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「強運の持ち主みたいだね、君は」

 無造作に構えをといてユウは淡々とつぶやいた。さっと手を振ると、少女を包囲していた球形魔方陣があっさりと消えうせる。もちろんの事ながら、ホノカにはその意図が全くつかめない。情けをかけられたというのだろうか。

「ああ、不思議そうな顔をしているね。はじめに言っていたとおり、呼び出されちゃったんだ。もう行かないと」

 まるで先ほどまでの戦いなどなかったかのように静かに言う。

「決着はまだついていないわ!」

 ただの虚勢だということは分かっていた。だが、ここですんなりと行かせるわけには行かない、ここでとどめなければ彼女が別行動している意味がなくなってしまう。

「ふふ、また会おう、ホノカ・イル・モンド・ノースグリーヴ」
「フォルテ! 逃がさないで!!」

 なりふりかまわず天馬に命じ、追いすがろうとした。だが、親友でもある愛馬はその願いを聞き入れず微動だにしない。

 そして――、いともたやすく魔将軍ユウは『転移』により消えた。 

「フォルテ、どうして!? ねぇ!!」

 冷静に考えれば、対抗する手立てがないからだとすぐにたどり着く。秘匿の魔力石による雷撃攻撃を封じられ、完全に命の主導権を握られていたそんな直後の状況であるが、……いやだからこそそれを正面に受け止めるということに無理があったのかもしれない。死に直面した事実を認めたくない一心がそうさせたのかもしれない。

 天馬はなにも答えない。高度な幻獣である彼には、心を乱したホノカが騎乗していること自体大きな負担なのだ。

 がっくりと力を落としうなだれる。うつむいた瞳から大粒の涙がこぼれていく。精神的に受けた傷は計り知れない。今、少女の胸に残るのは完全なる敗北感だけだ。

 くるりと空中で踵を返すと、天馬は砦を背に駆け出した。これ以上の参戦は不可能だと判断してのことだ。背中の主人には既に抵抗の意思はない。

 願わくは、少女がこれ以上戦えないと旅を辞することがなきことを。

 幼いころからの親友である彼は、ホノカの成長を眺めるのがなによりも喜ばしかった。人間に比べきわめて長い間生き続ける彼らだけに、短い一生のなかで成長していく人間という種の逞しさは興味深く映る。成熟されていない、不完全であるが故の遺伝という生命の連鎖をもってして緩やかに進化せざるを得ない弱い存在と認識していたが、見かたを変えれば楽しみにもなる。

 王宮を出てからのこの一月ほどの間に、どれほどホノカが成長してきたかを誰よりも知る彼だ。だからこそその想いは強かった。

 だがそんな想いを知る由もなく天空を疾駆する愛馬の背で少女は、今は何も考えられずにただただ涙に咽ぶだけであった――。


センチメンタルファンタジー
第二十二話「撤退」


「お待ちくださいませ、アキラ様!」

 線が細く高い声音。だが精一杯の大きな声でミユキは、その想い人の名を叫んだ。突如としてそこに現れた三人に、タエコもヒロも再三のこととはいえ驚きに心臓を握り締められるような感覚を味わう。

 空間の歪む虹色と闇色の混ざり合った、得も言われぬ妖かしの光。それは周囲に満ちる魔粒子を媒介に別の場所とこの場所を距離を超えて結びつける魔の光。

「きゃんっ!!」

 一番状況を把握していなかったのは、おそらく彼女であろう。ふわりとした一瞬の浮遊感に意識を奪われ、本来なら軽業師として芸を披露する技ある身にもかかわらず、訳も分からず石床に投げ出され尻餅をついてしまう。『転移』してきた三人のうち、それが魔の力によるものと結びついていないアスカは、先ほどまでの地下牢から一瞬にして外に面して作られたここに移動したことに驚愕の色を隠せない。

「ユウ将軍か、余計なことを」

 ぽそり、と。二刀流の魔剣士からつぶやきが漏れた。先ほどまでの苛立ちとはまた別種の感情の流れが張り詰めた空気をさらにこわばらせる。

「すべてを見届けるのが今回の私の役目だからね」

 青年を追いつめたアキラの背後より数歩。そこに現れ出た魔将軍ユウは感情の色を見せず言った。先ほどまでホノカと戦っていたとは予想にも及ばない、いつもと変わらぬ姿である。

