった、少々呆れ顔で返す。 

「脱出用の秘密通路じゃないの? お城や要塞なんかにはつきものでしょ、そういうの」

 左手に持った魔法の灯りがヒロの腰に触れてカランという音を立てた。随分と近くに接近していたようだが、考え込む彼はそのことに気が付いていないのかまるで頓着していない。青年は、どうも納得がいかないといった顔でアスカに切り返した。

「本当にそうかな。アスカ、本当にこの通路、出口のために造られたと思うか? こんなに凄い技術を持っていたんだろ、脱出なんてわざわざ通路を使わなくたって、移動魔法みたいなもので何とかならないんだろうか。なんか引っかかるんだ、海から来る敵に対して海に面した出口を作るなんてあり得る話なんだろうかって」

 確かに緊急時の脱出路としてはあまりにもお粗末すぎる。ヒロの言葉を聞きながら、ようやくアスカもその疑問にたどり着いた。

「そういわれればそうよね。じゃ、誰が何のために造ったのかな……」
「これは推測の域を出ないんだけど、海竜人たちが砦を落とすために掘った空洞だとしたらどうだろうか?」

 後方で、この話を聞いているはずのタエコからはなにも反応がない。彼女にはあまり興味もないし、理解の範疇を超えている太古の人々の意思はどうも汲み取れそうになかったからだ。彼女にとっては通路のそれ自体に対する疑問よりも、もっと奥深い疑問がその小さな胸で警鐘を鳴らし始めていてそちらの方がもっと大切であり、逆にそれ以外のことは今は瑣末な事態でしかない、というのも理由のひとつではある。

 そんな幼馴染の心中を察するほどの余裕はなく、今から対峙するであろう敵の存在に青年は気を集中させていた。冷静な理性はそれが当然なこととわかっているのに、なにか言い様のないもやもやとした想いが覆い被さっていて、判断力を低下させている。こんなことを考えている場合ではないとなんど自分自身に言い聞かせても、簡単に消えてくれそうにはなかった。

「内部へ直接送り込むための、か。確かに表側からは難しいだろうし、となるとこっち側っていうのが考えとしては定石よねぇ……。でもまぁ、そんな細かいこと気にしなくたって、脱出路にしろ進入路にしろ砦の内部に進入できるんだからいいじゃない。ねぇ、さっきからなにをそんなに心配しているの?」

 あっけらかんとした様子で、アスカは言った。たしかに彼女の言うことも一理ある、だが、そんなに簡単にすんでしまうこととはどうも思えなかった。漠然とした不安なのかも知れない、だが彼の戦士としての感が、明らかに警鐘を鳴らし続けているのだ。

「いや……、結局その戦に地上人が勝ったとなると、ここの通路を守った何かがあったんじゃないか? 狭い通路を逆に逆手に取った罠を仕掛けるくらい、さほど手をかけずともできることだし全く何の対策も立てていないのは明らかにおかしい」
「うーん、そういう可能性もないわけではないと思うけど……、でももう随分と昔の話でしょう? 罠が仕掛けられていたとしてもきっとまともに動かないと思うわ。それに、この地図があるってことはあのハウザーがここまで来た証拠に他ならないわけだし、生きて帰ってきているわけなんだから、そんなに考え込まなくともきっとなんとかなるわよ。警戒を怠らないのは悪いことではないと思うけど」

 青年の考え過ぎなのだろうか。対するアスカの返答はあまりにもあっさりしすぎていて、逆に不安になるほどだ。

――そう簡単にいけばいいんだけど……。

 一抹の不安を拭いきれないまま、曖昧に頷いてヒロは歩みを早めようとしたが、だが、以外にも早くその予感は実現となる。通路の向こうの暗闇に、あきらかに通路の物とは思えない、行く手を阻む大きな塊が見えた。先頭のヒロは歩みを止めて、既に剣に手をかけている。

「気をつけろ、なにかいる」

 空気がしんと静まり返った。その言葉にアスカは一瞬驚いたような表情を見せたがそれもすぐに消えて、闇を凝視する鋭い目つきに変わった。

「動きはないみたいね。岩かなにかじゃない……かな?」

 事態を深刻に捕らえたくないのか、あえて楽観的に答える。

「いや、天井が崩れた様子はない。こちらに気が付いてないのか、それともただの飾りか」
「あるいは……、罠にかかった人の死体っていうのもあるわね」

 口元をゆがめてひきつるように笑いながら、アスカは言葉を続ける。

「もう少し近寄ってみましょう、いつまでもこうしているわけにも行かないし」

 短く頷いて応えると、青年は慎重に距離を縮めていった。だが彼らの緊張感に反して、それは何の反応も見せず微動だにしない。やはりただの岩か何かだろうと、その姿の全容が見られるところまで近づいた彼らは驚きに足を止めざるを得なかった。

「……!!」

 その奇怪な姿にヒロもタエコも目を見張り、ごくりと息をのむ。その造形は不格好に破壊された半円形だ。

「ただの土塊みたい、動かないわ」

 大胆にもアスカはそのすぐそばまで歩み寄り、魔法灯の光にさらしてその塊を確認する。

 照らし出されたそれは、赤土で造られた陶器のような色合いであった。石とは明らかに違う風合いで、この滑らかに切り出された通路の中で異彩を放つ存在だった。一抱え以上ある中心の円筒部は深皿を2枚重ねたような形で、そこだけとってみると貝のように見えた。

「動かなくなってから、だいぶ経つんでしょうね」

 中心にはむき出しの黒く焼け焦げた金属が覗いている。外郭が破壊されていて内部を覗き見ることも出来たが、何千もの細い線やよくわからない小さな小さな歯車が複雑にかみ合っていて、彼らにはまったく理解不可能であった。

 何気ない仕草で、その表面の肌触りを確かめようとぽんと手を置く。素焼きのようなざらつく感触を予想していたアスカだったが、まるでそれは鋼鉄のようなつるりとした感触だ。通路の石壁よりも若干冷えていて氷を触っているような奇妙な感覚を覚えた。

 違う、触れたその瞬間から一気に温度が低下している――。

 突如、唸るような低い音が聞こえた。同時にその土塊の中心に生まれた赤い光が、装甲の亀裂から漏れていた。

「アスカっ! 離れろ、まだそいつ生きてる!」

 青年の叫ぶ声が聞こえた。

「えっ」

 だがその意味を理解するよりも早く、動き出した『それ』が放ったなにかがアスカの視界に見え、彼女の意識はそこで途切れた――。


To be continued.



    
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