「ならば貴殿一人で現れるがよかろう」
「強い意志が私を呼び寄せたんだよ、むしろそこのお嬢さんに引っ張られたという方が正しい」

 事態をまるで理解できないアスカは、魔将軍二人の会話の主役が自分だということにようやく気がついてぎくりとする。確かに、ミユキの言葉のままに青年の姿を強く思い描いたが、もうその次の瞬間にはここに飛ばされてきていた。賢者の力かと一瞬考えたが、そうではないらしい。

 目の前に広がる状況は、決して喜ばしいものではなかった。彼女たちを連れてきたという魔導師風の女性の前には、鮮烈な赤の戦闘服に身を包んだ高貴な騎士のような様相の剣士。彼女は剣を取り落としあえぐ青年の首もとに刃を押しつけていた。

――ヒロ!?

 アスカの思考の糸が爆発的な早さで数々の要素を結びつけてゆく。

 遺跡、黒と赤の魔導師、沈黙の谷の賢者、魔将軍――。

「アキラ様、どうかその刃を今はお納めください」
「じっとして居ろと言っていたはずだ。もうすぐ片づく、そこで見ているがいい」

 ミユキの言葉に、アキラはその姿を振り返らず荒々しく言い放つ。だが、ミユキはその言葉に引くことなく、一歩前に踏み出し近づきながら落ち着いた声音でゆっくりと言った。

「違うのですアキラ様」

 剣を弾き飛ばされ、両手をつくような形でヒロはアキラを見上げていた。額に浮いた汗は先ほどまでの剣戟のすさまじさを物語る。紅の魔剣、來神剣を首元に突き出され、今は身動きを取ることもできない。

 突如現れた助けの手は、彼の知らぬところで彼のことを知っており、混乱に拍車をかける。言葉の端々から感じられることは、彼等がこの砦で探し求めていた存在である沈黙の谷の賢者のものとして予想されるのであるが、いかんせん思い描いていた賢者の姿とかけ離れすぎていて、正常に受け入れることができなかった。

「何が違うという、おまえの予言がか? ああ、たしかにそう思っていたところだ、こんな者が私の運命とは到底思えぬ」

 アキラの集中が途切れることはなかった。竜の瞳で貫くように見据えたまま、一切の余念を感じさせない。あと一歩前に踏み出すだけで、易々と青年の命を奪える状態だ。

 青年の戸惑いなど全く気にかける様子なく、二人の会話は続く。

「いいえ、この方に間違いはありません。今はまだ、時が満ちていないだけです」

 きっぱりと、はっきりと。盲目の予言者はまっすぐにアキラに対峙するように青年の横に並ぶ。

「貴女の歩む嶮しい道を、私は一緒に歩くことすら叶いません。ですが、この方ならば必ずや肩を並べて同じ道を行くことができるでしょう」

 なんだって? 青年はその耳を疑った。沈黙の谷の賢者らしき少女は今、なんと言ったのか? 魔軍と同じ道を歩くことになる、だって?

――冗談じゃない!

 憤然とした気持ちに炎が灯る。ぎりぎりと噛みしめた奥歯が音を鳴らす。だが彼の動きは完全に封じられていて、一寸でも動いた瞬間に喉元の刃が頭部を跳ね飛ばすだろう。

「彼の名はヒロ・ステラ。先の大戦の英雄リファス・ステラの一人息子にして、霊峰の神剣デアドゥルスに認められた青年だよ」

 ミユキに補足するように、ユウは口を開いた。

「かつての――、なるほどな。どうりで剣は立派なわけだ。だが所詮、親の七光りだったという訳か。――戦況は?」

 先の英雄、そう呼ばれた存在はもちろん知っている。だがアキラには、青年の生まれなどどうでもよいことのひとつ。ただ目の前にあることが全てであり、彼女にとってはただの敗北者がそこにいるだけだ。

「思いのほか善戦しているよ。いい指揮官が指示を出していたから、意外に被害も少ないみたい」

 眉一つ動かさないアキラに暗黒魔術師はひょいと肩をすくめて見せ、自らの主観でなく敵側であるティレンサイド軍の目で答えた。

 ユウが遣いし死の軍団は神聖騎士団でもなければ容易に退けられるものでない。死を受け入れ、不死たる存在を許さないという教義のもとに清められた聖なる武具であれば、その存在を打ち消すことができるのだろうが、そうでもなければ青年が打ち倒してきたように、それ以上動けぬよう中心となる背骨や座骨を破壊するしかない。

 いち早くそれを見抜いたホノカの指示により、殴打武器を持つ者はそれに持ち替え、そうでない者達も自らの盾や拾いあげた流木の枝を棍棒として戦った。斬りつける肉はなくとも骨を砕けば動きはとれなくなる。

「まぁ、余興だけど」

 なんの感慨もなく、淡々と事実を告げる様子はいっそ奇妙だった。

「全ては我らの手の中に、か。ならばはじめから、こんな策を弄することなどないであろう、ちがうか」

 魔将軍と称される彼女たちは、一国に匹敵する強大な力を有していると言っても過言ではない。事実、ユウの持つ古の封印呪文は一軍を容易に消し去る力を持っているし、チエの特異能力は魔法防護の施された城塞をも砕く。アキラの持つ魔剣から繰り出される技は竜を打ち倒し、魔神をも屈服させる恐るべき力を秘めていた。

「さぁね。考えるのはあの方の仕事だから」

 感情のない受け答えにも慣れた。予想通りの答えが返ってきたことにアキラは自嘲的な笑みを浮かべ、盲目の少女に問いかける。

「ミユキ、そなたはどうする気だ?」

 厳しい視線だ。もし心に疚しい偽りが欠片でもあれば、その瞳の前に何もかもを見抜かれてしまうだろう。

「アキラ様、私は――」

 しかし、この少女の前では、そのような力も無意味であった。決意の宿るはっきりとした言葉で返す。

「私は道標となりましょう。貴女と、貴女の運命とを再び巡り合わせる時の歯車となって、未来をつむぎましょう」
「ふむ、つまり私とは一緒に歩めぬと――、そういうことだな?」
「ええ、今は。いずれそれが、貴女を救い出す希望の光となります」

 凛とした言葉は、超然とした強さで恐るべき力を秘めた魔将軍を前にして少しも引くことがなかった。風評や噂など無縁に育ったミユキにとって、等しく平等な存在の一人でしかないと言うように。

 アキラの強くしなやかな肉体やそこから繰り出される剣技、胸に秘められた高き理想とそれを達成するためへの意志の強さは知っている。何を犠牲にしても、冷徹な判断で小を切り捨て大を活かす決断をする人だと言うことも。

 彼女を恐ろしいと思ったことはなかったし、そういう取捨選択の過程で多くの命を手に掛けてきたという事実があったとして、アキラの存在を否定することはできなかった。揺るぎ無い信念に基づく、淘汰の逆刃。それはあまりにも独裁的であまりにも独善的な、生存価値の品評による意志決定である。

 アキラを想うとき、ミユキの胸に去来するもの、強いてあげるのであればそれは哀しさであろうか。

 アキラは人を愛していない。

 アキラは故郷を憎んでいる。

 アキラはこの世界を嫌悪していた。

 だが、悲しいかな、ミユキは触れずして理解してしまった。垣間見えた彼女の心の奥底にある新世界は、この荒れ果てた世界の向かう絶望の縁を理想郷に体現しようという唯一絶対の願いなのであった。それ故、考えれば考えるほど言い様のない不安に襲われる。

 一対一の沈黙、この緊迫した空気の中、一人だけ動く者があった。凄まじい闘気の中、気配を殺してじりじりと尻餅をついたまま移動していく。

 戦いの直前に、青年が置いた剣がそこにあった。丸腰のヒロにこれを渡すことができれば、この状況を打破できるかもしれないとそろりと刃を手にする。魔将軍は、ミユキとの話に気を取られているのか、彼女の行動に気がついた様子はない。いや、むしろ気づいていて気がつかない振りをしているのか。ならば、迷っている暇などなかった。

「ヒロっ!受け取って!!」

 アスカの声が響いた。遠心力を付けて剣を、床を滑らすように投げる。片刃で細身とはいえ決して軽くない鋼の刀身を納めた鞘もそのままに。

 青年は弾かれたように低い姿勢で前方へ飛びついた。首もとの刃が彼を浅く切り裂いたが、ごくわずかの差で頸動脈は無事だったらしい。動きのとれる右側でなく、魔将軍の左側構えられた封神剣の下をかいくぐるように動いたのが功を奏した。裏をかくにはそれくらいの行動が必要だった。

 前転をしながら剣を抜き、牽制のつもりで振り向きざま横なぎに払った。だが、すでに背後に迫ってきていたアキラの刃が打ち合わされて刃は流され鋼が悲鳴をあげた。ギチリという身をよじるような、練鉄が最後の抵抗を試みる悲痛な音だ。いかな業物と呼ばれる剣だとしても、魔剣と呼ばれる剣との格差を、たったの一合の打ち合わせではっきりと思い知らされる。

 ヒロは一撃の反動を逆手に取り、そのまま大きく後に飛び距離をとる。あの魔物でさえ捉えられなかった瞬発力で、アキラの間合いから逃れた、つもりだった。

「その程度か」

 だが、その反応速度を遙かに上回り、アキラは距離を詰めていた。寸前まで立っていた地点に残像を残し、目の前に現れる。瞬間移動したかのような錯覚さえ覚えさせるその技は、移動直前に爆発的に闘気を増大させ、瞬時に気配を消して超高速で飛び込むという離れ業だ。驚異の身体能力だった。

「っ!!」

 青年の口からは驚きの言葉を出す間さえ与えられず、アキラの姿はその視界から忽然と消えた。違う、ヒロよりもさらに低く間合いに踏み込み、背を向けて身をひねり回転しながら紅の大剣を繰り出していた。突進力に加えた遠心力による斬撃は、巨岩でさえ粉々に打ち砕く。

 時が静止していた。

 刹那、交わったアキラの瞳に思考が砕かれる。それは竜の咆哮を正面から受けたような、絶対的な恐怖感。竜そのものの姿が脳裏に描かれ、身動きがとれない。

 轟という低く響く唸りをあげて、來神剣が振り抜かれた。剣の魔力とアキラの力と、かろうじて防御姿勢をとって構えられていた刃は、その一撃のあまりの衝撃に耐えきれず中程から砕け散り、青年は大きく弾き飛ばされて石壁に叩きつけられる。

「ぐはぁっ!」

 肺の中の空気が強制的に押し出されて意識が真っ白になった。同時に二つの破砕音が、ヒロの耳元すぐ側で起こる。

 砕けて大きく飛び散らばった剣の切っ先は剣を振り投げた反動でしりもちをついていたアスカの、両腿の間の石床に勢い良く突き刺さり金属質な音を立てる。

「ひっ」

 少女は一瞬遅れて小さく悲鳴を上げ、それっきり身体に力が入らなくなってしまった。

「興ざめだな、英雄の息子とやら」

 蒼白な顔を一瞥すると皮肉たっぷりに魔将軍は言った。仲間の助けを借りての打開策も意味をなさず、完膚無きまで叩きのめされ追い込まれている。先ほどよりもさらに逃げ場なく、まるで壁に張り付けられるよう刃を交差し首の左右の壁に剣を突き刺され、いっさいの動きを封じられていた。精一杯の抵抗と、下から上目遣いに睨み付ける。

――ほう。

 この追い込まれた状況でなお、屈することのない青年にほんの少しだけ、興味にも満たない小さな感情が生まれる。雑兵の一人としか見ていなかったが、存外に化ける存在かも知れない。

 ミユキの言葉を鵜呑みにするわけではないが、彼女もまた運命の人物を欲していた。

――しかし。

 アキラの心に不意に浮かぶ、怒り。

――しかし、本当の憎悪という物を知らぬ者に、どれほどのことが成しえられると言うのか。

「っ!!」

 弾き返された怜悧な視線に貫かれ、ヒロは背筋を凍り付かせた。

 それまで感じていなかった感覚が、青年の精神を支配していく。怯えと恐れ、目の前の存在に対する畏怖が急激に拡大し足腰がすくみ上がる。空気が無音の軋みに耐えかねて身じろぎするように、暴風となって途方もない圧迫感を与えていた。吹き出すような殺気にあてられ本能が思考を止めた。それを解放した魔将軍の姿は、黒く揺らめく影の姿として青年の目に何倍もの大きさで映し出されていた。

 そう、それは闇を畏れ、火に縋った人間の暗闇に対する本質的な恐怖。

 圧倒的な力差だった。高所に張られた一本綱の上で斬り結ぶような双方危うい対等の状況だと勝手に思いこんでいたのだが、全然判っていなかった。剣を打ち合わせ、刃が肉薄し、紙一重の剣戟を避け、しかし今一歩力及ばず――、太刀打ちできないまでもどこか心の底で手の届くものとして敗北の事実を曖昧にさせたかった自己擁護の心が疑いの余地なく完璧に打ち負かされた瞬間だった。

 噛み合わされる歯ががたがたと音を立てないよう、力一杯食いしばることが今できるせめてもの抵抗だということに戦慄し、同時に激しく苛立ちを覚えた。神の剣を手にした時の高揚感が、アキラの底知れぬ秘められた力の前では、おもちゃを手にした子供の喜びとなんらかわりのないたわいのないものとして、青年の微かな思いを粉々に打ち砕いていた。

 そして今、対峙するアキラの顔に浮かぶのは、侮蔑と憐憫の相混する落胆の表情だ。

「やはり、おまえごときが私の運命だとは、到底信じられぬな。この様な者斬るまでもない。――ユウ将軍」

 吐き捨てられた言葉とともに、絶対零度の眼差しで烈火のごとく激しい情念を叩きつけられ、青年は言葉をなくす。悔しさで頭がいっぱいで、もう他にはなにも考えられない。

「なにかな」

 若干距離を置き成り行きを見守っていたもう一人の魔将軍は、まるで興味がないといったように淡々と応える。いや、その仕草さえいつも通りの反応でしかない。

「撤退だ。もう用は済んだ、とんだ茶番劇だったがな」

 アキラは石壁に突き刺した二振りの魔剣を引き抜くと再度落胆の眼差しを青年に向けて放ち、これ以上の闘争は無駄とユウに伝えた。ヒロは首もとの刃を取り除かれたにも関わらず、茫然自失の体で未だ身動き一つとれずにいる。

「撤退? 作戦途中の命令違反は重大罪だよ」

 それまでの無関心さを忘れさせる、冷気を伴った短い言葉。同じ魔軍の配下の魔将軍といえど、それぞれの意志で行動し牽制しあっているため、互いに仲間意識などというものは皆無だ。反乱分子と判断したのならば、何時でも敵対する。

「命令なら既に済んでいる。この者の情報を持っていたということは、最初から引き合わせることが目的だったのだろう? このような国一つ、いつだって手にすることができる魔女が、どの口をもってそんなことを言うのか。ユウ将軍、本来貴殿一人で十分であろうこの戦、私をわざわざ出向かせたこと企みがないとは言わさぬ」

 ぴしゃりとアキラは言い放ち、さらに厳しい眼差しをユウに向ける。

「はじめからこの街に興味などないのであれば、ただ単に屍の山を積み重ねよと命令すればよいものを、気まぐれに付き合わされたのではな」

 吐き捨てるように付け加えると、それっきりユウの反応を見ず、閉ざされた世界から彼女が連れだした少女に向かい声をかけた。

「ミユキ、この勝負今日の所はお前に預けよう。だが、次に会う時は情けも容赦もかけぬ」

 厳しい言葉とは裏腹にとても優しい瞳をしていた。抜き身の刃を思い出させる表情が、青年からは見えない角度ですっと目を細め、軽く微笑さえ浮かべていた。その表情の変化に気がついても見ることのかなわぬ盲目の予言者は、誠心誠意感謝の礼をもって小さく頷いて応えた。

 無機質な沈黙をまもる魔導師を従え剣を鞘に納めると、既に冷徹さの戻った貌でゆっくりと振り向く。

 強者の余裕か、はたまた胸に秘めた一縷の望みを暗に伝えているというのか。そしてその眼差しの意味を推し量るような余地のない今の青年に、その想いは届いたのだろうか。

「ユウ将軍、いくぞ」
「はいはい、全く気の早い人だ」

 再度促すと、肩をすくめた魔導師の魔印を組む短い詠唱の言葉にあわせて、青年に告げる。

「ヒロ=ステラ。再び剣を交えたければ南へ、ミゼルガウドまで来い。次は――、私を失望させるな」

 強烈な視線を残し、ヒロの反応を待たず二人の魔将軍の姿は空にかき消えた。

 残されたのは、呆然と宙を見上げたままの完全なる敗北を喫した青年と、自らの意志でここに留まりその青年を選んだ少女。見守るアスカもタエコも互いに動き出せず、かける言葉が見あたらない。

 いや、そのタエコに至っては、そもそも状況の把握さえも未だできていなかった。決して鈍い訳ではなかったが、一度に多くのことが起きすぎて混乱が混乱を呼び、思考回路が麻痺してしまっていた。アスカとともに現れたあの魔導師に対する恐怖心が、そうさせたのかもしれない。

 だが盲目の賢者だけは、違っていた。すっとヒロの元に歩み寄り、手をさしのべる。

「ヒロ=ステラ様」

 背にしたやや落ちかけた陽の光が、青年の上に長い影を造り出す。それは彼女の影。

「お立ちください、今はそうしているときではないはず」

 情けも容赦もない事実の言葉に、ダンッと、力一杯拳を石床に叩きつける。何度も何度も、拳が砕けるののではないかと言うほどに。眉間に深い皺を刻む痛みに耐えるような表情で、ギリギリと食いしばる歯が音を立てる。やり場のない悔しさが、思考全てを支配していて何もかもが憎しみに溢れて見えた。

 理由ははっきりしている。これほどまでに明快な解はない。

 神の剣を手にしたときの自らの力を妄信していた。故郷で、霊峰で魔の眷属を打ち倒し魔将軍を退かせた記憶。戦士としての素養もあると自負していたし、父にはまだまだ遠く及ばないだろうものの、その自らの技に自信もあった。それら全てが、今がらがらと音を立てて崩れ落ちる。

 折られたのは父の剣だけではなかった――。

 がっくりとうなだれるヒロに、変わらぬ柔らかい声音でミユキは語りかけた。

「――負けることそれ自体に、罪はありません。だから、悔しさに、逃げないでください」

 短い言葉の中に込められた想いに、頭から冷水をかけられたようにはっと顔を上げる。

 なめらかな稜線を描く顎、月光を思い起こさせる透き通るほどに白い肌。明るい栗色の長髪は吹く風にさらさらと流されるまま、彼を見下ろしている。数々の幾何学模様が縫い取られた、貫頭衣にも似た独特な作りの法衣姿の少女がそこに佇んでいた。

「ヒロ様、貴方の旅の終着点はここだと言うのですか?」

 優しい口調で、内容は斬るように鋭い。だが不思議と怒りはわかなかった。

 陽の光の下にあってもなお月下に咲く花のように儚く、まるで幻想の世界から抜け出してきたような危うさと、浮き世離れした神秘的な空気を身に纏った少女。陽炎にも似た希薄な、水鏡に映った自らの姿を見ているような不確かさを感じて居ながら、ある種圧倒されるような存在感を醸し出す。アキラを動の象徴とするのであれば、ミユキは静の象徴とでも言おうか。

 その美しい造形の顔立ちのなかに、先ほどからずっと閉じられたままの双眸に気がつく。生まれたときから見えないのであろうか、その表情はごく自然で違和感がない。

「これから貴方の歩む道は、いえ、貴方の救おうとしている世界は、身勝手で狡賢く凄惨で残酷で、どうしようもなく堕落していて救いようがなく手をさしのべるに値しないかもしれません。――ですが、」

 偽りようがないほど辛辣に絶望への一途をたどる世界だとミユキは言いながらも、一呼吸おいて、柔らかく包み込むように優しく続ける。

「――ですが、忘れないでください。貴方の側に居る貴方の大切な存在を。忘れないでください、貴方の守りたい笑顔を」

 その声はささやきに近く、おそらくヒロにしか届いていないだろう。だが自らのふがいなさ故に生まれた怒りも、胸の奥底に燻る悔恨の炎も、その言葉の前に一気に沈静化していくかのようだった。それはまさに差し伸べられた救いの手だ。

「君が、沈黙の谷の賢者様なんだね」

 口をついて出たことはそんな言葉だった。

 真実と存在を秘匿された厳然の地、沈黙の谷に生まれそこで寿命を全うするだけの存在と、アスカから聞いた事柄が不意に思い起こされる。もう、疑う余地は無かった。

「私の名はミユキ。導く者でも道を照らす者でもありませんが、再び運命が交差するその日まで、貴方と共に――」



 戦場が揺れた。ドン、という炸裂音とともに砦を中心にして光の衝撃波が円環状に広がっていく。その光の鎖に捉えられた虚ろなる魂は、一瞬の躊躇いの後呪縛から解き放たれ昇華してゆく。遙か空の高み、天へと上るように。

 それは永劫なる時の彼方より呼び覚まされた兵たちを、再び黄泉へと帰す浄化の光であった。

 斬り結んでいた相手が力を失い、粉屑となって崩れ破裂し吹き飛んでしまいつんのめる傭兵。動きを止めた、敵の支配下に堕ちた同胞の死人兵士を血涙の思いで切り倒した戦士。囲まれ敗走経路を絶たれて最後の一人と残されたはずなのに、死を覚悟した直後にその光に助けられた将。

 去りゆく暗黒魔導師ユウが、その制御を解いたのだろうことに気づいた者もなく、戦いは終結した。

 この度の戦はいったい何だったのだろう。大陸のどこでも攻め入れるという魔軍の示威行為なのか、攻め落とすためでもなく、消耗させるでもなく、結局の所アキラが気づいたように、単に気まぐれだったと言われてもなんらおかしくない。

 だがそれがどうしたというのだろう。

 何にせよ、侵略者を倒し退けた事実には変わりはない。

 ティレンサイドの戦士達は、歓喜の鬨の声を上げ戦勝を高らかに歌い上げる。低く、高く、悼み喜び、凱歌であり鎮魂歌であるその歌は、戦場に伝播し大きなうねりへと育っていく。肩を並べ、互いに支えあいながら自陣へと帰投する彼らの表情は、もちろん暗く沈んだ者もいたが、その大半は外敵を打ち倒しての生還の功績に満足げなものであった。

「まずい、な」

 戦場を見渡せる小高い丘の上に陣を敷いたティレンサイド評議会作戦指令部、突貫で作られた物見櫓の上でその全権を掌握する総督たる男がぼそりと漏らす。四十を迎えたばかりのまだまだ若々しいその容貌は、泰然自若とした不動の様で人を惹きつける魅力があった。

 背が高くがっしりと広い肩幅の与える印象は、政を行う人物というよりは軍指令部の高官といったところであろう。目は細く切れ長で獲物を射る鷹のような険しさであり、眉間に刻まれた苦悩の皺は彼を実年齢以上に年かさにも見る。口元に蓄えられた髭がなければ、もっと若く青年のようにも見えただろう。

 数年前、歴代の中でも異例の若さでその任についた評議会議長である。

 気づかぬ間に奥深く間で攻め入られることへの危機感。生命なき大地から生み出された兵と、死人を操ることによる軍規模の自己増殖が可能な魔軍。二十年前の大戦を忘れたわけではないはずなのに、記憶は風化していくものなのだと実感する。

 今日の戦が、たった二人の魔将軍と呼ばれる人物により仕掛けられているものだと知ればさらにその焦燥感は募るのだろう。

 側近の一人が怪訝な顔で、仕える評議長に視線を送る。その瞳に気づいたか、苦渋に満ちた表情をふっと緩め、

「帰ったら忙しくなるぞ」

 そう伝えた。笑顔の宣言のときにあとで痛い目を見ることを重々承知している側近は、ぶるりと背筋を震わせて頭をたれた。


 こうして戦は、後に潮騒の砦攻防戦と呼ばれることになる闘争はたった半日で幕を閉じた。
 それぞれの心の中に、なにかを残して――。

To be continued.



    
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